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ぬっぺふの実体験記④


実体験記も4回目となり、毎度の口上とはなりますが、念のため。


以下には、不祥事が発覚してから約半年近くの間の記録をなるべくそのまま記載していきます。当時の不安定な気持ちをそのまま載せるため、今のぬっぺふの考えとは違う思考も書かれていますが、あえてそのまま載せていきます。


 なぜならば、自業自得とはいえ辛くて抜け道のない日々をさまよっている時にインターネット上で出会った「私たちはトンネルを抜けて今ハッピーです。いつか報われますよ★」といった内容の文章は見ていてとても辛かった記憶があるからです・・・。


(そしてなぜかインターネット上はそうした記事が非常に多い…)




 …どんぞこ状態の自分が読んで、「あーこの気持ちわかるわー」と思えるようなページがあってもいいのではないかと当時からずっと思っていました。

 当HPも実体験をもとにアドバイスをしていくHPになってしまうからこそ、上記したような「あーこの気持ちわかるわー」といった内容、つまり当時の自身の状況も晒していく必要があると思います。




 なお、以下の内容を整理し、大体どのくらいの時期に心境の変化が訪れているかといった表についても後日整理してみようと思いますので、「ぬっぺふがどう思っていたかなんて興味ないやい」という方はそちらの記事をご覧くださいませ。




今回は自身の目標として

①社会福祉士の資格取得②障害福祉現場での経験をつむ③いつか自分の過ちを元に生き辛さを抱えている人達の力になれるよう頑張る

といったものが漠然と見えてきて、少しずつ行動に移していく時期の記録となります。

状況としては「前を向こう、向かなくては」という自分と「でもこんな自分に価値があるのか?言い訳をしているのではないか?」という自分のせめぎ合いの中、やれることをやっていっているという状況です。

なお、注意点として、幸いぬっぺふは離婚はしても家族と同居を続けることができたので、このあたりの内容は「家族と一緒にいられる幸せ」を噛みしめているシーンが多いです。不快に感じられる方もいるかと全部削除しようかとも思いましたが、あくまでぬっぺふの一体験ということで修正せずのせました。ご了承ください。

では、いってみましょう。


※自身の特定=被害者の特定でもあるため、細かい情報については多少の手直しをしていますが、それ以外は無修正です。なお()内の色付き文章については現在のぬっぺふからの補足となります。


 


※ぬっぺふの家庭状況は、妻(事件発生時育休)・長男(事件発生当時2歳)、長女(事件発生当時0歳)です。


 ぬっぺふの行った不祥事の詳細は被害者特定につながるため詳細にはかけないのをお許し下さい。とりあえず軸は盗撮と思って頂いて結構です。



106日目

鬱度 朝10%→日中0%→夜0%

 先日の内に朝食準備(妻と同居をした頃から朝ごはん準備は私の担当でした)を少し進めておいたために余裕あり。遠藤嗜癖問題相談所では「鬱が出てきている」との評価。だが「波だと気付けたことはでかい」とのこと。帰ってきて久しぶりに妻と買い出しへ。今俺の食べているものはみな妻の金。それに負い目を感じるのではなく、感謝しろ。さて、明日はどうなる?


107日目

鬱度 朝10%→日中10%→夜0%

 嫌な前兆はありつつもなんとか前向きを保つ。11時に社会福祉協議会に行ってボランティアの説明受ける。まずは実際に現場をみたい。

11時45分から図書館で過ごすも昼食後眠くて読書どころではない。1時に再度社協へ行ってボランティアの登録。その後ボランティア先の場所を確認し、2時半には家へ帰る。その後は読書どころではなかった。長女が寄ってきてしまう。自室はエアコンもないし日当たりも悪いし気持ち的に落ち着かないけれど、何かするときは部屋にこもらないとだめだなと思う。それが出来ないのは、甘えのような気がする。

 4時からは子ども達の予防接種。ここ2日ほど朝食準備を夜の内にしてしまうようにしている。これは朝の怖さを軽減する。継続したい。

 そして、こういう躁状態の時に気を付けなくてはならないこと。自分がやってしまったことを忘れるな。反省を忘れるな。エロを断て。


108日目

鬱度 15%

 鬱というよりは眠い。単純に睡眠不足が続いたせいと思われる。結局もろもろ活動開始が10時を超えているのは良くないと思う。動くなら9時から動くようにせんと。午後はハローワークでセミナーを受ける。セミナーの講師からは「色々不安はあると思うけれど、やりたいことをやった方がいいと思いますよ」と言われる。9月あたりなら他の求人に当たってみるのもありなのだろうか。「何とかなるさ」と「どうにもならない」が交錯する。全体的にはネガティブになりきらずに済んだ。


109日目

鬱度 朝25%→移動中30%→実家20%→夕方以降10%

 昨日の寝方がまず悪かった。夢もよくない。寝起きが調子でず。ややネガティブに過ごしてしまった。寝方は重要だと思う。

 実家に行き、片付け等を手伝うと共に誓約書の文面について確認。父が障害者施設で働いていた際の話を聞く。父から見て今の俺はどう映っているのだろう。俺だってそれなりの期間を教員として働いてきた。けど精神的に全く大人になりきれていない。「何事も始める前は不安」と父は言う。その一言で片づけていいのだろうか。

 帰る途中、通っていた中学校付近のスーパーで米を買う。誰か昔の友人はいないかと無意識に探していた。人恋しい。寂しい。中学や高校の頃の友人に会いたい。逃避か。逃避だな。でも寂しい。自業自得だ。何をめそめそと。

 夕方、誓約書を巡って母と妻が電話。結局母の気になっていた条文は削除する形で進む。きっと俺がちゃんと間をとりもてていればこんなことにならない。俺は弱い。何をどう伝えたらいいのかわからなくなっていく。弱いし理解力低いし人間関係が苦手だ。こんなので今後仕事やれるのかと不安にもなるが、鬱になってもよくない。


110日目

鬱度 朝50% → 妻の指示を受けて睡眠後40% → 夕方10% 

 午前中、鬱度高し。妻をいらいらさせたと思う。今日の午後から妻が友人と一泊してくるとのことで、午後、両親が支援に来る。長男は嬉しそうだった。長女は良く泣いたが、慣れてからは大丈夫だった。

 夜、帰宅後の母と電話。母から昔の苦労話などを聞かされて、へこむ。母は「みんな色々あって頑張ってきた、強くなった」と言いたいのかもしれないが、今の俺が感じるのはこの年齢まで大した苦労もせずのうのうと生きてきてしまった自己嫌悪。苦労はしてきていたつもりだった。けれど、学校という箱庭を出てしまえばどれもしなくてもいい苦労を勝手にやってきただけのようにも感じる。

 母のいうように小さいこと気にせず、思ったことをちゃんと言って、他者の顔色を伺わず…ということが出来ればよいなんてことは今まで何度も思った。そう振る舞おうとも思った。けれど出来なかった。色んな人の話を聞くたびに思うのは、「やっぱり俺は欠陥品だったのですね」という感覚だ。そう育ってしまったのは俺のせい。

 多分俺が今ほしいのは「こうしたらいいよ」ではないのだろう。この面倒くさい自分を共に読み解き、理解してくれる人を欲しているのかもしれない。甘えなのだろうか。

 発達障害の二次障害の本を読んだ。あそこまで重度ではないにせよ、自身に当てはまる内容が多かった。やはり俺は発達障害のボーダーラインにいたらしい。もっと早く気付いていれば。もっとしっかり学んでいれば。何か違う方向に進んでいた可能性はある。結局自分に自信がない故にストレス発散を「他者を見えない形で攻撃する」ことで果たそうとしたということなのだろう。

まったくもって、度し難い。


111日目

鬱度 朝10% → 日中10%(鬱というよりイライラしやすい) →夕方20% 


 夜、子ども達に挟まれて眠るのは幸せだった。トータルでいうと鬱傾向の日だったと思うが子ども達に引っ掻き回されることでドツボにはまることは避けられた。が、ともかくささいなことにイライラする自分がいる。パニックになって「あーもう」みたいな。よくない。もっとおおらかでいたい。こちらがふと漏らした不機嫌を相手は一生忘れない。こんな状況で福祉の世界に飛び込めるのか?と不安になる。

 

112日目

鬱度 朝20%→午後4時~70%→夜30%


 昼、ボロボロになっていたため服と靴を新調。2980円の商品を特に不安もなく衝動買いできた昔を思い出し、少しみじめな気持ちになる。金があるということは生き方の自由度が増すということだ。部活も生徒指導も適度でよかったのだ。全ての分野で認められなければ、全てできなければいけないと勝手にストレスを作り出していた。

 無論、それだけが理由ではない。自身が育ててしまった欲望が身を滅ぼした。けれどもその方向を強める要因としてはやはり現状への不満とか妬みとか負の感情が渦巻いていた気がする。なぜこれだけ頑張っているのに認めてもらえない?といったような。

 後悔してもはじまらない。けれど後悔する。しておくべきだ。けどそれでうつむいてた再起を信じて一緒にいてくれる妻に失礼だ。夕方四時くらいから強烈な鬱の波がくる。自業自得だっつうの。


113日目

鬱度 20%

 午後は精神科へ。時間を2時間間違えていた。こういうミスはなくしていかなくてはならない。手帳をよく確認すること。精神科では「うちに何を望んでいるんでしたっけ」と言われる。前回はプログラムを受けることを求めていたが、今求めているのは鬱の進行を抑えることだ。カウンセリングを受けたり。その辺をうまく伝えられただろうか。精神科では自分が本当に自己中な人間であることを認識させられる。いや、そう思ってしまうだけのことかもしれないが。泣いたり落ち込んだり面倒くさいぞ。妻の言うように竹を割ったように生きたいものだが。

(なお、この辺で抗うつ薬を処方されていたものの、説明にあった「勝手に処方を止めると副作用が強くでることがある」といった旨にとまどい、結局漢方のみを処方するという状況になっていました。後に繋がった別の精神科では「あなたの症状はうつです」と即答され、ADHDの対応よりもまずはうつへの対応をしっかりすべきと伝えられ、そこから服薬を開始したところ精神的な波は大分安定していっています。この日記を書いている時、あるいはもっと前から、私は鬱を併発していたとのことでした。いつか別記事で触れるつもりですが、鬱にも色々ありまして、医師のスクリーニング検査に引っかかりにくい鬱というものもあるのです。皆さまもご注意を。)


114日目

鬱度 朝60% → 午前70% → 夕方20%


 妻の買い物へ付き添い。強烈なマイナス感情が来て、泣く。家についてからも欝々とした気分が消えず、結果1時間くらい部屋で横になってしまった。教科に未練があるのだ。授業がしたいのだ。生徒と行事がしたいのだ。全部自分で打ち砕いたにも関わらず、教育現場に未練があるのだ。女々しい奴め。

 妻の気持ちになって考えろよ。いつも同居人がどういう気分かを気にしながら生活するのは苦痛だろう。しかもその原因は本人の馬鹿な行為にあるんだぜ。教科に未練があるのなら落ち着いてからyoutubeでもやれよ。教材研究の時間、部活の時間、行事準備の時間、そういう諸々が無くなるのだからやりようはあるだろうよ。失業手当の期間、興味あるものの力を伸ばせよ。


115日目

 鬱度 朝40% → ボランティア中は0% →夜0%


 薬を飲んだにも関わらず明け方に目がさめる。数分おきに目覚め、起きたくない、起きたくないと思いながら6時15分から活動開始。動いてしまえばなんとかなるのだが。不安はありつつも初ボランティアへ。

 利用者の方が仕事の説明についてくれる。施設の案内を受けたあと車いす体験。利用者さんの車椅子を押す。ステップに足がのってるか、腕が内側に入っているかを確認。坂道登る時はつんのめらないように後ろ向きでいく。段差は登るときより下りる時が難しい。後ろ向きで降りる。この辺はまた必要になるかもしれない基本だから忘れずに。

 その後洗濯たたみへ。名前が見えるようにたたむ。たたみ方はお店でやっているような形。ある程度たまったら、バスタオルでくるんでまとめてあげると運ぶ人が運びやすい。

 その後昼食へ。昼食後は休憩室にて30分休憩。職員の方と話す。「この仕事は本当に向いてないならきついよ」という旨の忠告をうける。その後クラブ活動へ。4つまわり、今回は書道クラブの手伝い。口で書いている方もいた。すごい。

 クラブが終わると今度はパン販売。ことあるごとに大きな部屋に全員を集めてから移動する方式なのは人手が足りないからなのだろうと思うが、その間ずっと部屋で待っているだけというのは退屈なのではなかろうか。老人ホームならテレビがついていたけれどそういうこともないようだし。何はともあれパン販売では2名の介助を行う。1名は食欲旺盛。気を付けないと奪われる。もう1名の方は重度の筋ジストロフィー。みぎからお願いとメッセージボードで伝えられるも、右のものから食べさせてなのか体の右から食べさせてなのかがわからない。試行錯誤しつつやる。何をしゃべっているのかがまったくつかめないのだが、注意深く聞いているといくつか聞き取れるものもあった。「口が動きにくいから奥までいれて」「あなたはおいくつですか」など。こちらからも年齢について聞き返すと「55歳です」。お若い、40代かと思ったというと大笑い。なんだ、コミュニケーションとれるじゃないか。あきらめず聞き取ろうとすることだ。こちらで話すのではなく相手の言葉を受けることだ。何回聞き返してもいいじゃないか。それで怒られるなら仕方ない。こちらの能力不足だ。甘んじてうけよう。ともかく、貴重な体験だったと思う。

 その後はグループ会議に参加するが、話したがる利用者さんと話をしすぎて会議の邪魔をしてしまった感あり。気を付けよう。ともかく、今回ボランティアに行った施設は身体障害の程度、知的障害の程度も皆大きく違う。そこが父が以前勤めていた施設とは大きく違う点だ。


追記

 1日終わって、意外と何とかなるのではという感覚と本当にこの方向でいいのかという感覚が共存している。発達障害の就労支援も見に行くべきなのかもしれない。ともかく、まずは残り3日。自分がやれるんだという感覚を作るためにも笑顔で頑張ろう。


116日目

鬱度 朝20%→作業中0%


 ボランティア2日目。朝は職員さんと掃除。掃除に参加しようとしている利用者さんもいて皆でやる。洗濯ものたたみではお話しのできる利用者さんから色々話を聞く。仕事をしている感をちゃんと出さなくてはと作業しながら聞いてしまったのは悪印象だったろうか。

 午前中は掃除と洗濯ものたたみで大体すぎる。午後はリハビリに付き添う。正直、リハビリとしての効果については疑問は残る。大部屋に全員を入れて利用者の前で職員が一方的に運動の見本をする。動けない方は見ているだけ。でも施設の人的な状況などを踏まえるとああしたやり方しかできないのかもしれない。人によっては4時間くらい大部屋で放置。他の手はないのか。障害福祉の難しい部分を感じる。

 途中、ある利用者さんに話しかけられる。結婚についてなど自身の苦悩も伝えてくれた。他の職員さんの対応を見る限りでは誰にでもああした話をする人なのかもしれないが、その辛さをなんとかはできないものなのか。人権とは、なんだ。

 多分仕事として割り切って8時間過ごすというのならできなくはないだろう。でも、この環境の中で自身が何かを発展させることはできるのだろうか。2日しかみていないのに偉そうに言う資格はないが、本当に一生やっていこうと思う覚悟はあるのか。答えは出ない。次のボランティアは少し間があく。


117日目

鬱度 朝30% → 日中10% 


 朝が怖い。日中は子どもを連れて近隣の名勝へ。以前勤務していた学校の方がいて焦る。幸い気が付かれなかったようだが、自身が犯罪者であることを痛感する。

 家に帰ってから本当はハローワークの介護初任者研修への願書を書くつもりだったが、子ども達の寝かしつけ中眠すぎて、妻から「寝ていいよ」と言われたのを受けて本当に寝てしまう。このときも俺の思考回路は「否定された。なんて駄目な奴なんだ」というマイナスな感情でふて寝したと思う。いちいち面倒な思考回路するんじゃないよ。結果悪夢。長く寝たのに鬱度はあがる。


118日目

鬱度 朝40% → 山0% → 図書館20% → 夕方60% → 風呂後10% →就寝前50


 気持ちの変動が激しい日だった。悪夢でめざめ、失ったものに未練たらしく思いを馳せ、山では気持ちのいい風にテンションが上がり、図書館あたりからまた自分の人生について考えへこみだす。あまりの落ち込みっぷりに妻からは「午前はいい感じだったじゃない」と言われる。なんでと言われても理由はないんだ。ただ落ちやすい時期なのかどうかというだけで。何度死にたいとつぶやいたか。でも死にたいのではないのだ。自分が嫌いすぎるだけなのだ。自分を殺したいけど、死ぬのは怖いのだ。矛盾しているのだが、そんな感じなのだ。

 就寝前、願書にはる写真を紛失したかもと取り乱す。妻が写真を見つけてくれる。またまた自己嫌悪だ。些細なことの捉え方がすべて自己否定になっている。病的だ。よくない。自分が嫌いすぎるのだ。一方で自分が好きすぎるのだ。なんなのだお前は。自分ばっかりだなマジで。


119日目

鬱度 朝50% → 公園と妻の言葉に救われる → 0%

 ここまでの間も平日の朝は偽装出勤をしている。朝、公園で少し時間を使う。空が青かった。存在を許されている気になった。生きていて、いいんですか?こんな俺でも、生きていていいんですか?太陽も川も風もすべて変わらない。ただ、そこにある。

 帰ってきてから妻とスーパーへ。その後妻が美容院に行っている間長女と留守番。長女はしばらく泣いていたけど落ち着いてからはニコニコしてた。ミニオンの映画を見て待つ。ああいう明るい世界を内に取り込まなくてはならない。

 午後はハローワークへ介護初任者研修の願書の手続きをしに行くが、本気度を試されているような印象を受けた。所属するハローワーク独自の書式をもう1枚書かなくてはならず、正直「えー」と思ったが気持ちを切り替え車の中で完成させて提出する。即時の対応に心なしか受付の人の表情も応援モードに切り替わっていたような気がする。

 帰りの道中でガソリンをいれるついでに、と思い最近いけていなかった馴染みのガススタで溜まっていたクーポンを使い洗車を頼む。正直500円分のクーポンでできる洗車だったので表面こするくらいかと思っていたが中まで丁寧にやってくれた。嬉しかった。

 読書で自分に似た傾向の人の本を読む。相談業務にあこがれている自分がいる。問題から立ち直ったカウンセラーをアメリカではリカバリングカウンセラーと呼び、リカバリーの軸となっているらしい。そうした存在になれないだろうか?


120目

鬱度 0%

 午前中は渋谷へカウンセリングに行く。正直、色んなところで緩んでないかと不安になる。自己肯定感は作りつつも緩まないようにし、自分目線ではなく人を思う…それができんといけない。午後は妻と合流してスーパーで買い物。夕方は地元の福祉会の児童発達支援事業所を見学。

 色々悩むところはあるけれど、今は社会福祉士や精神保健福祉士の資格をとり、自分と同じ傾向持つ人を支えたい。今はそう思う。施設をいろいろ見に行ってみよう。


121日目

鬱度0%

 朝、保育園から妻を産婦人科まで送迎しようとしたところ車がエンスト。怖いので結局妻の車でいく。産婦人科の駐車場で1時間半過ごすが、気候が暖かいこともあり情緒は安定していた。援助職援助論を読む。その中で感じるのは、自分がやってしまった犯罪行為はやはり病気であるということだ。それは発達障害だからやってしまったというものではなく。

 発達障害、自身の性格、経験値の不足…そうした中で覚えてしまった行為障害としての性依存という認識だ。ここまで育てたのは自分の責任。やってしまったのも自分の責任。だけれど、病気ならば治せるものでもある。

 リカバリングカウンセラーになりたい。カウンセラーといわなくても、相談援助ができれば。大変なのだろう。机上の空論なのだろう。けれど、今はそうした思いを大切にすべきだと思う。世界は俺に死ねとはいっていない。罪は許さなくとも、存在までは否定していない。俺は、多分生きていていい。まだやり直せる。強くなるのだ。強くというより、悠然となるのだ。


122日目

鬱度0%

 朝、公園へ。懸垂をやったり腹筋やったりしながら空を見る。吸い込まれそうな青だ。生きている。今日からまた2日間ボランティアへ。

 朝施設へ向かう途中で先日見学した児童発達支援事業所の方から電話。同系列の別事業所の代表にボランティア希望の方がいる旨を報告しといたということ。夕方に電話してうかがう日程を決める。こうして少しずつ次を紹介してもらったりしながら色々見ていこう。

 本日のボランティアの内容について書く。朝1時間は掃除。その後利用者の外出につきそう。回転寿司での昼食にご一緒させて頂いた後買い物…のはずが予定していた店が棚卸で休業。急遽プラン変更で近隣のデパートへ。多くの人が関わってプランが組まれていることがよくわかった。ちょっとした予定変更でも支援長に連絡し、ドライバーさんと掛け合って…そうした動きを見ていて教員ってのは結構ワンマンだったんだなと思う。

 施設に帰ってきてからは基本飾りつけ用の花を作りながら利用者の様子を見る。休憩中職員の方ともっとよく話をしておけばよかった。後悔。俺はボランティア。施設の内情は見えない。雰囲気はつかめても。ということは今後俺がボランティアに行く時に意識をすべきは職員とのコミュニケーションだ。今日はちょっと後ろに引いてるぞ。さわやかに、明るく、名前をよんでいけ。

 

123日目

鬱度0

 ボランティア最終日。数日しか見ていないし、大変な部分にはかかわっていないからあまりくどくど言えないが、こういう所で働くのは素敵なことなのかもしれない。


124日目

鬱度20%

 午後、社会福祉士の資格を取るために大原の説明会へ。社会福祉士をちゃんととれればいつか相談業務へいけそうな気がする。しっかりやらなくては。都内を歩きながら何物にもなれない自分が価値のない人間、他の人達とは違う人間になってしまった感を強くもつ。みじめだ。それが嫌なら今からまた何者かになれるよう努力するしかない。白状する。最近エロへの興味が再燃していると思う。このままでは再犯はしなかったとしてもまた性的なことに脳のエネルギーをもっていかれる生活に戻ってしまうぞ。みじめなの嫌なんだろ。後悔したんだろ。反省しているんだろ。だったらやるべきことをちゃんとやらねば。


125日目

鬱度100%

 朝起きる時から、今日はやばそうと感じる。案の定だった。何をみても後悔。何を見ても自己否定。自分という人間がいかにくだらない、必要ではない、何もできない存在なのかということばかり思考が向かう。そのせいで情緒的に余裕がない。イライラしていることにもまた自己否定。自己否定の連鎖。死にたいのではなく、自分を殺したいのだと思う。けれど、自分は死にたくないのだ。自分の悪いところだけを切りとって殺してやりたいという感情が、死にたいけど死ぬのが怖いという感情の源泉なのかもしれない。

 ともかく、今日はダメダメだった。夜、妻と話して、

「こういう日があると本当に大丈夫なのかなと思ってしまう」

「あの事件があるまでは中学生的な所はあってもそれでもなおしっかりしている部分がある、信頼できると思っていたけど、最近はそう思えない」

という旨をきく。そうだろうなあと思う。生きていてごめんなさい。だましてしまってごめんなさい。俺という人間はそんな奴だったんです。何もできない。度胸はない。精神的に未発達。発達障害も抱えていて、犯罪者。ああ、最低。気が付けばぶつぶつと「ごめんなさいごめんなさい」と謝罪の言葉を口にしながら涙を流している。誰への謝罪なのか。案外自分に向けて言っているのかもしれない。この後におよんでまだ自己中心的なのだな。


126日目

鬱度20%→0%

 以前から妻、義母、実母含めて内容を検討していた夫婦間の約束について文案が出来たため、公証役場へ説明を聞きに行く。途中毒が裏返り普通のテンションに。昨日の落ち込みは何だったのだ。

 前任校付近の街を歩くのは怖かった。帽子を持って行って正解。まだしばらく、そこは俺にとって素顔で歩けない場所になるのだろう。午後は買い出しへ。

 昨日書いた文章を今日見ると、「なんでこんなになっているんだろう」と思う部分がある。病んでるね。でも頼むからこれ以上悪化させるな。働ける精神状況は維持しよう。大丈夫。少しずつだけど何かは進んでいるはずなんだ。季節は巡るし世界は綺麗だ。こんなやつも生きていて、いいのだろうしまだ楽しい時期はやってくる。信じろ。


127日目

鬱度20%

 近隣の生活介護施設の見学へ。前回ボランティアに行った入所施設と違って色々作業をやってる分活気があった。変に施設が大きくないし、夜はフリーってのもいい。発達障害系に行けなかった時はこういう所で働けたらいいのかもしれない。


128日目

鬱度20%

 再度公証役場へ。書類に日付おしてもらう。その後薬局に薬もらいにいき、長女の誕生日ケーキを回収しにいく。午後は書類書きだが、うまくはかどらず。保育園に長男を迎えに行って妻の負担を減らそうと試みるも、保育園後に向かった児童館でうんちをもらしてしまい着替えが無くて結局迎えにきてもらう。うーん。


129日目

朝鬱度60% → 午後作業中は0%

 ここ数日はまた未練を感じていた。馬鹿だな。家で大原への願書を書く。

 郵便局で願書郵送したあと、一人で家にいるとわきあがるマスターベーションへの欲求。自分の中で性的なものがアルコールのような存在であることをそういう時に痛感する。

やったとしても罪悪感をためこむだけだろう。今後俺は貴重な一人の時間を勉強にあてなくてはならない。断たねば。


130日目

朝鬱度40%

 朝、図書館で本を返したあとハロートレーニングの学校へ面接に向かう。早く着きすぎたので周辺を歩く。いろんな思い出が詰まっている場所だった。高校時代。大学時代。仕事についてから。部の顧問飲みで使った飲み屋。妻と行った中華。若手教員の仲間と行ったカラオケ。すべてが過ぎ去ったこと。もう二度と手に入らないもの。自分で壊したものたちだ。

 ハロートレーニングの選考面接では、自分の過去の経歴から今なぜこのトレーニングをうけたいと思っているかを包み隠さずうまく話せた方だとは思う。参加者では俺が最年少らしい。年長の方とうまくやるトレーニングと思わなくてはなるまい。テスト後家に帰って妻と合流。買い出しへ。夕方は長女と留守番。長女がん泣き。


131日目

朝鬱度60%→公園20%→夕食後50%

 朝、すきっと目覚められなかったがためか布団から出られなくなる。単純に眠たいから外出たくないとは違う。何もしたくないから動きたくない。何かすることがとても億劫になる。ただのなまけなのか?それともこれもメンタル面なのか?なんでも鬱のせいにしちゃだめよ。結局自身の仕事であるはずの朝食準備は妻に甘えてしまう。

 午前中はフリーマーケットを見に行く。午後は2時少し前から公園へ。4時半すぎまで長男を遊ばせる。同じ年頃の男の子と仲良く遊んでいた。なぜか「りーくん」と呼ばれていて、長男も「?」。ことあるごとに「ぼくりーくんじゃないよ」と言うも聞いてもらえず。ちょっとかわいい。

 夕方からしょうこりもなく失った過去の思い出にうちひしがれる。もう二度と授業はできない。もう二度と部活に関わらない。もう二度と青春の舞台には関われない。今まで出会った人々に、おそらくもう二度と会えない。 そんなの自業自得だというのに「死にたい、消えたい、くずです、ごめんなさい」そんな単語ばかりがつい口をつく。本気で死ぬ勇気なんてないのに。高校生が「鬱だわー」と言うのと同じか。そのつぶやきを妻に聞かれた。いや、どこかで聞いて貰いたかったのか?俺は。かまってちゃんだな。結果妻に滅茶苦茶心配かけて。どこまで自己中なんだ俺は。失ったものを嘆き続けるよりも今ある幸せを大切に噛みしめろよ。そんなのわかっていることだろう。ああ、むかつく。自分のこの性格、過去、部屋にある本、趣味だったもの、すべてがうっとおしい。自分の強みだと思っていたもの、個性だと思っていたもの、すべてが毒に感じる。不必要な知識ばかりため込んでしまった。いらないものばかりで俺の人生は出来ている。そう思うのも極端か?でも今はそうとしか思えない。人と同じを毛嫌いし重箱の隅をつついていくような文化に親しむのではなく、もっと日の当たる世界を生きてくるべきだったのだ。もっと人と関わるべきだったのだ。怖がりだったのだ。自分が苦手な人と付き合うことに対して面倒くさがりだったのだ。それらも特性のせいなのか?いや、俺がそう選択し続けた結果なのではないのか。

 本を読むと自身が燃え尽き症候群だったこと、ADHDだったこと、場合によっては境界性人格障害だった可能性まで出てくる。俺は、いっぱいいっぱいだったのは確かだ。でも、どんな背景があったにせよ俺は自分の意思で犯罪行為を行った。その結果に対して同情の余地はないのだ。

 くずだ。屑。こうやってまた自分を否定する文章を書くことでどこか安定を図ろうとしているんだろう。かわいそぶろうとしているのだろう。その精神の動きが気持ち悪いんだよくそ野郎。まだまだ書けるぞ。自分の嫌な所なんか原稿用紙100枚だって書ける。じゃあ自分のいいところは?今までいいと思っていた所も、最早かけない。俺には何もない。空っぽだ。死にたい?違う。何もしたくないのだ。このまま消えてひっこんでただ布団の中でずっとくるまっていたい。つまり逃避なのだ。本当に死にたいとは思っていない。俺は、生きたいのだ。でも、不安で怖くて辛くてそれすら自己中なのがわかるから余計腹ただしくて悔やんでなんだかそういうのがもう疲れたから、貝のように閉じこもりたいのだ。

 でも、それじゃあ生きていけないんだよ。生きたいなら前を向いて不安と立ち向かわなくちゃならない。後悔と付き合っていかなくてはならない。わかっているんだろう。


132日目

 鬱度20%→ずっと曇りくらいの感じ→長男のうんちを踏んでから少し好転

 夢の中で、学校に顔を出した。過去の同僚、生徒など色んな人とすれ違う。会うわけではない。俺は申し訳なさそうに通過するだけ。前任校の記念式典みたいなのに顔を出すシーンもあった。途中で席をたった。みじめな気持ちで。そんな夢をみて目がさめた。そんなこんなで劇的に鬱ではないにしても何かひきずったような感覚。 

 午前中は買い出し。妻に全まかせで俺ははしゃぎまくる長男の対応。妻にいっぱい依存してしまっている。俺は彼女に何をしてやれているというのだろう?裏切って、傷つけて、心配かけて。仕事上のアドバイスだってもうできない。俺は妻に何も返すことができない。いつか返せるのだろうか?そんなこんなで隙あらば襲ってくる無力感。でも、夕方に長男がうんちをもらし、落ちたうんちを俺が踏んだ瞬間なんだかどうでもよくなった。そこからは長男とかなり前向きに遊んだ。

 それでも不安はある。何ができる?何になれる?社会福祉士の道でいいのか?もっと職人的な何かがあるんじゃないのか?俺の特性は?誰かに正解を決めてもらいたい。自分で決断するというのは怖い。でもみんなこうした不安に打ち勝って生業を作っていくのだな。俺は何だったんだろう。出来ること、出来そうなことのみを積み重ね、冒険せず、なんだかんだ天職と言えるものにたどり着いていたにも関わらず自分の衝動をコントロールできず周りも傷つけすべてを壊した。俺は冒険をしてこなかった。戦ってこなかった。だから弱い。強くならねばならないのだろう。だが、強さとはなんだ?


133日目

欝度基本は0→夕方以降30

 妻の通院に付き添う。午後は娘の予防接種。2時40分くらいから社会福祉士の勉強に入るも眠くなって手につかず。というか内容が難しすぎる。色んな意味で大丈夫か?と思う。  

 寝かしつけ中、眠いなりに頑張っているつもりだったのだが「(眠くなっててまじ使えねえ)洗濯物やってて」と言われたように勝手に解釈しへそをまげたりしている俺はマジで面倒くさい奴。そんなだから駄目なんだよと一気に自己否定。なんでそこまでへそをまげる?妻はそんなつもりで言ったわけじゃないだろうに。自分の努力を認めてもらえないと不満なの?でもお前眠くなってる事実はかわらないじゃないか。なに頑張ったアピールしてんの?まじで使えないやつだな。気持ち悪いんだよお前の思考回路。変えたい変えたいと口先だけ言っておいて結局何も変わってないじゃないか。妻からしてみりゃ面倒くさいの一言だよ。本当に。ばかじゃないの?死ぬの?こうやって自己否定ばかり書き込んで溜飲は下がるの?

(当時の状況を見返すに、ただでさえ自分を否定されることを恐れて様々な防御壁を作っていたのが全てひっぺがされて裸のぬっぺふという自分と向き合うことで必要以上に傷つきやすくなり、周囲の言動に敏感になってしまっている状況が見えます。当時はまだ、客観的にはとらえられず主観に支配されてしまっていますね…)


134日目

欝度朝20→移動中60→帰宅中40→父母来訪後90

 1日の中で変動が多かった日。午前中はカウンセリングへ。とりあえず俺の傾向は

①過度に頑張る→②次第に頑張っているのに結果が出ないことや頑張ってない人に対しての怒りがわいてくる→③問題の悪化

というサイクルに入ることらしい。ともかく、東京を歩くのは今の俺には精神衛生上よくない。あそこには自己実現した人、しようとしている人、生業のある人が多すぎて、劣等感の塊になってしまいがち。今の俺に必要なのは静寂と安寧だ。

 夜、離婚届けに証人が必要ということで急遽父母が来てくれる。ただ、父は明らかにいらだっていて、妻に「追い詰めて鬱にでもなったら大変だよ」的なことを言ったりするしで妻に本当に申し訳なかった。過保護だ。そしてそうさせているのは俺だ。そうした動きがあった時に「それは違う」とその場で言えない俺の弱さだ。みんなに気をつかって結局俺の意思がない。本当に弱い人間だ。夜は悪夢を見る。


135日目

欝度朝20→0

 悪夢のせいでやはり早朝目がさめる。午前中は離婚届の提出、買い出し、部屋の掃除。

 12時からハローワークのストレスマネジメント研修へ。グループワークが多く、昔の研修を思い出して、少し楽しい。人と話せる嬉しさよ。ああいう場面では俺もそれなりに活躍できるのだが。

 電車の中で『ゲド戦記帰郷』を読了。男は力そのものであり、力を失うと何も残らない、という話。俺には今能力も人脈も権力も名声も何もない。だからうつろに感じてしまう。

 けれど本質はそうなのか?力が自分?もっと違う何かが自分だったはずなのに。それに気づかねば、俺はいつまでも金や名声のみで過去と今を比較するだろう。それは良くないことだ。


136日目

欝度0

 午前中は勉強。やっと本格的に勉強できたので理解が進む。妻が美容室に行っていたので、長男の迎えに長女を連れていく。雨の中傘一本で3人で帰るのは超絶きつかった。びしょびしょ。けど、長男と楽しく過ごせた。


137日目

欝度0

 妻と二人で外食へ。11時から予約していたが、駐車場で妻の開けた車の扉が風にあおられて隣の車に傷をつける。持ち主を探してやりとりをしたりした結果入場は12時40分ころに。妻はすごく気にしていたが、俺はもっと迷惑をかけてしまった。こんなの迷惑の内に入らないから大丈夫。

 夕方は息子と児童館。夜は11時から勉強できた。こういう「やってる!」って時間を増やすことだ。


139日目

欝度0

 朝起きた時から大丈夫な気はした。色々迷ったあげく、午後から近隣のまつりを見にいく。想像以上にしっかりとした祭りで、旅情も感じた。幸せだった。こういう時間があれば幸せじゃないか。あとは自分の生きた証として何かを残したいのだと思う。それをちゃんと作る努力をすればいいのかもしれない。

 家に帰ってきてからは娘が脱水気味でぐったりしており焦る。ゼリーを買ってきて食べさせることで改善。一安心。息子が寝てからはアマゾンプライムで何かアニメを見ようということになって妻と一緒に探す。

 幸せな一日だったと思う。肯定感の源泉は夜の勉強にもあるのかもしれない。眠くても、続けよう。


140日目

欝度10→抑え込んで0

 危うい時間はありそうだったが、なんとか前向きに終わる。


141日目

欝度10→抑え込んで0

 午前中は妻の軽自動車の登録みたいなものに行く。


142日目

欝度10→抑え込んで0

 前向きを保つ。その後妻がパーマをかけにいくとのことで娘と過ごす。娘眠らず。泣き続ける。社会福祉士の勉強がしたかったがそんな気分になれず、そうこうするうちに息子の迎えの時間へ。娘に少しいらっとしてしまった自分がいる。自己中にならないように。一緒の時間を大切に噛みしめよ。


143日目

欝度0

 前向きを引き続き保つ。午前中は社会福祉士の学校に行って自身の経歴や障害のこと等を伝える。希望者の中では若い方らしい。頑張り次第だと思う。前向きにやろう。

 移動中、通行人を見て思う。「大人だなあ、すごいなあ」。一方で、「俺も強い。やれる」という立ち向かうような気持ちがわき、ずんずん歩けた。メタルを聞いていたからだろうか。

 俺はたしかに中二病だった。メタルとか大槻ケンヂとかニッチな曲が好きだったし、いわゆるラブロマンスなどには興味がなく廃墟巡りや民俗学等が好きだった。けど、そうした面まで否定することはないのだ。俺は苦手なことが多い。けれどルーティンワークになれば苦手は薄まる。むしろ仕事において俺だからできたことも多かったはずだ。自信をもてとは言わない。ただ、今まで生きてきた自分を受け止めてやらねばならない。誘惑に弱いのも、オタクなのも、気分の波が強いのも、無論不祥事を起こしたことも、みっともない点全部ひっくるめて自分だ

 人の醜さを愛せとリーガルハイというドラマでは言っていた。俺が目指す仕事は人の醜さ、弱さと向き合うことも多いだろう。この言葉は俺にとって大切なものになる気がする。それが出来た時、俺は苦手とするようなタイプの人達とも人として向き合っていけるのかもしれない。そしてそのためにも、まずは自分の醜さをも受け止め、愛さねばならない。俺はこういう弱さがある、醜さがある。それらを無視して抹消してなかったことにするのではなく、うまく付き合い、問題にならないよう飼いならし、良い側面を強めていくことが肝要だ。ここまで欝度0を保ってこれている。明日以降も頑張るのだ。気持ちが前向きなら何でもできる。


144日目

欝度0

 市役所、ドラッグストア、かき氷、家庭裁判所、図書館と盛りだくさんな一日だった。夕方しっかり勉強したし夜は作曲もしたので頑張った感はある。だが、こうした前向きな日が続いているからこそ、気を付けなくてはならない。忘却してはいけない。俺がやったことを。傷つけた人を。


146日目

欝度0

 久しぶりの家族旅行。山梨へ。まず影絵の森美術館へ。息子も反応していたと思う。きっとわけはわからずとも記憶に残る場所だったはずだ。その後、ロープウェイに乗って昇仙峡の上へ。息子が落ち着かずゆっくり絶景は見られなかったが、満足。ロープウェイ下りた所で昼食。息子にとげがささったのをTVで流れているのど自慢を聞きながら抜いた。ほうとうを食べた。息子はカレーライス。大人と同じ量を完食。その後、フルーツ公園へ向かう。息子は気に入ったらしく、2時間近くロープの上で遊んでいた。宿では家族で大風呂を貸し切りにしていいとのことで、みんなで風呂に入れた。幸せだった。失ってたかもしれないものだ。大切にしなくてはならないのだ。自分を変えるのだ。息子は風呂が気に入ったらしく、結局夕食後に俺と一回、妻と一回で計3回も風呂に入っていた。幸せな一日だった。


147日目

欝度0

 悪夢は見る。例のごとく、職場に出向かなくてはならなくなる夢。迷惑をかけた方に会ったりする。後悔はしまくった。反省も現在進行形でしていると思う。けど、絶望はしない。今回の旅行のような時間がまだこれから作れるかもしれないのだ。もったいなくて死ねるか。人を動かすのは多分恐怖でも絶望でもなく、希望なのだ。これをやれば、こう動けば、よくなれる、何かが叶うという希望が人を動かすのだ。それを信じさせてやることが、背中をおしてやることが、おそらく俺が前職ですべきことだったのだ。悔やんでも悔やみきれない。もっと多くのことを伝えたかった。すべて自分に酔って、おかしくなって、自制できなくて失った。良く変わることだ。それしか、ない。

 朝息子とお風呂へ。その後朝食。宿を出て、忍野八海へ。すごく綺麗。そして中国人の方、多すぎ。コカ・コーラピーチを持って自販機の前で20分くらい写真を撮り続けている女子がいたのが印象的。それ、全国展開の普通のものですよ。

 息子は水車に興味深々だった。昼食はマック。高速にのって帰って、自宅付近の公園へ。息子をたっぷり遊ばせて、4時ちょいに帰宅。楽しかった。

 友人も失った。職場の仲間も失った。俺が今まで積み重ねてきたものはすべて自分で崩してしまった。それでも俺には幸いなことにまだ家族がいて。一緒にいられて。こういう幸せな日もあって。他になにがいる?


148日目

欝度ときどき10、基本0

 午前渋谷にてカウンセリング、午後買いだし。帰ってからは社会福祉士の勉強。


149日目

欝度ときどき30

 ちょっとしたことから鬱の波を引き寄せやすい日。朝起きた時からそろそろ来るという気がしてきた。が、落ちきらずになんとか耐えられた。それは良かったと思う。

 午前中は市役所、銀行で社会福祉士の学費振り込み、願書郵送、買い物、保育園へ迎えに行く。鬱な気持ちに甘えない。


150日目

 うつ気味になりはじめる。11時半くらいまで眠気というか体重いというか頭廻らず。昼食作ってから少し回り出して、午後は古着屋で子どもの服を買う。


151日目

 午前中、介護初任者研修の説明会。午後妻は職場の人とランチ会へ。俺は昼食を食べたあと「ふがいない僕は空をみた」を読了。登場人物はみな「性」をもてあまし、ふりまわされながら生きている。サガと読むべきなのかもしれない。本当に、もてあます存在だ。この機会に関係を断ち切らないといけないのだ。エロに惹かれる気持ちを別のものに移さなくてはならない。

(この頃は性的なものへの関心そのものを完全に消さなくてはと思っている節がありますが、実際は性的なものへの関心は0にはなりませんでした。でも、それに捉われる時間を減らすことや、もてあましながらも暴走させない、怪物にさせないことは次第にできるようになってきたと思います)


152日目

 欝々。前よりはマシになってきているとは思うが。妻ランチ会につき子ども達を連れて午後児童館へ。2時間以上遊ぶ。児童館にいた時に妻から電話かかってきて嬉しかった。家族をこれ以上苦しめるわけにはいかない。まっさらな自分で、新しい人生を切り開かなくてはならない。なのに気分の波には翻弄される。


153日目

 妻の妹の学校での活躍の話を聞いて、一気に鬱の波へ。なぜ羨む?なぜひがむ?なぜずるいと思う?なぜ自分が正当に評価されてこなかったという被害妄想を抱く?すべて自分が招いたことだろう。未練たらたら。醜いな。お前。自分の辛さを味わってほしい、自分の辛さを分かってほしい、という思いもあるのだろうか。小さい人間め。久しぶりにぼろぼろ泣きながら駅へ向かう。

 午後は障害福祉のイベントへ。職員の方達はいい笑顔だった。いい人が多そうだった。この中で俺もやれることがあるのだろうか。ある社会福祉法人のえらい人とお話しをし以下のようなやりとりをする。

Q未経験、脛に傷ある身でやれるか

Aやれます。必要とする事業所はある。そもそも中途採用の時点で何かを抱えている可能性は考慮している。大切なのはそこからどうしていこうと思ったか。生理的に障害者と四六時中一緒にいるという状況に耐えられない人もいる。差別感がぬぐえなかったり。そういう人は虐待に繋がるからやらない方がいい。でもそれが大丈夫なら、何とかなる。福祉の現場にはいろんな人が必要


といった旨だった。頑張りたい。


154日目

欝度30→0

市役所へ行って、戸籍の変更。これで子ども達は正式に妻の苗字になる。午後は買い出しへ。何気ない瞬間が幸せなのだと自覚する。妻と普通に話せる時間が出てきたからこそ、忘れてはいけないのは俺は家族を大切に思いつつも、すべてを棒にふるような行動を起こすことができてしまう人間であったという事実。今、仕事や人間関係から遠ざりある意味ではストレスの無い日々を送っているから忘れがちだが、いっぱいいっぱいになったとき、辛くなったとき、イライラしたとき、そういうときにこそ自分を律しきらなきゃならない。自然体で受け流せるようになりたい。自分の衝動性をみくびらず、二度と誰かを傷つけることがないよう生きたい。いや、生きねばならない。


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