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なぜ不祥事教員はへらないのか?


 どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。


 今回はなぜ不祥事教員が減らないのか?という問いについて、実際に教員として働き、最終的に不祥事教員として職務に幕を下ろすことになった自身の体験を軸に私見を述べさせて頂ければと思います。


 正直、このテーマを当事者が扱うこと自体が批判の対象となるのだろうとも感じます。

ですが、そうした世論そのものが不祥事教員(さらに言えばDVや痴漢といった教員に限らない問題も)を減らすことのできない理由の1つでもあると思うのです。


 誤解をしてほしくない点として、私はなにも不祥事を容認したり、自身の過去を正当化しようとこうした試みをしているのではありません。

更なる加害者も被害者も出さないために、自身にしか伝えられないことがあると思うからこそこうした記事を書いています。

なので、「変態の言い訳」と一蹴せず、一度目を通して頂きたいのです。

とくに、今教職についており一生懸命働いている方には。


さて、それでは不祥事教員が減らない理由について、早速見てみましょう。



 

1.まずは不祥事防止の取組について知ろう


 まず、不祥事防止の取組としてどのようなことをしているかについてご存知ない方もいると思いますので軽く触れておこうと思います。無論、県や市によって多少の差異はあるのかもしれませんが、基本的には以下のようなことをやっていると思ってください


① 過去の不祥事事例を列挙し、処分についても並べて記載された資料を配られる

  52歳男性 盗撮 更衣室にカメラをしかけ撮影した 

  処分 懲戒免職、退職金没収 といったような。


② 不祥事を起こすと本人にどのような不利益があるかについて、詳しく説明

  例 退職金没収、社会的制裁、刑事的責任、民事的責任…


③ 不祥事は教育に対する信頼を揺らがせる行為であることを認識するよう説かれる


④ 自身に危険な面がないか、各自で確認する

 (場合によってはチェックシートのようなものを使う場合も)

  例 生徒と1対1で密室で会ったりしない、生徒と個別の連絡先を交換しない、   

     性的な傾向に問題や悩みがないかについて考え、早めに相談する…


・・・上記したような内容を職員会議の前後に20分ほど時間をとり、みんなで確認しあってお終いです。案外さっくりしたものでしょう?



2.なぜ対策が効果をなさないか


 結論からいいます。まず1.で述べたような対策には根本的な誤解があるのです。


 痴漢を無くすプロジェクトについての記事でもお伝えしたように、本来ある種の犯罪を減らしていくためには「なぜそうした事件がおきたか」の分析をし、加害者も被害者も生み出さないための取組をしていく目線が必要だと思っています。対外的な厳罰化のみでは特定の状況下では減らすことができても、根本的な問題解決には至りません。


 これはなにも突飛なことを言っているわけではありません。例えば非行少年を減らしていくためには環境面の整備や成育歴の分析、本人からの聞き取りなどをくり返し、普通の少年が非行少年へと変わっていく背景を明らかにすることが重要です。


 同様に、本来不祥事教員を減らしていくには「なぜ不祥事教員となってしまったのか」「何があればそれを防止することができたのか」を探る必要があるはずです。


 多くの不祥事教員が犯行の理由として「欲求を抑えられなかった」「問題と認識できていなかった」などと述べていたのを見たことがある方もいるでしょう。つまり、不祥事教員は不祥事を起こすとどうなるかを知らなかったから止められなかったという話ではないのです。だからこそ厳罰化によって数がへるというものでもない。自身の客観視と先のことを考えられないくらいに衝動性が高まった状態だったわけなのですから、厳罰化したところで同じことが起きてしまいます。

 大切なのはなぜそのような「止められない状態になってしまったのか」。また問題になるような行動をとっているにも関わらず「自分は問題ない」と思ってしまえていたのか。

 その背景を探り共有していった方が、毎年代わり映えしない不祥事一覧のようなものを告知されるだけの対策よりもよっぽど効果があると思いませんか。


 ・・・ところが、多くの不祥事防止の取組は先述したような資料を片手に「不祥事教員の個人的変態性、問題性」をセンセーショナルに取り扱い、原因を本人のみに転嫁していってしまいます。結果、学校側は不祥事は本人が悪いのであって教育現場自体に責任はない、こんなバカなことをするなよ!という形での研修しか実施ができていないのが現状です。起きた事象への分析もなければ、当事者からの声など無論そこにはありません。


3.不祥事の原因は個人にのみ所属するのか


 本日一番の炎上ポイントですね。・・・誤解を招かないように伝えておきますが、私はたとえどんな経緯があったにせよ不祥事の責任は本人にあるという立場です。やってしまったことについては反省し、しかるべき方法で罪を償い生きていくべきと思っていますし、自身もそうしています。

 

 ですが、教員の起こす不祥事の原因全てが本人の因子によるものか?と問われるとそうと言いきれないとも思っています。現状の学校のひずみ、過重労働に伴う精神的な疲労、人間関係の縮小、そして「楽をする気になればいくらでも楽に過ごすことのできる環境」等、本来民間企業であればメスが入っているべき点が置き去りにされている現状が不祥事の促進に寄与している可能性も視野に入れていくべきです。

 ・・・「個人の人格の問題性」のみを理由として終わらせてしまうと、こうした様々な側面からの検討が行われず、結果環境面の配慮で止めることのできていたはずの不祥事についても減らせないということになってきます。それは、もったいないじゃないですか。

 

 政治の不祥事が明るみに出た時を考えてみて下さい。ある政治家一人の人格の問題に落とし込まれてごまかされてしまいがちですが、実際は政党の文化が色濃く反映しているケースもあります。一部の政党からばかり不祥事がわいて出てくるのはそうした政党の文化が変わらないがためでしょう。全体のあり方は個人にも影響を与えるのです。


 私が熱血教員として勤務し、不祥事教員として職務をおえるまでにも現場では様々な問題となるケースが起きていました。生徒と恋愛関係に陥ってしまった教員、実際はやっていない部活動の休日手当を堂々と申請していた人、体育の授業中に女生徒の体に触れてくる人…中には顧問の罵倒から自殺を図った生徒もいましたし、妻の職場では未成年と淫行を行った教員もいました。

 しかし、上記のケースの内不祥事として教員が処分されたものは最後の1つのみです。

 そして、そのケースについても学校全体での原因検討や防止に向けた本質的な対策検討は一切なされていません。それ以外のケースについても暗黙の内に処理が進むか問題として取り上げられることすらなかったというのが当時の状況でした。


 本来であれば1つの問題の裏にはいくつもの問題が隠れているのが世の常です。全体で問題について話し合い、なぜそうした問題が起こってしまうのかを考えていかなくてはならなかったのではないかと思います。ですが、実際はそうした動きがされることはごく稀です。


(・・・これについて「学校は隠ぺい体質なのだ」という批判もあるかと思いますが、私の感覚としては学校は特段隠ぺい体質ではないと感じています。ただ、扱う問題がデリケートかつ生徒の精神状態にも影響するものの場合、どうしても大事にならないよう、関係者間で円満に終息するようはからざるを得ないという点(私の不祥事についても多くの方が生徒・保護者の不安をかきたてないよう尽力して下さったと聞いています)はあり、そうした点が周囲の不信につながってしまう部分はあるのでしょう。

 こうした特徴はいじめなどの問題対応の際には悪い側面が出てしまい後手に回ることが多いのですが、こと教員の不祥事についてはむしろ学校に漂っている「自分の縄張りに影響がなければどうでもいい」という昨今の空気感、そしてその結果として起きてしまう「グレーゾーンや不祥事の予兆である教員の行動に対するアンテナの鈍さ」が問題なのだと思っています。)


 

4.本日のまとめ


 というわけで長くなりましたが、今回のまとめです。


①教員の不祥事を消すには不祥事を学ぶ必要がある

②しかし、現状の対策では不祥事防止策の検討はするものの「不祥事を学ぶ」「分析する」という視点が欠けている

③結果、できることは「不祥事を起こすとこんなに怖いことになるぞ!迷惑かけるぞ!」という形でしか対策研修を行えない

※しかし、当事者の語りを聞く限りでは不祥事を起こす怖さを知らないから不祥事が起きているわけではない

④不祥事の再発。生徒や学校への影響を最小限に抑えるための事後処理に追われる中、事件は「不祥事教員の人間的資質」によるものとされ、忘却されていく

⑤過去の経験から学べない。活かせない。防げる不祥事を防げない。再発する


このループが学校で起きている事態だと思ってください。ループが断ち切られるビジョンが見えますか。

 

5.ではどうするべきなのか


 簡単です。私のような不祥事教員達から学ぶのです。人間、成功の仕方は様々ですが失敗ややらかしのパターンは案外共通するものです。ほんもののしくじり先生から探るのです。

 

 なぜ熱血教員で学校にも多くのプラスをもたらした人間が不祥事を起こしてしまったのか。なぜ世間的に成功しているはずの彼が生徒を殴り、謝罪動画をアップロードさせるなどという暴挙にまでいってしまったのか。妻も子もいるあのひとが、危険とわかってなお未成年と淫行に及んだのはなぜなのか。


 1つ1つの背景を探っていく中で、必ず不祥事に至る道筋が何パターンか見えてくるはずですし、不祥事を促進しやすい土壌についても把握することができると思います。あとはその道筋をいかにそらすか、また土壌をどのように改善するかを各現場で議論していく。ここまでやって初めて不祥事防止の取組と言えるはずなのです。


 実際はそれが難しいこともわかっています。今でこそこうして自身を分析し、不祥事防止のための取組をと動きだしている私ですら、出来れば過去の自身の行いをなかったことにしてしまいたいと感じることがあります。

 ましてや学校としては個人の問題で片が付いたものを掘り返し、学校側の配慮で止められる可能性があったなどとなってしまった際には正直面倒くさい限りです。お互いに腫物に触れないようにしていくのが傷を広げない一番の方法なのでしょう。


 ですが、教員の不祥事は予測不能な事故による外傷ではなく分析次第で数を減らせる病気です。そうであれば、一時的には患部の切除で対応せざるを得ないにしても、切除したサンプルから得られるデータはとっておくべきだし、時には学校という本体の問題点が発見されたとしても収穫として次に生かす姿勢が必要なはずです。


 だから私はこのサイトにて情報提供を続けます。いつか教育に携わる誰かが見てくれるために。不祥事教員となりかけている誰かが別のルートを歩むきっかけとなれるように。学校と不祥事教員が対話をし、よりよい不祥事防止のあり方を作っていく可能性を信じながら。

 

 次回は私個人の例を元にしながら不祥事に至る教員のたどった道をいくつかお伝えできればと思います。いわば、『なぜ不祥事を起こしてしまったのか(ぬっぺふ編)』です。変態の言い訳と一蹴せず、次回もお付き合い頂ければありがたいです。











 








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