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カウンセリングって意味あるの?


 

 どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。

しばらくは渦中の日記をあげていたのですが、そればかりになってしまってもよくないので今回は「カウンセリング」の意義についてお伝えしていこうと思います。


 不祥事教員の方も、予備軍の方も、はたまた全く関係ないけれど生き辛さを抱えていてこのサイトに辿りついてしまったという方も、「カウンセリング」について興味はあれどどのように利用すべきか持て余しているというケースはあるのではないでしょうか。そもそも精神科と何が違うの?という方もいるかもしれません。

 

 精神科は医学として患者の精神の不調に対応します。カウンセリングも併設しているクリニック等もありますが、メインは薬の処方による本人負担の軽減です。シーソーのようにバランスが悪くぐらぐらと揺れてしまっている心を、薬の力で支えてくれる、といったイメージでとらえて頂ければと思います。

 (無論、精神科の中には薬によらない治療法を持っている方も存在します。箱庭療法や催眠療法などを得意分野とする方もいるでしょう。ただ、一般的には報酬単価等の兼ね合いもあり、初診はゆっくり話をきいて、その後は経過を見ながら服薬調整を行っていく…というパターンが多いのは確かです)

 

 では一方「カウンセリング」とは何なのか?精神科と違い処方箋を出すことは出来ず、基本は話を聞いてアドバイスをしてくれるだけ…。保険が適応され、なんなら自立支援医療制度を使えば定価の1割負担で対応してくれる精神科等と違い、多くのカウンセリングルームは全額自己負担です。30分で5000~10000円程と必ずしも安くはない負担です。「ただ話を聞いて貰うだけでそんなにお金かかるのも…」と感じる方もいるでしょう。

 でも、実はこの「話を聞いてアドバイスをしてくれる」ということがとても重要になってくるのです。


 そこで以下ではカウンセリングの意義についていくつか解説してみようと思います。


  1. 話をしっかり聞いてくれる

 当たり前じゃん、と言いたくなるかもしれませんがこれが意外とやってくれる人がいないのです。

 例えば精神科は初診以降は5分でも30分でも医師に発生する報酬が変わらないこともあり、限られた時間内でやりとりをすることになりがちです。正直、慣れない方はメモを持っていくなどの工夫をしないと


医師「どうですかー最近はー(カタカタキーボードを打つ音)」

貴方「えーと、あまりかわらないんですけど、たまにすっごく気分が落ちる時があります…」

医師「季節がら気圧が関係してるかもしれませんねー。辛くなったときの頓服薬を追加しておくんで様子見てみてくださいー(カタカタ)」


で、終わってしまうことも多々あります。また、友人や同僚、家族に相談をしたときには時間を気にせず話をできるかもしれませんが、


「こうしたらいいんじゃない?」

「考えすぎだと思うな」

「わかるよ。みんなそうなんだよ。けどいつか乗り越えるから」


といった一見アドバイスに見える言葉でぐちゃぐちゃした悩みの相談が断ち切られがち。(これ、心が弱っている時には全部「あなたの辛さはあなたのせいなんだよ」と聞こえてしまいません?)

 

 その点、カウンセラーは最低限の基礎技能として相手の言葉に真摯に耳を傾ける「傾聴」、相手の感情に寄り添う「共感」を習得しているので、気持ちよくお話しさせて頂けます。人に思いっきり自分の悩みをぶつけられるって、病む方には結構難しいところもあり、こうした時間が確保できるだけでも自分の思考整理に役立ちます


 2.何を話しても大丈夫な安全基地となってくれる

 

 カウンセラーは弁護士とも精神科とも違い、ある意味で絶対的な貴方の味方です。ああしろこうしろ、といった正解をつきつけてくるのではなく、一緒に悩みながら考えの整理を手伝ってくれる方です。

 無論あなたが今犯罪の計画をたてており、明日実行するつもりだ、といった内容であれば「貴方を守るために」警察に相談することもあるでしょう。ですが、そうしたケースでなければカウンセラーは全てをうけとめ安易な否定やアドバイスはせず、貴方の今感じている苦痛や不安を軸に対応を考えてくれるはずです。こうした自分をさらけ出せる安全基地があるかないかで心の安定は大分変わってきます。


 3.専門的な知見から自分を知る手助けをしてくれる

 

  カウンセラーとして生計をたてられている方は、皆何らかの武器をもっています(私が以前市の委託ピアカウンセラーとして雇われていた時であれば「当事者である体験を元にした深い共感と分析」が武器でした)

 カウンセラーは貴方のお話しを聞きながら、常に自分の武器(=知識、経験)をフル稼働させて貴方を分析し、貴方が気付いていない心のメカニズムについて一石を投じてくれます。その一石が自分の悩んでいるグルグル思考をいい意味で脱線させてくれたりするのです。


 4.上記の繰り返しの中で、自分の見えなかった暗部が見えてくる


さて、ここから先がとても重要なところです。おそらくここに来る方の中には社会科の先生もいるので既に知っているかもしれない例で説明させて頂きます。

自分が知っている

自分が知らない

他人が知っている

開放の窓

自分も他人も知っている、見せてもいい自分像。

盲点の窓

自分は気付いていないけれど、他人は気付いている自分。

他人が知らない

秘密の窓

自分は知っているけれど他人には知られていない、もしくは知られたくない自分。

未知の窓

自分も他人も気付いていない、自分。

 現代社会という科目の一番最初にやることが多い内容ですね。いわゆる「ジョハリの窓」というものになります。こうしてみると、自分のことなんてせいぜい半分くらいしか把握していないということになりますね。ですが、ジョハリの窓の重要な所はこの枠線が稼働式である、ということにこそあるのです。

 つまり、カウンセリングの中で対話を続ける内に上記の窓枠は以下のように変わっていきます。

自分が知っている

自分が知らない

他人が知っている

開放の窓

何でも話せる空間で秘密をさらけ出すことで秘密の窓が縮小。

カウンセラーからの話を聞く中で盲点の窓が縮小。

自分の持っているイメージと他人の持っているイメージのズレが少なくなっていく。

盲点の窓

他人が知らない

​秘密の窓

未知の窓

 注目してほしいのは右下の未知の窓です。私は不祥事をはじめとするいわゆる犯罪行為の大元であったり、得体のしれない生き辛さの根本であったりというものは未知の窓にこそ隠れているものだと思っています

(だから未知の窓の中身をまだとらえきれていない不祥事直後の教員の聞き取り結果だけ並べても何のデータにもならないと私は感じています。自分自身、一生懸命自己分析をしたものの教育委員会の聞き取りではまったくちぐはぐなまま話していた記憶しかありません。…今学校現場が行っている不祥事防止の取組はアル中の患者に「アルコールを飲むとこれだけ害があるぞ」と繰り返し注意しているような状況です。大切なのはなぜそれだけ害があるのをわかっていてなおアルコールに惹かれてしまうのか、それなしで生活できなくなってしまっているのかを探っていくことのはずなのに…)


 無意識に抑圧したコンプレックス、思考の癖、場合によっては家族に伝わる一種の呪い(これについてもいつか記事にします)…。そうしたものがからみあっているのが未知の窓の中身です。


 あくまで持論ですが、この未知の窓の中を開放していかない限り、人は同じ間違いをくり返してしまうのだと思います。


 そして、この窓の中は薬では探ることはできないのです。自分だけの分析でも限界があります。盲点の窓を狭められないからです。結局未知の窓を縮めていくためには、他者との対話…それも何でも話すことができ、「未知の窓を縮めていく=自己分析をしていく」という共通の目的をもった他者との対話が必要不可欠なのです。




 

と、長くなってしまいましたが以上がカウンセリングをうける意義の1例です。

他にも認知行動療法でじっくり腰を据えて行動の変化を作っていくことができる…などの面もありますが、それについてはできるカウンセリングルームが限られることもあり、まずは自己分析(自己覚知ということもありますね)を進める大きな手助けとなるんだよということを知って頂ければと思います。


なお、注意点として。


カウンセラーは実は資格がなくても名乗れます。私もピアカウンセラーを名乗っていましたが、持っていた資格はあくまで社会福祉士です。近年、やっと国家資格として公認心理士という資格ができましたが、正直専門性でいうとまだまだ臨床心理士(民間カウンセラー資格の中での最高峰と思ってください)に軍配が上がる状況です。そのほか有象無象の民間資格を入れると、もう何がなにやらという感じでして、ぶっちゃけカウンセラーの力量は玉石混合です。


良いカウンセラーを見出すコツとしては、


①最低限「傾聴」「共感」をしっかり行える人であること

②自分の悩みを具体化するために前向きにかかわってくれている様子が見えること

③話していて貴方が嫌な感じがしないこと

④貴方が求めている悩みの分野について専門的な深みを感じられること

 (時が解決する、考えすぎといったよくある解答や、何でも自分の土俵に引き込み医師でもないのに「鬱の症状ですね」などと即答してしまう方はぬっぺふ的には信頼ができませんでした…)


あたりを意識しているだけで大分違うかと思います。




というわけで、カウンセリングについてまとめてみました。

特に不祥事を起こした教員については世間の風当たりはとても冷たいです。刻印は一生つきまといます。だからこそ、長期的に付き合っていけるパートナーとしてよいカウンセラーと繋がれることを祈っています


…最後になりますが、先述したいくつかの要素を満たせるのであれば友人や家族との対話も十分自己分析を進めてくれます。ただし、聞いてくれるからといって毎回カウンセラー役をおしつけてしまうと、相手が鬱的になってしまうこともあります(=カサンドラ症候群)ので、気を付けつつ対話をしていきましょう。


 対話はディベートと違います。結論が出る必要はありません。互いの理解や考えが深まればそれでいいのです。カウンセラーと、家族と、友人と、そしてゆくゆくは全く別の世界の方と、対話をしていく機会を探っていきましょう。焦らず、出来る範囲から。





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