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「要領の悪い人」について


 どうも。雨が続いていやだなあと思っていたけど今度は暑くなってきていやだなあと結局どうなっても文句をたれている『元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふ』です

 

 実は最近ずっと頭から離れない言葉があるのです。「要領がいいから定時に帰れるのではなく、定時に帰ろうとするから要領が良くなる」という言葉です。

 某SNSにて有名な先生が仰っていたのですが、何を隠そうこのわたくし、こうした言葉がとても苦手。

 

 というのは、誰が見ても「そうですよね」と思う内容、かつ成功している方が言うから、その正論さパワーが半端ないのですね。そして私は要領の悪い人間ですので、「努力不足人間」としてこの意見の前に跪くしかなくなってしまう。それがなんだかもやもやする。

 

 なので、じゃあぬっぺふ的にはこの「要領のいい・悪い」についてどういう風に認識しているのか?を一度まとめてみようと思いました。

 

 往々にして冒頭のような言葉を投げかける方は、自分が気付いていないだけで大体要領のいい人だったりします。そして、同時に(こちらは妄想かもしれないのですが)要領の悪さに「スキル不足による要領の悪さ」と「人格から来る要領の悪さ」があるということを気付いていないか、両者をいっしょくたにしてしまっているのではないかとも感じるのです。


 というわけで今回は「定時に帰れないのは本人の努力不足なのか?」という問いかけを軸に、「要領の悪い人」について一緒に考えていければと思います。では、いってみましょう。ぶーん。




 

1.2つの要領の悪さ


 ではまず、要領がいい、悪いということはどういうことなのかを考えてみましょう。

 

 辞書では「物事の処理や立ち回り方がうまい」ことを要領がいいと説明しています。つまり物事の処理方法を学んでいったり、立ち回りを覚えていくことで要領はよくなれる、ととることが出来るわけです。


 たしかにタスクリストを整理し、優先順位の高くて早く終わるものから片付けていくなどの対処法を身に付ける…これはまさしく要領をよくする学習の最たる例でしょう。

 よく要領が悪い人の代表例としてADHDの方が挙げられることがあります。私もそうですが、彼らは一つのことに全力投球してしまうので沢山のことを同時進行することが苦手です。

 一方で、彼らは視覚から来る情報の受取は比較的良いということが多いため、タスクリストのように仕事を視覚化していくことでスケジューリングが組み立てやすくなったりします。実際、ぬっぺふ自身も手帳の使い方を工夫することである程度仕事管理ができるようになった面はあるようです。


 一般的に要領のいい、悪いを述べるときにはこうした「仕事を効率よくまわしていくスキルの有無」に焦点が当たることが多いように感じます。

 ですが、実は要領のいい、悪いはこうしたスキルだけで成り立っているものではありません。より根本的なものとして横たわっているものがあります。それが「人格から来る要領の良しあし」です。


 例えば、発達障害を抱えた方は思春期以降周囲とのズレを強く意識することが多くなりがちです。それまでに専門的な療育やペアレンツトレーニングが成されており、本人の自信を十分育てることが出来ていれば、彼らは自身の凸を強みに周囲と関わるようになると言われています。

 では、この療育的な目線が薄い環境で育ち、自身への不信感を抱いてしまっている場合はどうでしょうか?彼らは自身の凹をつよく意識するようになり、威嚇や強がりによって自身が傷つくことを避けようとするか、逆に周囲に合わせるために過剰に自身を擦り減らす生き方を身に付けていく恐れがあると言われています。


 そして、後者の生き方で身を守ってきた方の場合は、他者からの評価を気にするあまり「自身の仕事に手がぬけない」ことや「頼まれた仕事を断れない」ことが多々あるのです。当然人によって程度は違うのでしょうが、中には「頑張らない自分には価値がない」という考えが一種の呪いのように本人の行動を支配してしまっている場合も。

 すると、どんなに彼らがスキル面で要領をよくしたところで結果はかわりません。だってスキルで浮いた分の時間に、他の仕事が入ってきてしまうわけです。


 …なお、上記では発達障害を一つの例としましたが同じような傾向に陥り易いパターンはいくつかあり、「愛着障害(幼少期に親との間で安定した関係を築くことが出来なかった方。いわゆるアダルトチルドレンもこの仲間)」であったり「知的障害のグレーゾーン」なども挙げられます。

 

2.治りにくく理解されにくい「人格から来る要領の悪さ」

 

 さて、独力で改善しやすい「スキルから来る要領の悪さ」と違い、こうした「人格から来る要領の悪さ」は改善が難しいです。なんせ、本人が長年かけて作り上げてきた人格や外界への対処法が根っこにあるのですから、「わかっちゃいるけどかえられない」という状況に陥ってしまう。

 

 先ほど例に出した発達障害や愛着障害、知的障害のグレーゾーン…どれ一つとして「自力で脱出できるよね」と言えるものはありません。改善するには、通常カウンセラーやコーチング、グループワークなどをへて徐々に切り替えていく必要があります


 この「人格から来る要領の悪さ」は他者に共感されにくいのも問題の根を深くします。

 例えば、こうした悩みを相談された場合に多くの方は「自分だって断り辛かったよ。でも自分次第だって」「仕事の力配分は最初はなれないよ。でも時間が解決するよ」等のアドバイスをしてくれるわけですが、実はこの返答は共感しているようで全く共感していません。ここも個人的には落とし穴です。


(中略)

(参考『リエゾン』2巻 ヨンチャン・竹村優作 著 より)


 例えば最近やっと注目を浴びるようになってきた「発達障害のグレーゾーン」。彼らの辛さとして、悩みを相談したときに「そんなの誰にだってあるよ、考えすぎ!」と明るく自分の努力を否定されてしまうところがあるのですが(参考に『リエゾン』2巻の名シーンを挙げておきますね)、人格からくる要領の悪さも同じような面があるのではないかと思うのです。

 

 誰しも思春期に人からどう見られるかに悩みます。そして悩んだ結果、どこかで「自分は自分、他人は他人」と線引きを覚えていき、結果人との距離感を覚えていくことになります。そう、ある意味で言えば誰しもが「人格から来る要領の悪さ」に悩む時期を持っている。そして多くの方はそれを自分なりに乗り越えて今を生きているからこそ、その辛さを克服できると思っているし、克服できないのは本気で悩んでいないからとすら思ってしまう部分がある。

(参考にあげたリエゾンの主人公志保ちゃんはADHDなのですが、それをカミングアウトした時かけられた幾多の言葉の中で最も辛い一言があります。それが「なんでも障害のせいにしていたら成長がないんじゃない?」というものです)


 リエゾンの志保ちゃんのケースのように、くわしく聞き取っていけば悩みごとの大きさがその人の特性、育ち方によって全く違ってくるのだということは気付けるものなのですが、なまじっか「自分だって悩んだんだい」という思いがあると、人は安易に正論を投げかけてしまいがちです。


 

3.要領の悪さの4タイプ


 さて、今回記事をまとめる際ぬっぺふは自身の経験と過去の相談者の話を思い返したのですが、そこで「要領の良しあしを考える際には4つのタイプで考えるとわかりやすいのではないか?」と気付きました。

 何かの参考になるかもしれないので、以下にその4つを挙げていきたいと思います。なお、説明文はあくまで一例ですので悪しからず。

1

​スキルもあり、人格形成的にも要領がいいタイプ。

幼少期からしっかりとした自信を形成してきており、地頭もいいことが多いです。自分は自分、人は人と考えることができるため、境界線をちゃんと意識して他者と関わることができます。

2

スキルはないが、人格的には要領がいいタイプ。

どこか憎めないキャラクターを持っており、ミスもするけれど嫌われません。苦手なこともありますが、人に頼るのがうまいのでうまく仕事を回していけます。

3

スキルはあるが、人格的には要領の悪さをもっているタイプ。

ぬっぺふはこのあたりに属しています。このタイプは要領が悪いなりに努力家で、水鳥のように周囲についていっている印象です。なまじっか仕事のスキルは磨いている(エクセルでの仕事管理をしたり)ことや、周囲にいい人と思われたいという思いがあることなどから仕事が自然と降ってきてしまう所があります。

4

スキルもなく、人格的にも要領が悪いタイプ。

このタイプはとっても悩むのですが、スキルがないために人から仕事が降ってくることがありません。結果、自分さえ開きなおってしまえれば、案外自分の得意なことだけをやってそれなりに仕事を全うできることも多いです。

一方で、スキルを身に付けたいのに身に付けることが出来ないためにこのタイプとなっている方の場合は精神疾患等が起きやすい印象はあります。

 この4つのタイプで、最も辛さを抱え込みやすいのは3つめのタイプと4つめの後者になります。なにせ努力してスキルを磨いている(磨こうとしている)にも関わらず、なぜか仕事が減らない(あるいはうまくいかない)のですから。


 そしてこうした悩みを抱えながらも滅私でなんとか仕事をまわしているところに、冒頭のような発言が飛んでくると、今までこらえていた柱がぽきっとおれてしまうことがあるわけです。特にそこらのおじさんに言われるならともかく、自分が尊敬しているような人に言われるとかなりきつい。

 だって、本人だっておかしいと思いながらも何故か断れず抱え込んでしまっているわけで。自分を引き算し周囲にあわせる中で定時越えしてしまう…といった人は既に周囲には見えない努力を張り裂けそうなほどに積み重ねている。にも関わらず、その努力すら「君がやろうとしないからそんなことになるんだよ」といった言葉を投げかけられたら、そりゃ辛いでしょう。


 そしてついでにあともう一つ辛い点があります。要領よく仕事をするために大切なスキルとして「必要以上に仕事を受けないこと」、「人にふれることはふること」が重要なスキルとして挙げられています。ですが、そうしたスキルを身に付け、要領よく仕事をする人達は誰に仕事をふるのでしょうか。


 …適材適所で皆がwinwinという形で仕事を割り振れるならともかく、大体の場合は、要領の悪い人に仕事は飛んでくるのです。真面目で断らず、滅私をして仕事をしてくれる人。「君にしか頼めないんだよね」と言われると「じゃあやるしかないか」と思ってしまうような人。

 「いや、貴方要領が良くなったと言いますけどその分人に仕事ふってません?」「貴方がやらなくなった仕事、要領の悪い人が引き継いでません?」

 そんなことばっかりではないのはわかりつつ、私が冒頭に記したような言葉が苦手な理由の1つは今まで散々「要領のいい人達にいいように使われてしまった記憶」から、そんな言葉が浮かんでしまうこともあるのかもしれません。


 

4.最後に


 何事もそうですが「やれば出来るようになるのにやらない」といった人々には、その選択を出来ないだけの何かを抱えてしまっている人も必ずいると思うのです。

 そうした部分に思いをはせず。悩んでいる当人の感情に寄り添わず。既に切り抜けた者が一方的な目線で一蹴する。これはやはり、見ていて辛いしやられると痛いわけです。


 なので、要領の悪いぬっぺふから言っておきます。


 要領が悪いこと、定時に帰れないことに悩んでいる人は、自分一人では抜け出せない袋小路に迷い込んでいる可能性もあります。

 必ずしもあなたの努力不足が全ての原因ではありません。むしろ努力しているからこそ仕事が降ってきているのかも。

 冒頭のような言葉を言う人は一定数いますが、それはまあ彼らにとっての真理ということで一度置いときましょう。

 考えるべきはいかに努力すべきかよりもまず自身が要領の悪い人格の要因となる要素を持っていないか、4つのタイプの中ではどこに属しているかの分析です。

 …ともかく、要領の悪さを単純に自身の努力不足に結びつけず、むしろ自分の土台になる部分に悩みの根本がある可能性も視野に入れること。それだけでも頭の片隅にいれておいて頂ければありがたいです。


 さて、今回の内容は「要領の悪い人」をひとつテーマとしましたが、今回取り扱った


「悩みの深さは人によって違うこと」

「乗り越えたものはその違いに気付かないことがあること」

「やれば出来るはずのことにとりかかれないのは、それなりの理由を抱えているのかもしれないということ」

 

 …これらを考えながら言葉を紡ぐのはあらゆる人に寄り添う際の基本中の基本です。こと思春期の少年少女に触れ合う教員であれば本来絶対認識していなければならないこと。


 今回この記事を読んでいて「ああ、こういうこと言われて嫌だったなあ」と感じた方は、同じことを気付かぬ内に生徒に対してもやってしまっていないか、一度振り返りをしてみるのもいいかもしれません。人のふりみて我がふりなおせと昔の人もいいましたから・・・


 さて、それでは今回はここまで。ではまたいずれ!










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