以下には、不祥事が発覚してから約半年近くの間の記録をなるべくそのまま記載していきます。当時の不安定な気持ちをそのまま載せるため、今のぬっぺふの考えとは違う思考も書かれていますが、あえてそのまま載せていきます。
なぜならば、自業自得とはいえ辛くて抜け道のない日々をさまよっている時にインターネット上で出会った「私たちはトンネルを抜けて今ハッピーです。いつか報われますよ★」といった内容の文章は見ていてとても辛かった記憶があるからです・・・。
(そしてなぜかインターネット上はそうした記事が非常に多い…)
…どんぞこ状態の自分が読んで、「あーこの気持ちわかるわー」と思えるようなページがあってもいいのではないかと当時からずっと思っていました。
当HPも実体験をもとにアドバイスをしていくHPになってしまうからこそ、上記したような「あーこの気持ちわかるわー」といった内容、つまり当時の自身の状況も晒していく必要があると思います。
なお、以下の内容を整理し、大体どのくらいの時期に心境の変化が訪れているかといった表についても後日整理してみようと思いますので、「ぬっぺふがどう思っていたかなんて興味ないやい」という方はそちらの記事をご覧くださいませ。
と、前口上はここまでとして、
とりあえず無職となってから警察の聞き取りが終わるまでの記録、いってみましょう。
※自身の特定=被害者の特定でもあるため、細かい情報については多少の手直しをしていますが、それ以外は無修正です。なお()内の色付き文章については現在のぬっぺふからの補足となります。
※ぬっぺふの家庭状況は、妻・長男(当時2歳)、長女(当時0歳)です。
ぬっぺふの行った不祥事の詳細は被害者特定につながるため詳細にはかけないのをお許し下さい。とりあえず軸は盗撮と思って頂いて結構です。
30日目。
無職1日目。朝5時起床。警察や記者の動きがないか周囲を見張る。もしそうした動きがあった場合は先にこちらから出ていきインターフォンを鳴らさせないためだ。長男のトラウマを増やしてしまうわけにはいかない。
その後、通常通り公園へ偽装出勤。その後諸々の手続きのため市役所へ。
結論から言うと、共働きでなくなる以上このままでは妹は兄と同じ保育園には入れない。俺のせいだ。
妻のあの表情。最近見ていないからと勝手に許された気になるな。なぜこんなことになっている?全部俺のせいじゃないか。
午後は携帯ショップと児童館。その後記者回避のために外食。寝る前は近隣の別保育園探しを行う。
31日目
午前は保育園見学。
午後は渋谷の遠藤嗜癖問題相談所にて初回面談。
当初の予定よりも40分も長く話を聞いてもらえた。
街を行く女性に対し、怯えを感じている自分がいる。加害者の俺がこうなのだ。被害者は今どのような気持ちで日々を過ごしているというのか。
俺には罪がある。罰があって当然だ。けれど、被害者には罪もない。なぜそんな思いをしなくてはならないというのだろうか。その不条理が、俺がやったことなのだ。
32日目
午前はまた別の保育園へ。その後市役所へ年金や健康保険の切り替え等の動きを取りに行く。午後は弁護士の所へ。進展は特になし。
33日目
妻は葬式で教会へ。その間、子ども達を連れて神社と児童館へ。その後買い出しに行き、夕方に帰宅。
被害者に謝罪がしたい。が、本人たちの気持ちを考えるとやはり弁護士経由しかないのだろう。というか、多分今何を話しても言い訳になってしまう。やはりこうなった以上、できることはひたすら非を詫びることと、金銭的に償える部分についてちゃんと向き合って賠償することしかまずはないのだと感じる。
妻は葬式で70歳から洗礼を受けた男性の話を聞いたそうだ。洗礼を受けたことにより、それまでの70年も神が付き添っていたことに気が付くことができたとのこと。そういう感覚は大切なんだろうと思う。性への依存から脱却するにはスピリチュアルなものも必要と聞いた。今まで俺には神はいなかった。結果、生きることの意味が自分にしか向かわなかったし、よりよい生き方とは自分が楽に、尊敬されるような生き方だったと思う。
多分それじゃ駄目なんよ。だから他者にも、被害者にも思いを馳せられなかったんだよ。
ADHDとASDは俺にとって大きな悩みの種だったと今は思う。けれどそれでも信仰や信念があれば。周囲の評価ばかり気にする生き方をしなければ。そもそもストレスをストレスと感じないように生きることもできたのではないか?
34日目
公園にいる人々が生徒の保護者に見えたり、同僚に見えたりと気が気じゃない。これが犯罪者の心理なのか。これから先常にそうした不安に怯えるのだろう。それも俺の贖罪の1つだ。
ただし、被害者にとって、何の罪もないのに人ごみにおびえなくてはならないのだとしたら、とてもひどい話だし、そうさせた犯人を恨むだろう。
俺がしたのはそういうことだ。
35日目
普通の人に勝てる気がしない。それは犯罪の有無という意味だけではなく、人としてのゆとりだったり自信だったりの面で。きっと俺がとてつもない苦労をしながらやっていたことを、普通の人は感覚で理解し実行できるのだろう。
(このあたりの感覚は不祥事発覚の数年前から鬱的な状況となっており自身の作業スペック等がかなり落ちていたことも関係していたと思います。今この文を読んでいる方も、疲労、依存、鬱等が脳の処理能力を落としてしまうことは医学的に証明されていますので、どんぞこの今が自分の全ての能力ではないことは頭の片隅にいれておいて頂ければと思います)
俺は自分が通常や正常ではないことを認めた上で、どうすれば普通になれるのかを真剣に向き合う必要がある。きっとそれもさらなる被害者を出さないことに繋がる気がする。
夜は深夜まで謝罪文の記入。
36日目
心療内科へ定期受診。
「ここでは性依存について出来ることはないため池袋の榎本クリニックに行ったら?」と言われる。先生の話では「行為障害になっているから、ちゃんとした医療機関でみてもらった方がいいと思う」とのこと。
父が調べたところ、依存系に強い群馬の赤城クリニックの出先機関のようなものが東京にあるらしい。まずはそちらでプログラム等をやっているかどうか、聞いてみるのがいいのかもしれない。
なお、医師からは精神保健福祉手帳については問題なくもらえるレベルとのこと。市役所で聞いてみてくれと言われたので、弁護士にそうした動きをとっていいかを確認してから動く予定。
姉に自分の口から伝えなくてはと悩む。どこかで都合のいい時間を探して、電話せねば。
37日目
1日過ごすだけで金を浪費するごくつぶし。それが今の俺だ。嘆かわしい。
午前はまた別の保育所を見学。午後は謝罪文を完成させる。
弁護士との定時連絡では障害者手帳についての話をする。
今まで感じてきた生きづらさのようなもの、性的なものにはまりすぎていること、そうしたものの理由はこの期間の中で少しずつ見えてきた気がする。それらを踏まえたうえで、しっかり罪を見つめ反省せよ。
39日目
午前中、部屋の掃除。学校関連のものの整理を少しする。もう二度と授業をすることはない。もう二度と部活の指導をしなくていい。もう二度と生徒指導をすることはない。もう二度と文化祭を考える必要はない。なぜなら、自分の手で打ち砕いたからだ。
今も学校では俺の空いた穴を誰かが埋めてくれている。被害者は頭を抱えている。忘れてはならない。自分で打ち砕いたし、傷つけたのだ。
長男の保育園だって存続できるのかわからんのだ。
この小康状態の日々に甘えるな。やるべきことをやれ。
40日目
午前中に弁護士の所へ。謝罪文についての確認がメイン。
午後はまた別の保育園の見学にいったのち市役所へ。保育園の希望変更届出す。
その後、障害手帳の話を聞きに行く。持つことのデメリットは自分が障害を持っているということを認識せざるを得ないということ、だそうだ。
(実際は前回の記事で示したように、新規の生命保険等が制限される、ローンが組めなくなるといった可能性もあります。もし手帳を取る場合、今保険に加入している方は一時的な金銭面の負担軽減のために安易に保険を解約することは避けしっかり吟味してからすすめるようにしてください。ぬっぺふの場合は諸々考え教員時代に入っていた保険の継続がリーズナブルだったこと、終身保険については貯蓄のようなものであること等を考慮し、教員時代の保険を継続しました)
こちらからすれば、むしろ今までの生き辛さの大元は障害のためだったのかと納得しているくらいである。
まずは障害があることを認め、その上で二度と過ちを犯さないよう自分の行動、生き方すべてを変えていくのだ。自分が撮ってしまったものを警察所にて被害者が見ている姿を想像しろ。家族が見ている姿を想像しろ。どれだけショックを与えるか。どれだけ罪悪感があるか。その感覚を二度と忘れてはならないのだ。
41日目
午後3時から心療内科へ。手帳を取る準備として診断書を書いて頂く。
手帳を取ることは今後の生き方を考える上で必要な行為だし大事だと思う。
けれど、自身の障害の面を自身の罪を正当化する理由にしてはならない。そこは気をつけろ。
(障害…というか発達の凸凹がある方の場合犯罪の原因とはなっていなくても犯罪につながる遠因にその凸凹から来る生き辛さが働いているケースは多いと感じます。そのため、言い訳探しになってはいけませんが、自分の発達の凸凹を知っていくことは重要です。)
42日目
午前中、実家で学校から持ってきた荷物を整理する。個人情報が含まれそうな会議資料等も多少混じっていたこともあり、庭で荼毘にふす。色んなプリントやら思い出が灰となっていく姿は色々考える部分がある。授業プリントなども見て、俺は教科が大好きだったと強く感じる。どこかでまた授業をする機会はあるのだろうか。YOUTUBE?
43日目
子ども達と公園へ。2人ともとても楽しそうにしていた。今こうしていられる時間は最後なのかもしれないことを肝に銘じておくべきだ。いつ、離婚になっても、逮捕されても、おかしくはないのだ。
夜、ネットで自分の名前が特定されていることを知る。覚悟はしていたはずだが、やはり心がざわめく。その気になれば住所の特定もたやすいはずだ。何がおきても、しっかり受け止めろ。ともかく妻、子ども達へのダメージを減らすことがすべてだ。それ以外を望むな。
そして、自身のことばかりに目が行きがちな時期になったが、被害者の方への反省を忘れるな。俺が特定されたということは被害者もほぼ特定されたようなものなのだ。自分のことだけ考えているなよ。これが俺のしてしまったことなのだ。
ともかく罪と向き合い続け、反省を続け、再発を防止し、そのうえで何が何でも家族を支える方法を考える。結局この4つしかないのだ。今の俺には。
44日目
昨晩はよく眠れず。半分起きているような状況が続く。
名前が特定されているのは怖い。個人情報がどこまで漏れるのかも。怖がるのは結構。けれど、それ以上に自分がやってしまったことを考えろ。家族に迷惑がかからないよう頭を悩ますのはいい。けれど、自分が感じる恐怖でふさぎこんでいたら周りを余計心配させるだけだ。どんと構えろ。先日の最後の繰り返しだ。
45日目
相変わらず眠りは浅い。朝の見張りが甘くなっている。家族のために自分の大変なものは全部我慢できると言ったのだろう?何甘くなってきているの?反省してないの?
日中も強烈な眠気に負けて昼寝してしまった。結局妻に大変なことを全部やらせてしまっているじゃないか。
(当時、心療内科に通っているにも関わらず薬=悪というイメージが強く、私は抑肝散という漢方のみを処方している状態でした。今にして思うと、鬱状態が強くでてきていたため、早期に服薬していくべきだったのかもとも思います。)
夜、義母にいつ伝えるのかということについて妻がここ最近ずっと考えてきていたというプランを聞く。そうだ。隠しても仕方ない。包み隠さず伝え、そのうえで別れざるを得なくなるならそれは仕方ないことだ。1つの嘘を隠すには30の嘘が必要になる。正直に生きろ。
46日目
また小康状態へ。けれど、いつどのようなことが起きてもおかしくない。覚悟は、決めておけ。
障害者手帳の件で市役所へ。なお嬉しい誤算として保育課さんから、障害者手帳が取れるのであればその控えで十分保育園の審査も対応できるとのこと。神に祈るしかない。何とかなってくれ。俺はともかく、子ども達には罪はないのだから。
一方で、親の因果が子に報いという言葉もある。重荷を背負わせないですむためには何をすべきか、よく考えよ。
47日目
甘い物が食べたいが、お菓子を買う権利は自分にないと感じ小麦粉と砂糖でドーナツを作る。天気が悪かったせいもあり、ダラリと過ごした感のある1日だった。
48日目
心療内科へ定期受診。主治医は自分が榎本クリニックへ行っていないことについてデイケアを嫌がっていると取らえている印象。医師側は遠藤嗜癖問題相談所についても調べたりはしていない様子。なお、睡眠薬については処方して頂く。いずれにせよ手帳申請のための診断書が出来たので市役所へ。
なお、心療内科にいる際に弁護士より連絡。被害者の一人が告訴を決意し、示談の場合は相場の数倍以上の金額を提案してきていることを聞く。予想はしていたものの、いざ提示されると自分勝手に嘆く気持ちが現れる。反省しろ。それだけのことをしたのだ。一人よがりになるな。俺は加害者だ。被害者は一方的に攻撃を受けたのだ。俺は断罪されるべき犯罪者なのだ。そして、しっかりしろ。子ども達にとっての最善とは?
49日目
実家へ。昨日妻とも話した、お金で解決できる部分は子ども達のためにもやっていくべきなのではないかという点について相談。父母もそれに同意。金銭面でのサポートも出来るとのこと。
一体俺は何をやっているのだろう。多くの人を傷つけ、その補償に本来引退して安寧の日々を送るはずだった父母を巻き込んで。償いきれるのだろうか。ともかく、自分が引き起こしたものがどれだけ大きなものであったか、それを噛みしめた上で今思う最善を尽くすしかない。その最善は俺にとってだけではなく、被害者にとっての最善でもなくてはならない。誠意を忘れるな。
追記
仕事がなくなったせいもあるかもしれないが、自分が中学生になっている。
周りの大人が別世界の住人のように感じる。眩しいとともに怖い。自分には授業と生徒に向き合うことしか技能が無かったことを痛感する。何も経験を活かせる気がしない。年を取っている分、中学生よりタチが悪い。しかも犯罪者だ。そんな俺を使ってくれる会社があるというのか?この眩しさと怖さは、ある意味もう手の届かない別世界の住人であることを身体が感じ取っているのかもしれない。
追記2
それでも、子ども達のために血反吐を吐いてでもやるべきことをなしていかなくてはならないのだ。
50日目
睡眠薬のおかげでここ2日は比較的長めに寝ている。夜になると寝るのが怖くなる。寝ると起きるのが怖くなる。死ぬのは嫌だが、いっそ朝が来ないで欲しいと思っている自分がいる。自己中なやつだ。
いずれにせよ今眠れる時はちゃんと寝ておくことだ。
子ども達と過ごせる時間はもしかしたらもう少ないかもしれないのに、気分がふさいで前向きに接せない。すべて自業自得だというのに、女々しい奴だ。
今日やっと自分に裏切られた側の女性の気持ちを強く感じる瞬間があった。俺はやはり自己中なのだ。この後におよんでまだ本当の意味で感情を理解できていなかったのではないか?自分のことばかり、言い訳ばかりに頭を取られていたのではないか?そんなつもりはない。そんなつもりはないが。でもまだまだ、反省すべきことは沢山あるのだと思う。自分では今までずっと反省してきたつもりだった。けれどまだ、しきれていないのだろう。
理屈ではなく、心で捉えなくては。
51日目
ここにきて色々なことが見えてきた気がする。取り調べの構造。被害者の気持ちになるということも、また一段階理解が深まった気がする。そのせいもあって1日中罪悪感で体が動かない。朝が怖い。起きていることが辛い。現実逃避だ。うけとめろよ。
弁護士の方と話した結果は以下の通り。
1.先生の考える今行うべき最善の動きとはどのようなものか
解答
告訴をうけると罪状が一段階かわり警察の動きが分からなくなる。
逮捕ができやすくなる。可能性を減らすという意味で考えると示談すべきだが、提示された金額は民事裁判の結果支払うことになる賠償金の相場より大分高い。
2.示談について
息子や娘への影響が少しでも小さくなるよう、出せるものについては出していく方向で考えている。
妻、父母とも相談済。その上で気になる点としては以下の点がある。
(1)被害者は金額次第で示談を受けるつもりはあるのかどうか
→あると思う
(2)金額について交渉の余地はあるのか
→難しそうである。本人の意思と違う所にあるかもしれない
(3)交渉があるならば、その際こちらの状況についてうまく話してもらうことはできるか
→すでに色々話してはいる。
(4)直接会って交渉してもらうことは出来ないかどうか
→警察に告訴するかどうかを伝えにいくという日に会って話せるようには試みるが、同行者もいるとのことでむずかしいかもしれない。
3.今後起こりうる展開について
→示談が成立していかない場合には個別に逮捕の可能性もあり。
各被害者ごとにその都度抑留されたりすることもありうる。
4.その他の被害者との件について
(1) 中心的な被害者のもう一人について
→この間ファーストコンタクトをとった。やりとりはできるが、謝罪文を読みたいとは思いませんとのこと。今週どこかで金額の提示含め確認することになる。
(2)各生徒との対応
→まだ未定
実家への定時連絡(偽装出勤の帰り道)時、母がつかれていた。俺のせいだ。母の寿命を奪っているのかもしれない。
自分のすべてを変えなくてはいけない。この50日、自分は何か変えられただろうか?ポルノを絶った。家事に前向きに取り組んだ。だが、まだ根本が変わっていないのではないか?自己中なのではないか?必要なのはデイケアなのか?人生経験なのか?薬なのか?いずれにしてもまだ俺は自己中な気がする。
ミヒャエルエンデの『はてしない物語』の中で、最も人生において必要なことは「愛することが悦びであること」を認識し、愛したいと思うことと書かれていた。俺は、本当の意味で妻や子供達を愛したい。自己愛の延長としての愛ではなく、本当の、無償の愛を。他の人達に対してうらやんだりけなしたり不満を並べるのではなく、人を愛したい。きっとそうした根本的な愛が無かったから、今回のような自分勝手な行動が生まれてくるのだ。
52日目
父母と共に弁護士の下へ。父母は比較的冷静にこちらの成育歴や性格を伝えてくれた。でも、本当に父母が伝えてくれたような善良な人間だったのだろうか。こと性的な部分についてはやはりねじ曲がって育ってしまったのではないか。今自分の行動を思い起こすと、本当になぜこんなことが出来たのかと思うことばかり。
とりあえず、弁護士からは被害者との示談が成立しそうなので現金で用意をとのことだった。銀行で振り込みをしたときの通帳残高を見て、金額の重みを痛感する。金額の問題ではないとはいいながら、この金額は俺一人の稼ぎではなく、妻の支えのもと、子ども達のためのお金としてたまっていたはずのものだった。
この金額があれば、大学も問題なく通わせられたし世界一周だってつれていけた。俺が払った金額は、子ども達に与えることができたはずの可能性であり、妻の支えだ。俺以外全員被害者だ。子ども達も妻も父母も姉も当然被害者も学校も生徒もみんなみんな。俺の勝手な行動がこれだけの影響を与えた。自分が許せない。嫌いだ。けど、死ねない。結局、死ぬのは怖いし、無責任だ。ではがむしゃらに働いて経済的損失をうめられるかというと今はそんなことできない。
俺にできるのは、正直に事件に向き合うだけだ。ならば、ささいなことでも弁護士に伝えていないことはしっかり伝え、ちゃんとした対応をしていくしかないのではないか。
遠藤嗜癖問題相談所では以下のことをまずしっかりやることと言われた
① 性的なものを全て捨てる。
② 一切見ない
この2つが最低条件。出来なかった時は必ず正直に言う。把握できなくなると手がつけられなくなる。これができれば道に向かっていく。
そのためにも今は危険に近付かない。性的なものに近付かない。街中でミニスカートとか見ても目で追わない。目をそらす。なんなら場所も移動。
これをやらなきゃ、先はないのだ。ちゃんとやれ。
53日目
午前中いっぱいふさぎ込む。眠いわけではないが布団の中でうずくまっていないと落ち着かない。うずくまると結局寝てしまうのだが、夢の世界に逃避したがっている感じだった。校長先生から久しぶりに連絡あり。示談の件話す。6時半頃、弁護士から電話あり。示談成立。もろもろの確認があるから明日来てほしいとのこと。実家&校長先生に報告。
子どもの寝かしつけ後、妻と話す。「別れて懲役でもなんでも受けた方がいいのではないかと思う自分と、やっぱり一緒に過ごして、家族のために頑張っていかなくてはと思う自分と、2種の自分がいる」ことを伝える。
妻は「今の長男には父が必要。思春期の頃父に犯罪歴があることを知ったときどうなるかが問題。その時にそれでも一緒にいたいと思えるような父親になるしかないのではないか」との言葉。
俺は変わらなくてはならない。性的なものから目を背け、人の悪口をいわず、物事のいい側面を見るようにし。仕事にがむしゃらに励まなくてはならない。
54日目
午前は弁護士の所へ。被害者からの意見は「反省の意思が感じられない、本当にお金を払ってもらうのが正解だったのかわからない」、といった話をされたとのこと。
俺はやっぱり根本的に自己中なのだ。謝罪文を書いている時は一生懸命人の気持ちになって書こうとしていたが、やはり技巧的になっていなかったか。やはり俺は根本的に人の気持ちに共感することが苦手なのだろうか。一つ言えることは、俺はそれだけ人を傷つけてしまった犯罪者であるということだ。懲役になっても、実名報道されても、何をされても文句を言えない人間なのだ。被害者の気持ちを常に思え。自分が同じことをやられたら?自分で思う以上にわかっていないのだと思う。それじゃ駄目なんだよ。
55日目
午前中は部屋の配置変え。午後は妻の通院への運搬とエレキギターの処分を行う。新しい心療内科探しは行っているもいい所が見つからず。引き続き検討していく。
なんとなく過ぎた今日も、多くの人を苦しめている1日なのだと感じる。各犠牲者は今何を思いながら日々を過ごしているのだろうか。示談は済んだとはいえもう一人は。そして生徒達は。学校で俺がやるはずだった授業をやっているのは別の先生だ。部活の大会引率は副顧問がやるのだろう。なんとなく過ごさせてもらった1日は、多くの人の辛さの上になりたっている時間なのだ。犯罪を犯すというのはそういうことだ。ただ生きているということが誰かの苦痛になるということだ。
今できることは①反省を続ける②新しい心療内科を探す③今後発生するであろう経済的な危機に向けての準備を行っておくことだ。
56日目
昨日はなんとなく過ぎた日なんかではなかった。妻はその間も様々な葛藤を抱えた上で、なんとか犯罪者との日常を作り出してくれていたのだ。なんとなくは感じていたが、やはりそうなのだ。自分も、義母にどうつたえるべきなのか、イメージしてみたりしていたが妻からしてみれば「なぜこんなことに苦しまなくてはならないのか?」という思いは消えないだろう。改めてここまでの備忘録を見直しても、自分のことが先に来ている。何の罪もないのに、被害者は自分の生活を脅かされ、今後俺に似た人物を見るたびにこのことを思い出すんだ。トラウマを抱えて生きることになるかもしれないんだ。妻にしても、自分の7年間は何だったのかと思って今日を送っているのだ。本当に俺という人間は度し難い。人のために生きなくてはならない。
57日目
心療内科を探す。ただし、これは言い逃れのためにやっているのではない。今後同じような被害者を生まぬためにも自分の特性を理解しなくてはならないからやっていることだ。そこはちゃんとやりなさい。
明日は生徒達が連絡を受けてからちょうど1月。そちらもそろそろ動きがあるのだろうか。忘れるな。俺が眠れぬ日々を過ごしているように、彼女達も眠れぬ日々を過ごしたのだ。不安を覚えて生きているのだ。そして俺と違って彼女達は何もわるいことはしていないのだ。その理不尽を。忘れてはならない。
58日目
午前中、胸が苦しくなって横になっていた。また今後のことを考えたのか。今、できる反省、謝罪、そうした目の前のことに集中しないでどうするというのか。この間抜けめ。
めぼしをつけていた心療内科は火曜からしか開いてなかった。明日電話してみよう。
午後、警察から連絡あり。数日後に話を聞きたいということだった。ともかく、真摯に向き合うことだ。それが被害者の負担を軽減するし、自身の罪に向き合うことになるはずだ。
59日目
体に症状が出ている。具体的にはむずむず症候群(アカシジア)が再発した。
銀行の記帳と電話番号の変更をしにいく。嫌な話だが金勘定もしていかないといけない。通帳の金の出入りを確かめておく。
夕方、橋の上に行ってみる。飛び降りれば終わるのかもしれないが、臆病者の俺にはそんな度胸はない。そう思って水面に目をやったら、ちょうど山際に太陽が沈み、それが川に反射しているところだった。風もなかったから水面には山が映り綺麗だった。しっかり真摯にいきなくてはと思う。
60日目
体の症状は昨日よりは緩和。午後、父母が来て義母にどう伝えるべきかの相談をする。お茶くらい出せばよかった。往復長い時間かけさせて、ちゃんとしたもてなしを出来なかったのは、よくないことだと思う。そういうところで人を慮ることをやっていかないと、本当の意味で人のために生きるなんて夢のまた夢だ。
61日目
午前中は買い出し、午後は弁護士のもとへ。警察の取り調べ時の注意点と今後の動きについての伝達をうける。もう一人のメインの被害者が示談に応じてくれて、生徒が被害届を出すことを思いとどまってくれるというのが一番幸運なパターンなのだと思うが、与えた精神的苦痛を考えると難しいようにも思える。もし自分が長女にそんなことされたならと考えると、親がまず黙ってはいないだろうとも思う。誠意を持って向き合うことを忘れてはならない。
義母に伝える日程を再検討。父母とも相談の上、日程を調整。本当に多くの人を巻き込んでしまうことなのだ。犯罪というものは。俺を知っているすべての人を裏切る行為だったのだ。そして俺を信頼してくれた人達を傷つけたのだ。クラスの生徒、部活の生徒。直接的に被害を受けたわけではなくとも、彼らも被害者なのだ。俺は今まで出会ってきた2000人近くの人を裏切った。傷つけた。苦労をかけた。これを重罪人と言わずしてなんというのだろうか。
62~63日目
少し日誌を書くのを忘れていた。緩んでいるのではないか?気持ち的にはずっとふさいでいた。今後の筋道が見えない。事件はいつか一区切りつくのだろう。だが、その先が全く持って見えない。ただ一つ言えることは、すべてを失い人生が積んでもおかしくないギリギリの所で俺が自分を保っていられているのは、家族のおかげだということだ。被害者への償いと反省をしっかり誠実に向き合い、区切りがついたならば。今度は家族のためだけに自分の人生を使っていかねばならない。自分の気持ちに振り回されるな。
64日目
警察の取り調べをうける。途中20分ほど鑑識による写真撮影DNA提供などを実施。それ以外は1日中聴き取り。本格的に犯罪者である。今日で一応終わりということで就活開始OKと伝えられる。検察から警察に宿題が出るケースもあるようだが、今回のケースでは8割方ないのではとのこと。油断はできない。
明らかに安心した様子があったのだろう。家では妻から「被害者の気持ちを忘れていないか」「もっと被害者になじられればよかったのに」という話をうける。自分自身、この60日以上どう過ごしてきていただろうか。「ちゃんと考えてる」とムッとする自分がいる一方で、本当の意味では考えられてないのではないか?と思う自分もいる。
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