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 ぬっぺふの実体験記⑤

更新日:2022年7月5日


どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。

最近実体験記の更新が出来ていなかったので久しぶりに更新します。

さて、実体験記も5回目となり、毎度の口上とはなりますが、念のため。


以下には、不祥事が発覚してから再就職までの間の記録をなるべくそのまま記載していきます。当時の不安定な気持ちをそのまま載せるため、今のぬっぺふの考えとは違う思考も書かれていますが、あえてそのまま載せていきます。


 なぜならば、自業自得とはいえ辛くて抜け道のない日々をさまよっている時にインターネット上で出会った「私たちはトンネルを抜けて今ハッピーです。いつか報われますよ★」といった内容の文章は見ていてとても辛かった記憶があるからです・・・。


(そしてなぜかインターネット上はそうした記事が非常に多い…)



 …どんぞこ状態の自分が読んで、「あーこの気持ちわかるわー」と思えるようなページがあってもいいのではないかと当時からずっと思っていました。

 当HPも実体験をもとにアドバイスをしていくHPになってしまうからこそ、上記したような「あーこの気持ちわかるわー」といった内容、つまり当時の自身の状況も晒していく必要があると思います。



 なお、以下の内容を整理し、大体どのくらいの時期に心境の変化が訪れているかといった表についても後日整理してみようと思いますので、「ぬっぺふがどう思っていたかなんて興味ないやい」という方はそちらの記事をご覧くださいませ。




 今回は検察からの呼び出しを待つ間、どのように時間を過ごしていたか、という部分が軸です。不意に襲う不安感に振り回されている様子は見えますが、ただ、それでも介護初任者研修を通して人と関わり合うことができたことは当時の自分にとっては救いでもあったように感じます。そしていよいよ訪れる検察の呼び出しの日・・・はたしてどのような結論が下るのか?続きは本文にて。



では、いってみましょう。


※自身の特定=被害者の特定でもあるため、細かい情報については多少の手直しをしていますが、それ以外は無修正です。なお()内の色付き文章については現在のぬっぺふからの補足となります。


 


※ぬっぺふの家庭状況は、妻(事件発生時育休)・長男(事件発生当時2歳)、長女(事件発生当時0歳)です。


 ぬっぺふの行った不祥事の詳細は被害者特定につながるため詳細にはかけないのをお許し下さい。とりあえず軸は盗撮と思って頂いて結構です。


156日目

欝度10→0

妻が友人に会う関係で娘の対応。途中うとうとしてしまっていた。折角の時間がもったいないし、見守れていないのは危ない。眠気とか欲求に対して弱いのを何とかしないといけないのだが。夕方、高校時代の友人から連絡があり、急きょ夜に会うことに。結論から言うと、彼は俺の犯した事件について知っていた。知っていてなお、連絡をくれ、今後も友人でいてくれることになった。 ※この眠気ですが、鬱の症状としての眠気でもあったようで努力や気力でなんとかなるものではなかったようです。皆さんもあまりに強い眠気が続く場合は、自分の努力不足を考えない方がいいですよ。


157日目

 妻が仕事でiPadを使いたいとのことで、電機屋へ。その後、昔から気になっていたつけ麺屋を訪問。普通の感覚で頼んだら滅茶苦茶量が多かった。チャーシューも大ボリューム。持ち帰りも出来るようだしまた行けたらと思う。…最近妻と共に街を歩くことが多い。一応帽子やらマスクやらでガードはしているが、もし被害者の生徒と直接ばったり出くわしてしまったら?その時俺は何を言うことができるだろうか。そんなことを考えると、気が緩んでしまっているのかもしれないとも思う。

 俺にとっては今次に向かって前向きになってきているタイミング。だが、被害を受けた人からすればいつまでも風化しないトラウマであり続けるのだ。卑屈になってはいけない。前向きでなくてはならない。けれど、心のどこかで常におびえ続けろ。それが無くなってしまうのは、何か違うし危険だから。


158日目

欝度0.

 実家へ。途中、かつて通っていた中学校からの帰り道を思い出しながらたどる。あのころ、友人はいて当たり前だった。生活はできて当たり前だった。未完のものばかりで構わなかった。俺は青春を食いつぶしたのだろうか。守られていた。未完だった。何者でもないが自分自身があった。今は、どうだ?

 午前中は車の整備、午後は駐車場の草刈りを行う。父母の衰えを強く感じるとともに、今父母に何かあったとき俺が何か支えになることはできるのだろうかと不安になる。両親は若い頃から様々な経験を積んでいた。祖父母が始めたあと放棄してしまった旅館を切り盛りしつつも時代をよみ、自分達で行動を決め、全く別の形の自分達の生活を切り開いた。俺より学も能力もあるにも関わらず、自分の希望する仕事や生き方などはすることができず、それでも文句は言っていなかった。俺は子どもだ。精神的に未熟だ。大人にならなくてはならない。実家ことでも、父に付き従うのではなくこちらから動いていけるようにならないといけないのだろう。いつかそんな時がくるのだろうか?

 自宅へ帰り、寝る前、妻と色々話す。一緒に頑張りたい。だが、妻に甘えるな。自分は妻を傷つけた人間であり、気を付けなくてはまた傷つけるのだという危険性を常に感じていろ。


※今は無理に大人になろうとは思っていない面はあります。というのも、何をもって大人とするのかがわからなくなってきたためです。しいて言うのであれば、精神的に土台がしっかりしていることが自分の思う大人像のようなので、小手先の大人っぽさに惑わされないようにしたいとは感じています。


159日目

欝度0

 朝1で市役所へ。児童医療の姓名変更の手続きに行く。その後悩んだ末妻はiPadを入。格好いいぜ。昼食をどこでとるべきか悩んだ末リーズナブルなイタリア料理店へ。そうはいっても通常の外食より値は張ったがとても美味しいものばかり。贅沢をしてしまった。これだけいい思いをしてしまったのだ。そろそろはじまる介護初任者研修は、頑張るしかない。午後は古着屋で妻のトレンチコートを探す。幸せをかみしめろ。当たり前に思うな。これは妻が守ってくれた時間であり、失っていたかもしれないものであり、俺は自分の我を捨てることを目標に掲げたのだ。すぐには難しくとも、少しずつ変えていきたい。おおらかになるのだ。

 

※なお、コロナ禍をへてこのイタリア料理店は閉店に追い込まれていました。思い出をありがとう!


160日目

欝度 鬱ではないが眠気が止まず

 眠りが浅かったのか疲れが取れず。そのせいもあってか隙あらば眠気が襲う。妻も頭痛があったようだが、多分こちらに対してのいらつきもあっただろう。お互いにギクシャクしてしまった。どうも自分はどのように動くか、予定がしっかり決まっていないと、だめだ。何時に出るというのがあれば眠くなる隙を作らず動きだせるのだが…


 ※ADHDでは自分が興味の無い時間になるとすぐに眠気に襲われるタイプがあります。今思うと鬱の症状としての眠気+ADHDの特性としての眠気が相まって、何をするかが決まっていない時間が訪れると即睡眠に傾いてしまうという状況だったのでしょう。

 土日にお父さんがいつも寝ている、という話を他の方からも聞きますが、多分午前中をどう過ごすか、何時に出発するかを事前にきっちり決めておくだけで眠気への対処がかわってきますよ。…と同じような悩みをもっている人のために書き込んでみる。


161日目


 息子と散歩中、息子が危ない所へ行ったと思って大声を出して連れ帰ったが、大した所ではなかったかもしれない。自分は心配性だ。大声を出すこと、威嚇することでしか人を動かすことができないのか。どうにも気に食わない。もっとおおらかでいたいが、そのためには人間が大きくなってないといけない。でも俺は小さいんだよ。若いころの学習ってのは、知識の量やら質やらの向上云々の前に、人としての器を大きくすることが大切だったんだろう。俺はそういう本当に大切な学習から目を背け、自分の出来ることだけを何度も繰り返していた。それではいけなかった。このあとどう過ごしていけばいいのだろう。もっと幅を広げたい。けどどうすればいいのかわからない。


162日目

欝度30

 娘の保育園のイベントへ。来ているお父さんがみんな大人に見える。俺はなんだ。中学生の頃と何も変わっていないじゃないか。先生から娘と一緒の写真をとるかと聞かれたが、「俺なんかが一緒に撮らない方がいいよな」と感じて「明日以降母と一緒にとってあげてください」と引いてしまった。メンタルが、弱い。帰ってからは洗濯、掃除器がけ、昼食準備、買い出し等をやるが、娘が寝ている時間を勉強に有効活用できなかったのはもったいない。隙間時間の利用をうまくしろ。


163日目

欝度30

 介護初任者研修の入校式。と、同時に働いている人達が眩しく見える時期に入った。自己嫌悪。自己否定。いつものやつだ。いつか過ぎるとは思うが、嫌な気分だ。午後は妻と古着屋とスーパーへ。妻はこんな俺と一緒にいてくれる。俺がいないと寂しいと言ってくれる。頑張ろう。


164日目

欝度0

 介護初任者研修の授業が始まる。色んな人と話すのだ。経験値を蓄えたい。通学と帰路についてはくれぐれも気を付けること。


165日目

欝度20→登校中90→授業中0

 

 朝、息子が言うことをきかず保育園に向かえない。怒ってしまう。全部自分の行いが招いた結果だ。不機嫌で。構う時間少ないくせに要求があるときだけよってきて。そのくせすぐに焦ってイライラして、最終的には暴力的に言うこと聞かせようとしてくるんだから息子からしたら嫌なやつだよな、俺。

 介護初任者研修では「どんな人と一緒に仕事がしたいか、そしてどんな人とは一緒に仕事をしたくないか」という話し合いがあった。その中で提示された、一緒に仕事したくないリストに入っている情報はまさに俺自身を指していた。こんなんで福祉の世界に足を踏み入れられるのだろうか?人間性が小さいんだよ。教員やっているときもそういう所が生徒にはすけて見えていたのかもしれない。勉強とかじゃない。養うべきことは。そして教員として伝えるべきことは。ゆとりだったり自信だったり、人間性だったのだ。


※今は勉強自体は無駄だったとは思いません。しかし、人間としての精神が安定していないと、磨いた知識は逆に自分に牙をむくものなのだろう、とは感じています。


166日目

欝度0

 朝からなるべく前向きに過ごすようにする。運転中は気を付ける。学校では眠らないように。先生には質問しにいく。放課後はクラスのメンバーの相談にのり。保育園に迎えに行く。役割がある。安定する。研修で言っていた。最も辛いのは自分が必要ない人間だと思うことだと。役割が欲しい。というか役割は持っている。父親と夫という役割だ。そこに全力を注がずしてどうするというのか。


167日目

欝度0

 午前はカウンセリングへ。今までで一番素直に話が出来た気がする。良い方向へ向いているのだろうか。まだまだ誘惑に弱いのだ。性的なものに惹かれる自分がいるのだ。それを認めた上で、どうするかを考え、悪いサイクルに入らないようにするのが大切だ。

 自分を卑下するのは良くない。存在意義を否定するのも駄目だ。だが、駄目な自分なのだと自分を認識することは大切だと思う。俺は人より弱く、人より自己中で、人より仕事が遅く、一時憧れたような高収入を叩きだせるような人間ではなかった。それを認めたくない自分がいた。他の人より優れている、いや優れていなければと思いたがる自分がいた。それは自信だとか自己研鑽ではなく、幻想だ。そして自分の幻想と自分の現状を比較し、失望し、絶望し、周囲の目を気にし、どつぼにはまっていったのだ。

 認めよう。自分の駄目さを。大した人間ではないことを。社会の脇役であるということを。身の丈にあった生活の中からまた何かを築き上げていくべきなのだ。

 午後は社会福祉士のスクーリングへ。おそらく、次のスクーリングまでにどう過ごせるかで社会福祉士の試験に受かれるかの勝負は決まってくる。ここまでにうまくサイクルを回せるかがカギだ。頑張れ。


168日目

 介護初任者研修をうける中、普通に学生をやっている自分がいる。だが、ふとした時に思う。俺は教員にあるまじき行為を行った犯罪者であり、学校現場の信用を失墜させる一助となった人間であり、障害とかストレスとかそういうの抜きにして、人を不幸にできる人間であるということを。

 どこかで日常に慣れてきている自分がいる。妻との関係も以前に近付いてきている。

それはとてもうれしいことなのだけど。そこにやはり甘えてはいけないのだ。傷つけた人を、裏切った人を、心の片隅から追い出してはいけない。自分が他者にどう思われているか。勝手に許された気持ちになってはいけない。一生許されない。学校も俺によって大きな迷惑をこうむった。俺は身勝手な人間だ。許されない。今も非難され、中傷され、死ねと言われても文句の言えない状況なのだ。そのことは、絶対に忘れてはいけないのだ。


177日目

鬱度0

 最近忙しくて書けていなかった。介護の勉強と社会福祉士の勉強はうまく両立出来ている。頑張っていることが自信になるし、頭も冴えてきた気がする。一方で、警察がやってきたあの時のこと、妻がどう感じたか、被害者の気持ち、そうしたことについてもふと意識にあがる。

 悶絶はしない。ただ、後悔と罪悪感と、そうした思いは湧き上がる。それでいい。忘れるな。でも自己否定をするな。駄目だったのだ。でもここから立ち上がるのだ。


184日目

鬱度60→0

 ここ最近頑張った反動かイライラしたり疲れたりしている気がする。ゆとりを持て。落ちている時に人にあたるな。自分にあたるな。先週に行った自傷行為は最悪だった。そういう方向に行ってはいけない。

 弁護士さんから電話あり。検察から近々連絡が来るとのこと。話を聞きたいということは現時点では罰金か不起訴か、それとも追加捜査なのかあちらも多少考慮しているということなのだろうか。

 ちゃんと事実を受け止めて話そう。俺は、必死に普通たろうとしていたが、ねじ曲がってしまっていた。他者に対してのコンプレックスや自己肯定感のなさの表れがあの性癖だったと今思う。今まで何度か自分を変えるチャンスをもらっていた。けれど俺はそれを活かしきれなかった。当たり前だ。根本にある自分の問題や思考に目をつぶって、表に現れた行動だけを止めようとしていたんだから。今回、多くのものを失って、傷つけた。大切にしたかったはずの人に処理できなくなったイライラをぶつけて傷つけてしまった。こういう自分ばかりに捉われている生き方を変えなくてはならなかったのだ。

 だから今、自分を変えるためにカウンセリングに通っているのだろう?性的なものを遠ざけて、人のために生きられないかを模索しているのだろう?

 自身の特性でもある発達障害を学ぶ中で感じたこと。自分のように生き辛さを抱え、自己肯定感を持てない人は沢山いるのではないか?自分と同じような誤った依存(対象は違えど)に陥ったり、相談できないでいるような人はいるのではないか?だから障害福祉に関わりたいのだろう?ゆくゆくは社会福祉士として、発達障害の二次障害になっている人達へも相談援助に当たれるように。そうしたことを、伝えればいい。それしかできないのだから。


186日目

 朝、劇的におちる。でも介護初任者研修の2限から実習で動きだしたら気分がかわる。そんなものなのだ。所詮気分。号泣しながら車を運転していようが、死にたい死にたいといって自傷してようが、所詮は気分の問題。動きだせば動けてしまう。でも、その動きだしのスイッチを自分で入れられないことが、辛いのは事実。


193日目

 妻や子どもがしばらく遊んでいる間、図書館で勉強をしようとするも気分が波だってしまい中にいられなくなってしまった。読みたかった本が、皮肉な話だけれど今は読める。でも今それを読んでも何の役にも立たない。周囲の人達は日常の中に図書館を組み込んで引き出しを広げている。自分はそれもできていなかった。そんな思考がグルグル回り、結局駐車場の車の中で3時間を過ごした。

 都合よく悲劇を作って酔っているだけだろう。どんなに余裕がなかろうがなんだろうが、やった事実は正当化されない。それもわかっているからこそ、自己中心的な目線で悩み続けているような自分に腹が立つ。


196日目

 連休の最後に最悪だった。夜、娘の関係でよく眠れなかったこと、それを主張したい自分の小ささにイライラする中で自分の駄目さ(勉強しなきゃなのにできない)とかに目がいく。小さなことにイライラ。

 落ちていたハンガーに腹が立ち布団に投げつける。勢い余って枕元に飾ってあった家族写真に激突、破壊。まるで自分の行動そのものだった。割れた家族写真。自分の衝動的な行為で割れた家族。その辺からもうどんぞこ。TVにうつる人と自分を比較。なぜ俺はああじゃない?まちがって育ってしまった…等自己否定の波。

 ばかみたい。


200日目

 深夜、死について考えて怖くなり、大声を出してしまう。妻が起きてて様子を見に来る。これだけ死ぬのが怖いのに死にたいとつぶやくことが精神安定剤になっているのに少し笑える。生きたいのです。みじめなほど。


204日目

 介護初任者研修、実技試験。結果は1位通過。自信に変えろ。成すべきことを成せ。


205日目

 学校の人達と色々話せるようになって嬉しい。

 なぜ仕事をしている時、こういう気楽な仲間がいなかったのだろう?

 プライドのせいか。

 俺は下らない人間だ。大したことは無い。屑で犯罪者だ。でも今一生懸命生きている。

 落ち込む時間も、エロに引き寄せられる時間ももったいない。

 何を残したいの?

 どう、生きたいの?


206日目

 なんか疲れた。睡眠不足だし、音楽プレーヤー壊れたし、失業手当の動き間違えてたし、道こんでるし勉強できないし、自制心が弱いし、なんか駄目ね。今日1日はダメだ。

 明日きりかえろ。


210日目

 介護初任者研修の修了筆記試験、クラス1位通過。こういう勉強はやはり得意なのだろう。頭が悪いわけじゃない。ただ、生きるのが下手なのだ。人間としての偏差値が低いのだ。


215日目

 社会福祉士の初めてのスクーリング。なるべく周りの人と積極的にコミュニケーションをとった。皆思い思いに社福を取りに来ている。頑張ろう。スクーリングは2日連続で行われるため、往復の電車代と時間がもったいないと思い、妻の許可を得て夜は付近のネカフェに泊まる。付近に銭湯があったためそちらで汗を流してからネカフェを目指す。

 久しぶりのネカフェ宿泊。昔はよく遠足などの前日、絶対遅刻できない時はよくネカフェやカプセルホテルに前泊したのを思い出す。あのころと大分変わってしまったものだ。境遇も、年齢も、何もかも。


216日目

 ネカフェの中で読んだ「カイジ」という漫画でチャンという男が言っていた。「幸福とは、現状維持。それが幸せということ」と。

そうなのかもしれない。維持できるってのは幸せなのだ。

 スクーリングが終わり、帰宅。家族と1日半ぶりに会う。失いたくない。だから、やることをやらなくては。

 自分の境遇なんて、スクーリングで出会った難病に苦しんでいる方に比べれば大したことはない。五体満足な体があって、寝るところがあって、幸い家族もいる。…なんでもできらあな。


217日目

 授業中に検察から連絡あり。本来は授業中の電話はできないが、出ないわけにもいかず教室を出て電話対応をする。当然、担当していた先生は怒る。事情を説明しても、納得できないようで「それはどうかと思う」の一点張りで最終的には「上に報告しておく」とのこと。

あの先生はかつての俺だ、と感じる。本人としては一生懸命なんだろうけれど、1つ1つの行動の裏にあるのは生徒への疑いと自分への自信のなさ。

 何故、その行動をとらざるを得なかったのか?そいつの自尊心は?自分の中にある「これはおかしい」にとらわれて、生徒側の目線にたてていない。どんなに授業中にネタをはさもうが、馴れ馴れしくしようが、それは自分目線だ。自分が生徒を信じていないのに生徒が自分を信じてくれるはずがない。逆に、こちらが生徒を信じられているときは、自分の経験の中でもうまく仕事は回っていた気がする。

 俺が今後福祉の世界を目指すなら、こうした審判的目線で人に接してはいけないのだ。悪いことを悪いと思わずにやっている奴なんて、そうそういないんだ。何故、そうなったのか?それを感じられるように、受け止められるように、俺は変わっていかなくてはならない。


218日目

 だるい。死にたい。消えたい。今の自分のままただ存在することを許されたい。くそ甘い考えだ。

 つまるところ死にたいってのは死を求めているんじゃない。

 辛いけれど、生き方をどう変えればよいかわからなくて。変えるにしても大きな苦痛がともなって。何もしたくないのが、鬱だ。自分をせめるのが、鬱だ。頑張らなきゃと思ってできないのが鬱だ。先が見えない、前向きな検討が出来ないのが、鬱だ。

 だから、今の苦痛に対して。

 生き方を変えず、頑張らず、苦痛から逃れる道を探す。すると、死ぬことや消えること、閉じこもることが頭をよぎるのだ。

 当たり前が当たり前にできない。小学生すら自分より立派に見える。俺には、今、価値がない。


219日目

 眠れないなら本をよみゃいいのに。自分が嫌い。自信がない。

 ある都市で通り魔がおきた。犯人がいかにおかしな奴だったのか、これから報道されていくのだろう。

 でも俺は犯人の思いにシンパシーを感じている。俺は直接人を傷つけるようなことはできない。けれど、脳内では似たようなことを考えていなかったか?

 世界へのうらみ。みんな死ねという視野狭窄的な自己中的世界観に根差す怨念。

 きっと彼も彼なりに頑張りながらも居場所がなかった。未来への希望がもてなかった。変われない自分が嫌で、せめて、最終的にはどうでもよくなって八つ当たりをした。俺は彼になっていてもおかしくなかった。


 なんで生きるのってこんなにめんどくさいのだろう。ただ働いて、飯を食って、夜には昔話をしてでよかったはずなのに、今更その時代には戻れない。

 人に聞けば、みんな生きるのって大変なんだよ、誰だってそうだよ、という。というか、言われてきた。

 でも、何か違うんだよ。あなた方の言う大変とは。

「魚たべるの、大変よね」って共感されるけど、残念!こちらは箸が使えないのです。骨以前に!プギャーって感じ。なぜか力を抜けない。なぜか要領よくやれない。言わないでいいことなのに言わないと気がすまない。話し合いについていけない。人に話しかけるタイミングがわからない。暗黙の了解が見えない。

 行きつくのは俺はダメ、みんなはいいな、そこから「みんなずるいな」がうまれてくる。

クズ思考回路よな。

 世界が怖い。小学生ですら俺よりしっかりしてみえる。


221日目

 介護初任者研修、修了。俺はやはりどこかで壁を作っていた気がする。もったいなかったのではないか?

 明日から、また何者でもない自分に戻る。犯罪者である自分。

 検察の元に行くまであと数日。そこで何かが動きだす。そう思いたい。


 とりあえず、今日はできることをしよう。


223日目

 検察へ。結論は略式起訴による罰金30万円。罰金刑とはいえ前科は前科。でも、弁護士含め色々な方の温情で懲役刑ではなく罰金刑となっている

 うけとめて、次の一歩が始まるのだ、と思った矢先。実家付近の警察から電話。明日足を運んでほしいとのこと。

 何なのだろう。心当たりはないのだが。俺にはもう立ち直る価値はないということなのか?もう、ダメなのか?死ぬべきなのか?


224日目

 呼び出しに応じて警察所へ。蓋をあけてみれば全く身に覚えのない強盗事件についての聞き取りだった。思わず、「強盗なんて大それたことができる人間なら盗撮なんて卑屈なことに向きませんよ!」と主張。開放される。

 ホッとした。朝と帰りで景色が違って見えた。ここから次へのステップが始まるのだ。

 自分を戒めろ。自身を高めろ。

 生きている。家族と一緒にいられている。今あるものをちゃんと見て、その喜びを噛みしめろ。何でもできる。きっと。

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