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ぬっぺふの実体験記③


 

実体験記も3回目となり、毎度の口上とはなりますが、念のため。


以下には、不祥事が発覚してから約半年近くの間の記録をなるべくそのまま記載していきます。当時の不安定な気持ちをそのまま載せるため、今のぬっぺふの考えとは違う思考も書かれていますが、あえてそのまま載せていきます。


 なぜならば、自業自得とはいえ辛くて抜け道のない日々をさまよっている時にインターネット上で出会った「私たちはトンネルを抜けて今ハッピーです。いつか報われますよ★」といった内容の文章は見ていてとても辛かった記憶があるからです・・・。


(そしてなぜかインターネット上はそうした記事が非常に多い…)



 …どんぞこ状態の自分が読んで、「あーこの気持ちわかるわー」と思えるようなページがあってもいいのではないかと当時からずっと思っていました。


 当HPも実体験をもとにアドバイスをしていくHPになってしまうからこそ、上記したような「あーこの気持ちわかるわー」といった内容、つまり当時の自身の状況も晒していく必要があると思います。



 なお、以下の内容を整理し、大体どのくらいの時期に心境の変化が訪れているかといった表についても後日整理してみようと思いますので、「ぬっぺふがどう思っていたかなんて興味ないやい」という方はそちらの記事をご覧くださいませ。



今回は警察とのやりとりが一段落してから、今できることを探し出す時期の記録です。今すぐに対応しなくてはならないことが少なくなり、自分の今後を考えだす時期となったため、今まではりつめて表に出来っていなかった「自分は再起できるのか?」という悩みに押しつぶされている様子が現れてきます。では、いってみましょう。

※自身の特定=被害者の特定でもあるため、細かい情報については多少の手直しをしていますが、それ以外は無修正です。なお()内の色付き文章については現在のぬっぺふからの補足となります。

 

※ぬっぺふの家庭状況は、妻(事件発生時育休)・長男(事件発生当時2歳)、長女(事件発生当時0歳)です。


 ぬっぺふの行った不祥事の詳細は被害者特定につながるため詳細にはかけないのをお許し下さい。とりあえず軸は盗撮と思って頂いて結構です。


65日目

 午前中は父母と姉がやってくる。

 姉の言った「乗り越えるのではなく、背負っていくことになる」「よくも悪くも考えない。今やるべきことをやる」といった言葉はその通りだと思う。

 午後は銀行と市役所へ。国民年金は妻の扶養になっていたようなのでそこはよかった。


(ただし、その後障害者手帳の効力によって失業手当を貰える日数が増えたことにより扶養から外れることになっています。配偶者の方が勤務しており、そちらの扶養家族に入る場合は、ちゃんと基準を満たしているかにご注意下さい。扶養家族の範囲については配偶者の方が入っている社会保険の種類によっても変わってくるので、直接聞いてみるのが一番かと思います)


 夕方、被害者の一人との示談が成立した連絡を弁護士から受ける。最後までこちらの家族を気遣ってくれていたとのこと。すごい人だ。なぜこんな人を裏切るようなことをしてしまったのだろうか。

 俺は一体何なのだろうか。俺は自分のすべてをぶち壊したのだ。一生の友人となれるはずだった人達との関係を。平穏な学校生活を。妻との良好な関係を。子どもたちの将来を。自身の夢を。生徒の思い出を。ありとあらゆるものをぶち壊して、今俺に残ったものはなんだ。人間の屑じゃないか。大人としてまともな対応もできない。字も汚い。唯一自分の武器とばかりにためこんだ知識は活かせない。他者への共感ができない。やることがトロい。決断力がない。犯罪者だ。懲戒処分をうけた。衝動にかられると大切なものすらぶち壊してしまう。いいところがない。こんな男と一緒に過ごさなくてはならない妻はもっともっと辛いのだ。なのに俺は夜一生懸命話してくれる妻に対して何も伝えられなかった。それどころか不安にさせた。自分の弱さを見せて、わかってわかってと駄々をこねるガキのような行動をしてしまった。自己嫌悪だ。くずだ。生きている価値あるのか?川を見に行きたい。


(懲戒免職になる2年ほど前から、やりきれない気持ちが高まると夜中にこっそりと裏手に流れる川を見にいっていました。時には大雨の中わざと傘もささずに出ていき、人気のない河川敷の公園で「死ねー死ねー」などと叫んだりしていたこともありました。その時点で普通じゃないと気付いていたならばあるいは…)


 けど妻に気付かれれば心配されるし、いけない。首にベルトを巻いてみる。力をこめると思いの他スッキリするから怖い。危ない。あれに手を伸ばしていればいつか事故でほんとうに死ぬと思う。ともかく最低だった。俺の態度は。


66日目

 午後は弁護士のもとへ。昨日電話で受けた話を再度確認。妻が被害者の女性にあてて描いた手紙については次の会合の時に持ってきてくれとのこと。警察の動きについては来月から再来月中に書類送検。検察の動きが決まるまでにはさらに2か月ほどかかるらしい。

 また、報道については可能性は大分少なくなったと言いつつもゼロではないらしい。タイミングとしては書類送検のタイミング。そう考えると、ここを過ぎるまでは大きな動きはできないということかもしれない。

 なお、現在実名がのっているサイトについては被害者が「私達まで特定されてしまう」と訴えるならともかく現状ではどうしようもないということ。就職の動きも大切だが、自身の障害を改善することも忘れてはいけない。2本柱でやることを注意される。

 仕事について調べる。造園にあこがれだしている。


67日目

 妻と日中造園の会社を遠目に見に行く。仕事をしている人、自分の生業がある人を見るとつぶれそうになる。自分で壊しておいて。多くの人を傷つけておいて。そのくせしておれは失った自分の未来に一番打ちひしがれているというのか。いい加減にしろこの自己中め。仕方ないのだ。失った生業も未来も。すべて自業自得なのだから。そのせいで苦痛を負った人々、経済的な損失だってある。俺一人の問題ではない。今学校ではまだまだ現在進行形で迷惑をかけているのだ。少し落ち着いたからといって自分のことばかりになってるんじゃない。


68日目

 午前中は渋谷へ。遠藤嗜癖問題相談所では回避行動、捨てるを徹底することを再確認。言われたのは、嗜好と犯罪の橋渡しをしてしまう論理、ストレスであったり、それを発散する動きであったり。そうしたものをちゃんとみつめて改善していかないと「再発します」とのことだった。きっとそうなのだ。アル中だってそうだと聞く。俺はまだ甘いのかもしれない。今回乗り切ればもう二度とこんなことはするまいと思っていたが、きっと多くのアル中患者、性犯罪者はそう思っているのではないか。それでも再犯は起きるのだ。甘くみるな。絶対に治療するのだ。そのためにも、仕事は自分の適性、能力のキャパシティ、そうしたことを理解したうえで考えろと言われた。

 俺は就職を1に見ていたのではないか。そうではないのだ。家族のために、自分のために、被害者のためにしなくてはならないのはやはり治療なのだ。そういう意味では榎本に通うべきだったのかもしれない。いや、たらればの話だ。ともかく、カウンセラーの話をしっかりうけとめ、日々を過ごすしかない。やることをやれ。


追記

午後、せっかく妻が作ってくれた一人の時間なのに動くことができなかった。無気力で、なにもできなかった。これじゃだめなのに。


69日目

 無気力、力が出ない、立っているのが辛いということが増えてきている。息子達が家にいる間はその時間を大切に向き合わなくてはならないはずなのに、自分の精神状況のせいで余裕がない対応になっているのを感じる。

 つまるところ自分の言うことを聞かせたいのだろう?息子を管理したいのだろう?かつて生徒にそういう目線で接してしまったように。

 そのくせして普段は全力で子どもの相手をできていない。気分の波に↔される。それだから俺の言葉に耳を傾けてくれなくなるのではないか。俺はそんなに大層な人間か。もっとどっしりできないのか。

 今日は大きな公園へ。11時半ころついて、午後3時までいた。長男はトランポリンのような遊具が気に入ったらしく楽しそうにしていた。ただ、常にうずまくのは「今こんな時間を過ごしながら、裏で何がおきているのか」「周囲にいる人達と自分の間に横たわる絶対的な溝」の2つだった。

 

 まだ、これからなのだ。俺のしたことが広がり、迷惑をかけるのは。そして、この溝は埋まらないのだ。死ぬまで背負う咎なのだ。俺はこの感覚を一生引きずって生きていくのだ。でもそれを受け止めるべきなのだ。もしその感覚を失う時があるとしたら、それは次の罪が近付いてきている時だ。

 ただ、精神的に病んでしまうと迷惑は結局家族に向かう。精神は前向きに保ちつつ、罪は受け止め反省を続けなくてはならない。困難なことだが、それをやっていく必要があるのだ。明日は気力を保ちたい。


70日目

 午前中は公園へ。『もう、怒らない』という本の中で、今すべきこと、目の前のことではなく「終わってから何しよう」と考えているのは「迷い」なのだという。だから、公園では残り時間ばかり気にするのではなくなるべくその瞬間を本気になるようにした。たしかにこう過ごせるのならば色々なものが見えてくる気がした。

 出会う人、テレビに映る人、みんながすごい人に見える。俺は、何者にもなれない人間になってしまった。

 夜、妻と話す。俺のことを信頼してくれていた妻を裏切ってしまっていたこと、本当に取返しのつかない重罪だと思う。一生をかけて、償い続けろ。償いきれるものではないことはわかっているが、それでも。


71日目

 夜、ひとりいく思想という番組を見る。「何者にもなれなかった人は、何者にもなろうとした人なのではないか」という言葉になぜか涙がでる。親鸞、一遍、芭蕉、西行、空也…最終的にはありのままに近付いていき、最後は自然の中にふっと背中を見せながら消えていく。存在の軽さ。消化器系は重い。循環器系の問題ではむしろ人間の存在の軽さを気付かせてくれるとか。そのとき、今まで蓄えた知識とかは重く感じるようになるとかなんとか。


72日目

 長男が熱を出し、1日家で過ごす。自身の得意としていた分野の番組を見て、「あ、わかる」と思うたびに、もはや自分に必要のない知識であったと思いなおす。本当に、教科を教えることは好きだったのだ。自業自得で授業をする機会を永遠に失った。自分目線ではあるが、本当に人生を棒に振った。途中長女と少しお散歩。それでも世界は綺麗だった。


 途中途中で、裏切られた生徒の気持ちや「自分を見つめなおすように」と手紙を出してくれた元同僚の気持ち、色んなことを考える。被害者はどのように今過ごしているのだろうか。仲の良かった同僚はどう感じているのだろうか。

 俺は数千人から指をさされ話題にされる性犯罪者なのだ。その事実を所々で再確認し、悲しくなっている自分はなんとも愚かだ。

 何気なく過ごしている今は貴重な時間だ。いつ生徒から賠償請求がくるかわからない。検察がどう動くかもわからない。義母が事実を知った時にどう判断するかだって。良くも悪くも通常運行な時もあるが、安易に日常に回帰するな。エロを絶て。子どもと遊ぶ時間を大切にしろ。神を感じろ。誰かが上から見ているのだ。

(ぬっぺふは結局無宗教の鎖から解き放たれることはありませんでしたが、それでも今は以前より草木や岩石、虫、鳥といった自然に目を向けたり、以前より視野が広がった気がします。自分を見つめることと神や自然といった大きなものについて感じる機会を増やすことはどこかで繋がっているのかもしれません)


73日目

 長男の熱が下がり、公園へ。格安スーパーで買ったおにぎりとパンを食べる。わずか数百円を節約しなくてはならない状況を作ったのは俺だ。子どもに対しを怒ったり諭したりするとき、常に頭のどこかに「お前が言うな」という気持ちが浮かぶ。今俺にあるのはなんだ。使わない知識、積まなかった労働経験、未熟な精神…俺は使えない人間だ。


74日目

 心療内科へ。自立支援制度の効果は偉大。480円で診療でき、ひと月分の薬が900円ほどで手に入った。午後は長男の熱がぶり返し、病院へ。


75日目

 長男病み上がりにつき1日家で過ごす。途中ではがき買う、スーパーに水をとりに行く、はがき出す、髪切りに行く、写真とると俺は何回も外出したが、妻は家の中だった。申し訳ない。長男がなおってきたかわりに長女が熱になる。

 メインの被害者は自分にとって大切な後輩だった。それをいざとなれば踏みにじれる人間なのだ。その自分の持っている愚かさを、暗部を、つねに心の中で認識し繋ぎ留めなくては、またどこかで誰かを傷つけることになるのだ。

 写真もとった。時期も整った。いよいよハローワークへ行く&義母に伝えるという動きが来週始まる。どのようなことになっても俺がしなくてはならないのは反省と、家族のために働くということだ。落ち込むのと反省は違う。落ち込むのはむしろ自分目線の行動だ。わかってはいるのだが。



76日目

 今すべきことを書き出してみる。先行きがわからない不安はぬぐえず。翌日のハロワにそなえ準備をする中で、退職票が必要ということにやっと思い当たる。そんなことすら調べきってなかった。何をやっていたんだ。このひと月半。


77日目

 ハローワークへ。駐車場にて電話で前勤務校に連絡をとり退職票の話を伝える。なおハローワークからは「もしかしたら手帳を持っていると受給期間が延びるかも」とのこと。制度が一般の雇用保険とは違うこともあり一応県教委にも確認してみた。必要書類そろって申請に行く際に窓口で確認するとのことだった。ハローワークでは求人を見てみるも、大変な現実を突きつけられたような気がした。1日精神は不安定。障害者雇用専門の就職サイトAtgpにも連絡をとってみたが、治療の関係で使えないかもしれない


78日目

 これでいいのか。何かやらなくてはならないことがあるのではないか。あれだけのことがあったにも関わらず、最近エロへの興味が再燃していないか。波だ。定期的にくる禁断症状だ。耐えねばならない。それができないなら、生活を変えるなんて無理だ。文をかけ。仕事を探せ。他者の気持ちを慮れ。


79日目

 長男の誕生日。義母へのカミングアウト準備。いざ伝える日が来たとなると、身震いする部分はある。なぜ伝えるのが怖いのか?それは義母からの自分の評価が下がるからだ。子ども達との生活が崩れるかもしれないからだ。つまるところ、自分目線な世界観だ。明日は沢山なじられるべきなのだ。うちのめされ、死にたくなるくらいになるべきなのだ。その方が自身のしでかした罪の重さを認識できるから。そう思っていよう。誠意を見せるしかないのだ。俺にできることは。


80日目

 義母に事の顛末を報告。

「負い目が残る中、長男を本気でしかることができるのか。コンプレックスがDVといった形で出ることだってあり得ると思う」という言葉に対しては「そんなことはしない」と言いたかったが、言えなかった。

 後、妻はそれがショックだったと言っていた。言いきれなかったのは俺の弱さ。でもそういう危険性もあるのかもしれないと認識しておくことは大切なように思う。絶対にしない。妻からは「離婚しなくてよかったと思わせてくれるんだよね?」との質問があった。俺はここで約束した。その約束を裏切ってはならない。


81日目

 県庁に失業手当をもらうための書類を出しにいく。計11Kmくらい歩いたら靴擦れした。県庁では担当が不在で残念ながら手帳云々の話は聞けなかったが、無事提出することができた。また、気になっていたハローワークの若者向けのセンターも様子をうかがえた。そこで担当の方からは、


「やってしまったことは消せない」

「誰だってはたけば埃は出る。貴方の場合はそれが少し大きかっただけのこと」

「企業の方が見るのは今までもあるが、これからのヴィジョン。雇うことでメリットがあると思われれば雇ってもらえる」

「ネットを見られたらと、そこまで気にしていたら動けなくなっちゃうし自信もなくなっちゃう。足をひっぱろうとする人がいるだけのこと」


といった言葉をもらう。今は自己分析の時期だそうだ。自分が何に喜びを感じていたか、何が嫌だったか、そうした些細なことを十数年分書き出してみることと言われた。

 また、セミナーの申し込みもできたので2つほど申し込んでおいた。色々と動けた気がする。劇的な動きはなくとも地道に何かをやっていくしかないのだ。


82日目

 遠藤嗜癖問題相談所へ。性的犯罪加害者に向けた認知行動療法プログラムの開始は検察の動きがはっきりと決まった後になるらしい。カウンセラーの方からは「早く受けて次に進みたいという気持ちはわかるが、土台が安定していない状況では入るものも入らない。諸々の決着がついてからの方が良いと思う」とのことだった。

 今やっている「ものをポジティブにとらえる」「心の中の言葉遣いをきれいにする」といった点について引き続きやっていくべきと言われた。

 少しはいい方向に向いているのだろうか。就職について、「覚せい剤などで逮捕されて無職になった人はそのあと就職できているのか」という問いに対して「なんだかんだみんな就職している」との答えだった。

「いきなり正社員とはいかなくとも何とかなっている。心配しすぎない方がいい」とのこと。気休めなのかもしれない。また、その人達は特殊な技能があったのかもしれない。それでも、多分心配しすぎない方がいいのだ。自分の武器を認識し、なければ作る努力をすることだ。反省と猛省は絶望することとは違う。前向きに動くことと反省は両立するはずだ。


追記

義母からは「2年くらい勉強して公認会計士の資格とったらどうか。覚悟をみるためにも子ども達から離れて単身赴任的に」とのことだった。そうした道も当然あるのだと思う。すべての人の言葉に抵抗や回避を覚えるのではなく、受け止めることが大切だ。


83日目

 子どもを連れて実家へ。思えば教員の頃は土日は部活でこうした時間をとることはほとんど出来ていなかった。

 長男は結構気楽しんでいた様子。昼、妻から連絡あり。就職を見据えて苗字を妻側に変更するという可能性も模索はしていたが、妻の妹から「家の名前を汚されたくない」との反対もあり無くなった。現状では今後の家族のあり方としては子どもが成長した時に名前から身元が判明し、子どもが攻撃される可能性を少しでも減らすために籍を外すという方向となる。つまり、妻とは事実婚で、法律上は俺と長男、長女は他人になるということ。これが俺のやったことの報いだ。一緒にいられるだけマシだと思うしかない。

(ネットでの検索対策として苗字の変更はおそらくそれなりに有効です。自分の過去を隠しながら就職をしていくのであれば。ただし、経歴を伝える中で必ずぼかさなくてはならない部分が出てきたり、そうした面を経歴詐称とつつかれる可能性もある以上、一番よいのは全てをさらけ出した上で働かせてもらえるところを探していくことなのかとも思います。後日別記事で就職についてはまとめていこうと思います)


 俺には何も無くなるな。友人、趣味、生きがい…すべてを失っていく。それだけのことをしたのだろうと理屈では理解しつつも、失われていくすべてをあきらめきれない未練たらしさよ。


84日目

 11時くらいから午後4時半くらいまで一人の時間となる。求人を探したりする。一人に耐えられず、Amazonprimeにて映画『インターステラ―』を流しながらやる。劇中、息子から十数年分のビデオレターをまとめて視聴するシーンで何かのスイッチが入って号泣。なきわめきながら頭をかべにぶつけたり、絶対できないくせに包丁を持って腹にあててみたりとかなり情緒不安定だった。そして極め付けは子ども達を大切にせねばと思っているにも関わらず、一人でいるとわきあがるマスターベーションへの欲求。自己嫌悪。情緒不安定。一人でいるのは良くない。今後こういう時間がある時はなるべく図書館にいくなど手をうつべき。そうしないと、マスターベーションでの安易なストレス発散に逃げるか、鬱的になって死にたくなるかどっちかに落ちてしまう気がする。


85日目

 午前中は自己分析をして過ごす。パソコンではなく手で字を書くというのはいい。集中できた。


86日目

 ハローワークの若者向けのセンターへ。福祉現場の仕事についてしっかり話を聞いておきたくて訪問。自分の行いについても伝えた上で、可能性について聞く。障害者の通所施設と介護ならば可能性はある様子。しっかりとした法人なら給料も少しずつあがるとのこと。社会福祉協議会もいいと言われた。ただ、介護は人の命を預かる仕事だ。それに携わる覚悟があるのかと言われるとどうなのだろう。職場見学と説明会をうまく活用して、イメージをつかむことが大切かもしれない。


87日目

 自分の誕生日。こんなに誕生日を怖いと思ったことはない。ただ歳を重ねてしまった。

 午後は新しい精神科へ。そこではカウンセラーによる面談も併設しており、話を伺う。キャリアコンサルタントの資格も持っているとかで、就職に向けての色々な話をした。「たった一度の失敗でそんなに落ち込まないでよ」という言葉は確かにそうなのかもしれない。それにも拘わらず、性的なものへの欲求は油断すると鎌首をもたげてくる。駄目だよ、しっかりしなくちゃ。今家にはポルノはない。気を付けるべきはネットだ。


88日目

 昼過ぎまで図書館へ。日本人の給料大全を見て、崩れる。今探している職種と教員の50代時の年収は500万違うそうだ。子育てが落ち着いた後での500万。旅行も行けたろう。遺産も残せたろう。すべて自分でぶち壊した。女々しいんだよ、お前。自分でやったことをいつまでも悔やみやがって。


89日目

 明け方、金縛り。眠りながら長男の声が聞こえたと思ったら、ざわざわというか物音がホールからしはじめる。このままではもっと怖いものが出てくると思って無理やり起きる。そんなことがあったからか1日調子が悪い。ひたすら眠い。歩きながら眠れるくらい。そして鬱。自分が何かできると思えない。そんな状況で一緒にいても子ども達も楽しくないよな。しっかりしろよ。

 午後は近隣の就職支援施設に行くも自身が通うには合わない印象をうける。おそらく今俺がとれる方法は大きくわけて3つだ。

 1つは今のまま受かることができる場所で働くこと。

 2つは長い勉強期間などを経てでも3年後くらいに花開けるように動くこと。

 3つ目は1と2の組み合わせ。例えばバイトをしながら勉強するとかのパターン。障害者枠でいい所を探すのがいいのだろうか?

 基本、1日鬱。夕方は涙がぼろぼろと…


90日目

 妻が実家へミーティングに行く関係で一時的に子ども達をみる。児童館に行くときに荷物とミルクを忘れていた。俺の馬鹿。妻と若者センターでいくつか教えてもらった資格の内、社会福祉士という資格について調べてみる


91日目

 午前はハローワークへ行き、退職票に印を押してもらう&相談&求人検索。相談については、まだ十分未経験の求人を狙っていける年齢とのこと。過去についてはごまかすと解雇の事由になるから、言うしかないが、それをどこまで減点するかは正直人事のタイプによるとのこと。何ができるかはわからないが、探してみるべきなのだろうか。

 夕方、ニュースで若会社員が殺された葬式での父親の様子だとか、小学生が車にひかれて死亡といった内容を見る。本当に子ども達が元気で一緒にいられるならそれで幸せなのだ。俺の自己実現なんかよりよっぽど大切なことだ。


92日目

うつ度高し。


93日目

 失業手当を受け取るための要件となるセミナーの受講。今回はテーマが入門編ということもあってかおためごかし的内容でもあったが、こうしたものを受けに行くのはいいことだと思う。ただ、相変わらずうつ度が高い。


94日目

 実家へ。うつ度高い。情緒不安定。俺は何歳になったのだ。小学生か中学生のようじゃないか。


95日目

 精神科へ。自立支援医療の受給者証を持っていくのを忘れて定額払う。もったいない。仕事を探していることについて先生から「もう性的な問題は大丈夫だと自分で思うの?」と聞かれて「大丈夫だと思う」と曖昧にしか言えなかった。先生は「自信を持ってやりませんと言えるようになるまではやめといた方がいいんじゃないか」とのこと。先生からは「根本のADHDの症状自体は対処のしようがあったのでは。むしろ話を聞いている印象では自己肯定感の低さが色々なことの原因になっているのでは。自分をコントロールする力をつけなくてはならない…」といったことだったか。

 たしかに、自分のADHDの部分を必要以上に問題視してなかったか。うまく自信をもって動いていた時期もあったじゃないか。部分部分では自信を持たなくてはならないのかもしれない。

 夜、長男を見た瞬間。マイナスになっていた感情が一時的に+に振れた。こいつの笑顔のためなら、なんだろうが頑張れる気がした。ともかく今は情報が不足している。ちゃんと働いている現場を見たい。働いている人の話が聞きたい。熱が冷める前に説明会やら見学を手配すべきだ。


96日目

 遠藤嗜癖問題相談所へ。朝早く(といっても7時ちょいで朝練をやっていた頃に比べれば十分遅いのだが)出るのが久しぶりなので、体がなまっていると感じる。渋谷に早く着きすぎたので、何人かの友人には電話番号の変更メールを出してみる。届いていればいいのだが。

 相談所で言われたのは「仕事は何とかなるから自己否定をしすぎない」ということだった。理屈としてはわかる。が、感情が処理をできない。辛い。仕方ないのだが。

 その後自宅へ帰ってくるが、妻達は4時半ころ帰るとのことでぽっかり空白があく。不安定。YouTubeを流したり気を散らそうとするも、なかなか落ち着かず。帰ってくる前には「まだ帰ってくるな」「早く帰ってきてくれ」という矛盾した感情で思考がぶれる。帰ってくると感情は+に振れるのだが。


97日目

 感情がまたマイナスに振れている。動く気になれず、グロッキー。少し寝る。その後は求人などを調べるも、いまいちまとまらず。多分俺は今決断を恐れて後回しにしようとしている。息子が帰ってきて感情は多少戻るも、7時頃までは全体的にグロッキー。夜は睡眠導入剤飲んでなかったこともあって10分おきに目覚める感じだった。相変わらず朝が怖い。物音が怖い。


98日目

 午後、障害者就労移行支援事業所の見学へ。結論から言うと、ここを利用することにはならなそうな気がした。

 帰りの車の中で、方針が定まったような気がした。今までも妻と話をしていたのだが、自身の行ったことの背景に発達障害ゆえの過剰な適応、そしてその負担をごまかすための誤った対処法が軸になっているとすればそうした人々に気付くきっかけを提供していきたいというのが今の本音だ。だが、そのためにはまず障害分野にて働く必要がある。その世界に入っていく必要がある。入所施設では性的な問題を抱えている人間を雇うことは難しいのではとも聞いた。ならば目指すのは障害者福祉の通所施設。そのために、この失業手当の期間を勉強と研修にあてる。


99日目

 失業手当を受けるためのセミナー受講。セミナー中はリーダーシップもとって動けており、必ずしも自身の能力が低いわけではないのだと感じるのだが…。

 福祉専門の紹介窓口では「時間を使って治療と勉強を進めるのがいいと思う」とのことだった。帰る時、不安にかられる。顧客に手を出す可能性のある者をやとうのか?元障害者入所施設にて働いていた父は言う。「お前がやることやってあとは選考する相手次第だが、正直障害福祉の人手は常にたりていない。パートなどで様子をみたりしてみようかなくらいには思うはず」とのこと。不安だ。俺はまた間違った方向にブロックを積み上げ始めているのではないか?でも今は父の言葉を信じるしかないのだろう。


100日目

 遠方で開かれていた福祉の合同面接会に参加する。高齢者介護も生きがいがありそうだなと思った。各事業所との面談ではカミングアウトして聞いてみる。印象としてはかなり厳しい。でもそれも検察の結果次第なのかもしれない。ともかくやることやるのだ。


101日目

 ハローワークへ。窓口にて「貴方なら障害者求人枠ではなくても働き口はあるのではないか」と伝えられ、障害者求人を利用する手続きはまだしないでおく。職業訓練のことを聞こうと思ったら30分待つことになったが取れ高はあった。結論から言うと、職業訓練、通信での社会福祉士の勉強、失業手当は共存できる。動く準備をしておくこと。


追記

ニュースで若い女性が35歳無職に殺された。犯人と俺との間にどれだけの差があるというのだろうか。親にとっては大切な娘。直接手を出したか、間接的に手を出したかの違いだけだ。俺は卑劣な犯罪者だった。今、前に進もうとするときだからこそ忘れてはならない


102日目

 うつうつとした気持ちが消えない。朝が怖い。物音が怖い。死にたいけど死にたくない。図書館に行って障害の本を借りる。読む。けどこれが何かなるのか?郵便局言って為替を買ったりいくつかやることをやったし、動いている時は少しマシだけど涙が出る。死にたいけど死にたくない、朝怖い、自分が嫌い、気持ち悪い、もういろいろぐちゃぐちゃしてくる。


103日目

鬱度 朝100%→朝食後80%→夕方4時半頃~10時20%→寝かしつけ後100%


 朝何もしたくない。気分が晴れない。結局いろんなことが妻任せになっていて余計「俺はだめだ」と感じる。仕事をやっている時から身体症状等はあったわけだけど、自分で犯罪を起こしておいて鬱こじらせるとかマジで何なの。

 公園で出会う人すべてが立派に見える。俺はなんなんだ。中学生の心のままなのか。辛い。けど自業自得で。乗り越えるしかないのに。鬱の波に勝てない。自信がない。不安が消えない。予期不安というらしい。先のことを考えてはいけないらしい。とりあえず動くことが大切らしい。なんだ、みんなのアドバイスはあっているじゃないか。俺は素直に周りの声を信じてやることをやっていけばいいのだろうか。でもそう思っていても気分に振り回されるのだ。鬱だ。こう書いていると本当にそうなるのではないか?でも書かざるを得ない。鬱の波が来ている。まるっきり笑えないとかじゃないし甘えなのか?新型うつなのか?全部がしなくてはならないことに満ちている。趣味でさえも。自分で作り出した期間だ。うけとめるしかないのだ。けどこの鬱、なんとかしないとまずい。今鬱になるわけにはいかないのに。心療内科でお世話になるべきはADHDよりも鬱かもしれない。健康でいなきゃ乗り切れないというのに。うつうつうつうつうつうつうつうつつつうつつああ病んでるな。タイプしながら心を落ち着かせている面はあるのだと思うが


 少しわかった。周りのアドバイスは正しいのにいつも不安になるのは。周りのアドバイスを信じられず、自分の不安を信じる自分がいるからだ。つまるところ人を信用しきれてないんだ。自分が好きなんだ。最低だな。こうやって自分を攻撃することで許されようとおもってんの?自分を攻撃すればするほどまた不安定になっていく原因になるってのに、何やってんの。とりあえずこんなことやってる暇あるならまだ面白い動画でも見て寝た方がましだろ。

 ああ、結局自己否定が気持ちいいのだな俺は。駄目だ。今日はダメだ。変わろうとか前向きな言葉も出てこない。今日はダメだ。明日は変わるかもしれない。所詮気分の問題なのだから。でも今日はダメだ。今は嫌な波が来てる。駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。いやなんとかしろよ。なんとかなるよ。笑えよ。笑えないとダメになるよ。自分を肯定しろよ。頑張ってる所もあるんじゃないのか。妻が不安がるよ。駄目だよ鬱にひたっちゃ。家族のためになんでもするって言ってたろ。そのために健康に保てよ。

 ああまとまらない。いつまでも文が続いていく。これが俺の思考回路だ。言葉を捨てたい。こんなことになる前からこの感覚は強かった。言葉を捨てたい。近視眼的に今目の前にあることだけを不器用なりにやっていければ幸せなのに。


追記

 今後の参考にするために鬱度を記入してみる。続ければ傾向が見えるかもしれない。


104日目

鬱度 朝70%→日中70%→夕方50%→寝かしつけ後60% 

 日中の眠気がひどい&寝かしつけ中の体のむずむず(アカシジア)がひどい。午前中は児童館に行く。妻は絶対に寝ないでねと言っていたが、案の定眠くなった。無気力になる→思考が内向きに→何も考えたくなくなる→眠くなる という動きのループ。しゃきっとしなきゃなのだけど。寝かしつけ後はひたすらむずむずする。まずい。医者に相談すべき。


105日目

鬱度 朝10%→日中0%→夕方0%長男と前向きに遊ぶ→寝かしつけ後母からの電話を機に妻と少し暗い話に。鬱度20%


 朝、起きた時から「あ、今日いける気がする」と思う。案の定気持ちは前向きに過ごす。よーくわかった。死にたい気持ちも大きな不安も焦燥も自己否定もつまるところすべて気分の問題なのだ。天気と同じようなもんだ。永久には続かない。それを次の鬱期には認識しておくことだ。そしてそういう日は無理せず休むことだ。

 午前は弁護士のもとへ。妻と義母が今後同居生活を継続するにあたり最低条件として作成した誓約書について弁護士に見てもらうことになる。

 内容については納得はいく。これが戒めとなり幸せな家庭生活に向かうのなら大歓迎だ。だが、実母は不安らしい。一緒にやっていくということは円満な家庭を築くために協力するということ。ルールで縛ることはまた過剰適応を起こしていく原因にならないかとか。俺がこうもりのように動くことによって母にも妻にも嫌な思いをさせた気がする。しっかりせねば。

 午後、暖かい陽気の中妻と散歩をした。ジャムパンを買いに。幸せだった。


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