どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。月一回の自助グループに「当事者研究」として資料を作っているのですが、前回は多忙で作成が間に合わず…
少し間のあいた分骨太なテーマをと思い、今回のテーマは『部活動と不祥事の関係』です。
中学校・高校において部活動は大きな負担であると共に魅力でもあります。
ベネッセのとった2018年のアンケートでは中学校教員の6割、高校で5割の教員が部活動に負担を感じつつも主顧問の5割は「生徒理解を深めるため部活動に積極的に取り組みたい」「地域移行せず教員が受け持つべき」とその意義を見出している状況です。
…ゆえに現在話題になっている部活動の地域移行はなんだかんだ頓挫するのだろうというのが私の予想なのですが、かといって現在の部活動の在り方がいいとも思えません。
というのも、現在の部活動は構造的に「不祥事に繋がりやすい側面」を持っていると考えているためです。
そこで今回は、部活のどのような側面が不祥事と関係するのか、またどのようなことを心がければ不祥事を起こさず部活動を続けられるのかを考えてみたいと思います。
では、いってみましょう!!
1.部活動の変遷
部活動は教員の業務に入っていない課外活動です。実際、昔の学校ではあくまで主体は生徒であり感覚としてはゼミやサークルに近いものだった様子。しかし、そうしたグレーな分野ゆえか、部活はその時代その時代に応じた目的に向けて積極的に活用されてきた歴史を持っています。
1950年代は戦後の自治と民主的素養の養成を。60年代は東京オリンピックに向けたアスリート養成を。70年代は「ちょっとやりすぎじゃない?教員負担多いし地域移行しようよ」と地域移行化が進んだものの保険の掛け金などが問題になり頓挫、1980年代には不良の発生防止および更生を期待され、大体今の部活動の原型が出来上がりました。
※中澤篤史著『運動部活動の戦後と現在 なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』より要約
一部の時代を除き、部活動には常に「生徒をよく変化させるもの」であることが求められていたと言えるかもしれません。
2.部活の問題点
学校…特に高等学校が本来武器とするべきは「教科」です。ところが、部活動による生徒変化がわかりやすかったこともあり、気がつけば教員は部活をないがしろにすることが許されにくい環境に置かれることになりました。結果、以下のような状況が発生してくるわけです。
①課外活動なのに周囲の評価を受けやすい
先述したように、部活は課外活動にも関わらず生徒をよく変化させるものという前提が伴っている状況です。結果、うまく機能していない部活には皆さん結構敏感に反応する。
——密室で行われる授業と違い、部活の活動は表に見えやすいものです。
しかも授業と違い、部活内での生徒の行動の責任は顧問が全て被ることになります。担任の指導が悪いと言い訳は聞きません。
…よくある話ですが強豪校の顧問などを引き継いでしまい成績を悪化させた場合は、生徒や保護者、OBOGに至るまで各方向から非難がとんできたりします。本来であれば自分達の活動にも関わらず顧問に依存していた生徒の責任も問わねばならないのですが…
以上の「部活動は他者の評価を受けやすい」という特徴。ゆえに部活の指導に向いている先生は称賛を糧にますます部活にのめりこみ、指導したくない先生は周囲の批判や目線から休むわけにもいかず時間ばかりを奪われ不遇感を抱え込みやすい。
※とくに1980年代を先導したレジェンドや彼等に育てられた教員は、部活動を良い教員のバロメータとして使ってくることがあり、校内に「部活をバリバリやれ」という同調圧力が発生していることも。
②拘束時間が長い
続いて2つめ。時間的な問題です。
ご存知のように部活は勤務時間外勤務の温床です。いかに勤務時間内で……と思ったところでグラウンドや体育館を使う部活動であれば他の部活との兼ね合いもあり、勤務時間内にすべてを入れていくのは困難です。
また、ある程度集団を作り上げていくためには過程を共に過ごしていくという側面はやはり無視できず、少なくとも崩壊させずに維持させるだけでも目が離せないということは起きがちです。
教育において山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」という言葉はよく引用されますが、それを部活でやっていくとなると元々の専門家でもない限りかなりの勉強、努力が必要となります。3~4割の教員が月1冊も本を読まないにも関わらず、部活には大量の時間を割かねばならないという状況が生まれているのが現状です。
③自他の境界が崩れやすい
毎年メンバーが大きく入れ替わる授業と違い、部活動は継続して一つのチームを指導することになります。またその活動時間も基本は学校の業務外。授業と違いルールもあいまいです。
結果、部活は授業よりも「教員の城」と化しやすい面はぬぐえません。
教員の城と化した部活はいわば教員の拡大自我。その中においては公私や自他の境界が希薄化しがちです。教員の自己実現のために部活動のあり方が左右されるなんてことはよく見られます。
④不遇感をためやすい
③のようにうまく「城」を築けなかった教員にとって部活は「不遇感の温床」です。
ほぼ無給でプライベートも消費し関わるも、生徒には信頼されず文句を言われる始末。また、うまく城を築いた方でも学校の異動や家庭を持つことをきっかけにバランスが取れなくなってくると「不遇感」を抱えるようになることも。
※ぬっぺふの知人はバリバリの部活主義者で成果も十分残していましたが、彼が不祥事を起こした際の言葉は「割に合わないと思った」でした。
3.部活で不祥事が起きるメカニズム
2の問題がどう不祥事に繋がるのか。イメージをつかむために2種の教員が不祥事に向かう様子を、心の中の天使(フロイトで言うところの超自我)、あなた(自我)、そして悪魔(イド。無意識)それぞれのやりとりから説明していきましょう。
①熱血教員の場合
あなた「我が部活は順調だ。だがまだ関東大会には届かない…」
悪魔 「もうこの辺でいいだろ。楽しろよ」
天使 「いいや、まだまだ。部活を通じて生徒は自信を手に入れる。
生徒のためにも更なる練習強化を行うべきだ!」
悪魔 「そうは言ってももう体が限界だろうよ。なんかスッキリしないと
やってらんねえぞ。そうだ、練習やってない日も部活やったこと
にして請求しようぜ。実際無給で働いていることも多いんだしよ」
天使 「それは法が許さん」
悪魔 「じゃあ女子マネージャーに肩もんでもらうくらいはいいだろ?」
天使 「それもセクハラになりそうだ」
悪魔 「ちぇ。じゃあこのムシャクシャをどうしろっていうんだよ」
天使 「昇華するのだ。生徒の勝利のために指導にいかせ」
悪魔 「そりゃいいや。ちょっときつくやるぜ?」
天使 「生徒のためだ。獅子はわが子を谷に落とすもの」
悪魔 「OKブラザー。交渉成立だ」
あなた「やる気がないならやめろ!3秒以内に返事ができなきゃボールをぶつける!」
②やめるにやめられない教員の場合
あなた「ああ、今日も休日出勤。本当は力を入れたい教科は全然準備できず
毎日行き当たりばったりの授業。本当もう嫌」
天使 「お前が部活を見なければこの部活は崩壊するぞ。そうしたら周りの
教員、OB・OG、生徒はどう思うだろうな。やれ。それが教員だ」
あなた「だがどんなに頑張っても誰もおれを認めてくれない。もう疲れたよ」
悪魔 「どうせやるなら、何か楽しみを見出そうぜ。そうすりゃ部活をやる
意義が出来るってもんさ。この間ネットで見かけた小型カメラを
部室につけてみろ。毎日お楽しみができるぜ」
天使 「そんなこと許されると思っているのか!」
悪魔 「だがこのままじゃコイツは続かないぞ。部活を見れなくなったら周り
教員、OB・OG、生徒はどう思うだろうな」
天使 「そ、それは」
悪魔 「いいんだよ。散々あの娘どもに尽くしてきただろう?ギブ&テイク
ってもんさ。それに盗撮は見つからなければ誰も傷つかない」
天使 「むう…」
悪魔 「真面目だな。わかったよ。でも妄想は自由だろ?使わねえけどどんな
もんなのか気になるしカメラくらい買わせろよ。案外防犯に使える
かもしんねえしな(ウソ)」
天使 「防犯か。そうだな。そういうことなら買うくらいはまあ…」
あなた「Amazonぽちっとな」
…以上、2つの例を挙げました。無論これらはサンプルとしてわかりやすく加工しているものですが、よくある無意識の動きではあります。
まず、両ケースでは、方向性は違えど自他の境界があいまいになっている様子が見えます。熱血教員は本人の自己実現を生徒の自己実現と一体化させていますし、やめるにやめられない教員は本来別ものであるはずの「自分の評価」と「部活の評価」を同じものとしてとらえてしまっています。
※自他の境界があいまいになると、人は他者に対して「過剰に支配する」か「過剰に支配される」ようになっていきます。一見後者はそれ自体は不祥事に繋がらないように見えるかもしれませんが、悪魔(無意識)は受けた恨みを忘れません。支配され続けた人間は何かのきっかけがあれば恨みをパワーに変えて反撃に出やすくなります。自他の境界があいまいになることは、教員にとって危険な状況なのです。
次に、どちらも悪魔(無意識)は「もうやめとけよ」と言っているのに注目しましょう。ですが天使(超自我)がそれを許さない。結果、抱えた「不遇感」の解消をする必要が出てしまいます。
…ため込んだ「不遇感」は本人の中で最もガードの甘いところからにじみ出ることが多いです。
今回の熱血教員の例では幸い法的に真っ黒な不正請求や性的な問題に向かうことは天使が避けました(代わりにグレーゾーンの熱血指導として正当化されたパワハラに向かったわけですが)。
ですが彼だって女性に対して何等かのコンプレックスを持っていたり、金銭的な問題を抱えていたりと何かしらの誘因が重なれば天使は簡単に悪魔と手を組みます。
※周囲から見れば自分勝手で認められない論理の飛躍だとしても、本人にとっては自我を保つためのある種の「防衛処置」。やってる最中は止められず、捕まったあともうまく説明がつかないのは心の奥底にある天使と悪魔の力関係に自我は気付くことが出来ないためです。
なお、やめられない教員の例でも、とりあえずまだ天使は納得していません。が、ずるずると不祥事に向けて動き出している様子が見えます。
依存症の方などに見られる行動なのですが、「どうしようもない、もうやるしかなかった」と言える状況が訪れるように無意識の内に誘因に近づいていく…というものがあります。不祥事の初回もそれに近いというのがぬっぺふの所見です。
①カメラを買う
②試しに家で使ってみる
③なぜか学校に持ってきてしまう
④夜遅くまで作業していたときなどに設置してしまう
⑤設置したことに後悔しつつ、回収しないとと回収
⑥うまく撮れていないが案外ターゲットが注意を払ってないことがわかり、再度設置へ
といった具合。
なお、授業であれば、教室という空間は他の教員も使うオープンな空間ゆえ大きな問題は起こしにくい。ですが、部活は先述したように「教員の城」と化すことがあります。生徒の活動自体は外に見えやすいものの、教員の悪行自体は隠す余地がいくらでもあったりする。そうした環境は悪魔の力を強くさせ、天使を説得・屈服させる要因にもなってくるのです。
※「よく合理的に考えれば不祥事なんか起こせないよね、割に合わないもん」といった意見を述べる人がいます。ですが、その言い分をする方は「割に合う」と思えれば不祥事を起こせるマインドを持っていると理解してください。ほんの少し悪魔が強くなったならば、天使と悪魔は明らかな違法行為を「割にあうもの」と合意してしまうかもしれませんよ。
…かつては部活で自己実現していた先生も多くいました。ですが、それは時代の空気の中で
「家は放っておいて仕事をしていればいい(という目線がある程度あった)」
「他の業務が少ない」
「周囲の目が批判的じゃない」
「生徒が打たれ強い」
等の要素がからみあって何とか保っていた特定の時代の文化にすぎません。
今の時代において可能かはわかりません。少なくとも、あなたの置かれた状況においてそれが可能かはあなたが判断していいのです。
4.不祥事に繋がらない部活顧問の在り方
さて、これらの状況を整理していくと不祥事に繋がらない部活顧問の在り方は必然的に見えてきます。それは、昭和の世界観の逆を行くことです。
熱血指導 → 冷静な指導
近距離で関わる → 遠距離で関わる
公私混同 → 公私は徹底的に分離
自己犠牲 → 最終的には他者を引きずり込むので自己保護に努める
勝利や結果にこだわる → こだわらない。結果は生徒に返す
理想のチームを作る → 自分の理想を押し付けない
理想を諦めない → 諦める。現状を受けて出来ることの中でやれることを探る。
部活を通じて青春させる → 部活以外でも青春してもらう
といった具合です。こうした関わり方は熱血部活動指導で生徒を変えてきた先生方からするとドライで生ぬるい方法と言われるかもしれません。ですが、彼らがやってきた熱血部活動もしょせん1980年代の社会的要請と当時の教員の一部が呼応した一種の流行に過ぎません。現在は教員不足の世の中。大切にすべきはまず何よりも教員が安定していられることです。
…部活は確かに感動的な思い出も作ります。それらに魅せられた教員、保護者もいるでしょう。ですが、彼らの言葉は依存症者のそれと同じ側面を持っていることを覚えておくべきです。何かを達成することや感動することは脳内麻薬を分泌させる。そこに魅せられたまま現実の無味乾燥に耐え切れない元部活依存症者は沢山いるのです。
――依存症者を治療する際の基本は「本人の責任を肩代わりしないこと」です。
生徒の青春や感動は生徒が自分で手に入れればいいのであって、部活運営についても生徒に責任を返していくことがむしろ時代の中で求められていると感じます。部活が維持できなくなったのであれば、それは「部活」という一つの流行が終わりつつあるということの表れであり、それ自体があなたの能力不足を表すわけではありません。それを勘違いしてしまうと悲劇の始まり。
……既に不祥事を起こした方も、予備軍の方も、「必要以上に責任を負っていないか」「自分の価値と仕事をイコールでとらえていないか」「不遇感をため込んでいないか」といった点は再度見直してみましょう。悲劇を招く前に。
では、またいずれ!
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