top of page

ぬっぺふの実体験記⑥


どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。

実体験記も6回目(こんなに長いとは思わなかったです)となり、毎度の口上とはなりますが、念のため。


以下には、不祥事が発覚してから再就職に至るまでの間の記録をなるべくそのまま記載していきます。当時の不安定な気持ちをそのまま載せるため、今のぬっぺふの考えとは違う思考も書かれていますが、あえてそのまま載せていきます。


 なぜならば、自業自得とはいえ辛くて抜け道のない日々をさまよっている時にインターネット上で出会った「私たちはトンネルを抜けて今ハッピーです。いつか報われますよ★」といった内容の文章は見ていてとても辛かった記憶があるからです・・・。


(そしてなぜかインターネット上はそうした記事が非常に多い…)



 …どんぞこ状態の自分が読んで、「あーこの気持ちわかるわー」と思えるようなページがあってもいいのではないかと当時からずっと思っていました。

 当HPも実体験をもとにアドバイスをしていくHPになってしまうからこそ、上記したような「あーこの気持ちわかるわー」といった内容、つまり当時の自身の状況も晒していく必要があると思います。



 なお、以下の内容を整理し、大体どのくらいの時期に心境の変化が訪れているかといった表についても後日整理してみようと思いますので、「ぬっぺふがどう思っていたかなんて興味ないやい」という方はそちらの記事をご覧くださいませ。




 前回最後に罰金刑が確定、支払いも終わり、いよいよ再出発に向けて動きだせる時期となりました。晴れやかな気分で先に進んでいくかと思いきや、病み度は依然変わらず。というよりも精神的な不調の波は大きくなってきます。目の前の「やらねばならないこと」が一区切りついてしまったがゆえ、自分の人生という長い目線での今後を考えてしまいがちだったようです。ともかくそれでも社会福祉士の勉強はしていかなくてはならない。再就職にむけて積み上げをしていかねばならない。

 …そんな時期の右往左往、思考の暴走、包み隠さず書いておきます。



では、いってみましょう。


※自身の特定=被害者の特定でもあるため、細かい情報については多少の手直しをしていますが、それ以外は無修正です。なお()内の色付き文章については現在のぬっぺふからの補足となります。


 


※ぬっぺふの家庭状況は、妻(事件発生時育休)・長男(事件発生当時2歳)、長女(事件発生当時0歳)です。


 ぬっぺふの行った不祥事の詳細は被害者特定につながるため詳細にはかけないのをお許し下さい。とりあえず軸は盗撮と思って頂いて結構です。



226日目

図書館での勉強などが生活の日課となる。

眠かったり、イライラしたり、負のサイクルの根本には睡眠不足だったりおなかがすいていたり身体上の何かが隠れているようだ。

どうも俺はそうしたものに左右されやすいのに、原因に気付くことが遅れる性質らしい。

自分がどういうとき不愉快になり自己中になるのか?分析しろ。


※のち、べてるの家という施設の利用者さんが見つけ出した「なつひさお」という概念がかなり私を安定させてくれることになります。

 な→なやんでいる

 つ→つかれている

 ひ→ひまである

 さ→さみしい

 お→おなかすいた、お金がない


 こうした時、精神的不調は強まるということです。いやはや慧眼。なお、この素晴らしい発見をした方は早くに亡くなったとのことです。ご冥福をお祈りしています。



229日目

 やることをやっていないと、どうも不安定になりやすいらしい。ワーカーホリックな体質は無職になっても消えない様子。


234日目

 1日が漠と過ぎていく。人生を、浪費する。俺は何のために生きている?何のために生まれてきた?教科の知識も、トークの技術も、批判的目線も、全てなんの役にたつ?

 俺はLV1からスタートする。何ができる?

 生きるって疲れるんだな。考えず、貝のように生きたい。


235日目

 少し鬱期に入ったか?何を見てもまぶしいし、漠然と消えたいと思う。

 世の中の問題の根本は見える。今後どのような世の中になるのかもある程度予測はつく。実際予想したような世の中になってきた。けど、それが何になる?

 生きることに向いていない。さみしい。みじめだ。自分の存在価値を


追記

ウダウダいってんじゃねえよバーカ


236日目

 カウンセリングにて本格的に性犯罪加害者への教育プログラムが始まる。

 同じ境遇の人達がいて、少しうれしい。よいことではないが、自分一人ではないと思えたというか。

 

 俺はこの日、妻に「再発させないでいける気がする!」と言った。たしかに言ったのだ。


237日目

 また、落ちる。息子に怒ってしまうと大体そのあと落ちる。

 俺は息子を支配したいだけ?先日うけたプログラムでは性犯罪加害者とDVの加害者は同じような性格の傾向を持つという。俺はそうした危険因子を持っているということか。

 児童館にいっても、他の父親達と何か根本的に違っているように感じてしまう。

大人じゃない。疎外感。居場所が、ない。


追記

 しねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしね


追記2

 俺は何を殺したいの?何をそんなに恨んでいるの?キモイ。


238日目

 間違えて育ってしまった←「なら、今からかえていこうよ!」

 不安だ、生きるのが辛い、怖い←「考えすぎ、行動あるのみ☆」

 なぜ俺はこうなんだろう?←「周りと比較してもダメ。自分の良さがある…!」


 といった正論はさ、わかってんだよ、とっくに。でも出来ないからこじらせ続けてんだろ。

 正論はいて役にたったつもりになってんじゃねえよ。お前らの吐く言葉は、結局「頑張りがたりないよ」としか聞こえないんだよ。

 

 貝になりたい。社会の中でやっていける気がしない。周りの人が自分と違う人達に見える。自分を呪っている。世界を呪っている。他者に羨み、ねたんでいる。疎外感しかない。


 なんでそんなに大人なの?なんでそんなにしっかりしているの?なんでひらがなすら俺はまともにかけないの?なんでこんなにコンプレックス抱えてるの?

 生きていたいけど、生きるのがつらい、さみしい。

 自分が嫌いすぎて自分を殺したくなる。

 殺したらスカッとするだろうなと思う。これが自殺者の思考なのかも。スッキリしたくて自分を殺す人もいるのかもしれない。…ではいつか俺もやるのか?


239日目

 実家の整理にいく。

 ためこんだもの、今となってはいらないものばかり。

 何をためこむべきか、自分の有限の時間を何にふるべきか、考えなくてはならなかったのだろう。

 

 俺はエロに時間を取られすぎたな。結局、それ以外につめこんだものも全て無駄にしてしまった。


240日目

 唯一事情を知っている高校の友人と、会う。久しぶりに学生のような時間を過ごす。

 駅前のスーパーで食べ物を買い、持ち込み可能なカラオケに入り。

 歳を考えず高音の曲ばかり歌ってしまった。低音の歌が歌えたらな。

 

 …こうした時間が、この3年本当は必要だったのだろうな。


241日目

 地域の花の名所に見学に行き、大雨に降られる。

 どうしようもない大雨。予測不能な、バケツをひっくり返したような。

 会場は祭りのようになっており、多くの人が自分達同様雨に濡れていたが、なぜか皆笑っている。自分もだ。


 きっと、自分の力でどうしようもない何かに直面したとき、人は笑うのだろう。そこには「なんだよ」という苛立ちはなく、かわりに明るい「諦め」と謎の連帯感すらあったように感じる。


 苛立ちとは思い通りにいかないことへの感情だ。怒りもしかり。

 人が驕り、テクノロジーを発展させ、自分で何とかできる範囲が拡大するにつれ自尊心が高くなり。何とかできたのではないかとあきらめも悪くなる。結果、笑えなくなる。怒るようになる。

 「なんで雨ふんだよ」「あいつうざい」「景気悪いのはあいつらのせいだ」、と。


幸福度は下がり、悪循環だ。


 そういうことだったんだ。諦めることは悪いことではない。むしろカラッとした「諦めの良さ」は人生を楽しくしてくれるものだったのだ。「諦めたらそこで試合終了ですよ」ではない。諦めてからが次の試合の始まりだったのだ。


学校には異動した先生方を招いて生徒の前でお話しする機会を与えるという謎のイベントがありまして。私も過去偉そうにお話ししたりしたのですが、どうもまだ存続しているようです。先日妻の学校でもそのイベントが開かれたようなのですが、6人ほどの先生全てが一様に「あきらめないことが大切です」と述べていたとか。

歩み続けることは大切です。でも、本当に諦めないことが幸せなのか?私は最近そうじゃないような気もしてきているのですが…

諦めないことは、仏教でいえば執着です。何かを強く求める渇愛であり、四苦八苦を生み出す大元です。

諦めることは、リスタートの始まりなのではないでしょうか?今は生徒にそうしたことも伝えておければよかったのかなと思う次第です。

 

245日目

 家で勉強する場合はなりふりかまわずやれるため(食べたり飲んだりスクワットしたり)眠くはならないものの、誘惑が多い。ともかくPCに触れてはならない。余計な欲求が現れる。

 俺は今盗撮の中毒にはなっておらず、そうした行為がなくても落ち着いていられるが、エロに関してはやはり依存が抜けきっていないのだろう。アルコール依存とかわらん。ヤマを越えなければならない。ゲームをしてでも、外いくでも、欲求をそらしていかないと、いけない。

 勉強自身が楽しいと思える時は進む。


246日目

 ふとした時にうかびあがる、自分が犯罪者で多くの人達に恨まれている存在だという認識。

 ふとした時でいいのか?慣れていないか、この日常に。

 何とかなると思っていないか、未来が。

 許された気に、なっていないか?

 

 一生許されないのだ。したことは消えない。先へ進むのは大切だが、置き去りにしてはいけない。

 人のことを思え。傷つけた人達のことを。

 ずっと自分の悩みばかり垂れ流しているけれど、俺はまだ何も、罪ほろぼしをしていない。


※今は、許された気にはなっていませんが「前科も病気も含めて自分なのだな」という感覚は強くなってきている印象です。


247日目

 息子が「ピザになりたいー」という歌を歌っていた。

 貝じゃなくて、ピザもいいな。


248日目

 多分、軽い鬱期だったのだと思う。自分勝手な後悔がうずまく。

 でも、この程度だ。以前に比べれば、落ち着いた。それだけに反省を忘れてはならんのだ。

 

 タチはかわらない。けれど、対処は学べる。

 …俺がさんざん生徒に言ってきた言葉だ。自分でやるんだ。パニくらず、時間をかけて。のめりこみすぎず。過集中しはじめたら目線をそらす。いらだったら一呼吸おく。大切だ。


251日目

 先日まで一泊旅行で幸せな気分だった。前を向こう。そう思っていたはずなのに。今日はどんぞこ。

 世界に居場所がない。誰にも分ってもらえない。そして、それらはすべて自己責任だ。

 

 プライド高くて、周りに嫉妬して、でも怠惰で、好色で、強欲で、すぐおこる。7つの大罪の内、6つがそろっているぜ。いっそ大食もあればフルコンプリートだ。

 俺はくそみたいな精神構造になってしまっている。サイテーだ。


※当時使っていた手帳の下に書かれていた文章

 「いいの方をみているとほんとにいいことってあるものなのだ。いのちが尽きそうな犬だっていいことの方をみている。どうせもう駄目なんだじゃなくてね」

 これに対して、俺のコメントは以下。

 成功者の声は落ちている者には空虚にひびく。駄目な者による励ましも、世には必要なのだ。きっと。



 ※私の場合はいつもと違うイベントのあとは知らず知らずの内に体力を使っていたのか不調になることが多いようです。そういえばある鬱だった小説家の方が講演会のあとは2~3日寝こむのでそれを予め予定に入れておくと述べていました。自分の場合は動けるけれど神経がささくれやすくなる様子。



253日目


死にたいと口に出すと落ち着く。死にたいわけではないのだが。かまってちゃんか。

普通じゃないならいっそ狂ってしまえればいいのに。

狂えないということは自分で処理できる範疇の困難ということ?それに対応できないのはやはり俺自身が悪いから?思考は巡る。

甘い物を食べたら少し落ち着いた気がするが、それはそれでムカつく。結局、睡眠不足と空腹?その程度でひきおこされるのこの思考回路。


世界がうらやましい。世界に嫉妬している。ゆえに世界を憎んでいる。自分の今持っている幸せを棚にあげて。


足りない何かを、埋められない何かを求めるくせに努力せず、結果すべてのものに腹をたてている。


電車で俺をひじでおした女性に、家に帰ってからも恨みを引きずっている。楽しそうなやつらはズルいと思っている。


普通に生きられない。みんなそうだよと言われるが、本当にそうなのか?

ここまでうだうだ悩むのか?思考がうずまくのか?

死ねよ。世界に迷惑をかける前に消えてしまえよ。

そんな度胸はない。けれどそうしたいという欲求はある。何なのこれ。


254日目

楽しく過ごす。昨日の波はなんだったの?


※この感情の落差がまた辛いのです。


255日目

朝、死にたい死にたいとわめく。

朝食の準備がうまくいかなかったことがきっかけで取り乱す。

前進していない。根本的な問題が、解決していない。


死にたくないけど死にたいと言わないとやってられない。車の中で殺してくれと泣きわめいている様は、正直やばい。

日ごとの気分の波がでかすぎてよくわからん。生きていていいのだと思える何かを探している。

生きてなきゃだめだでも、生きていてよかったでもなく、生きていていいのだと、肯定してもらいたいのだと思う。

ムシのいい話だ。


生きていくのに余計な知識は無駄だ。しょせん選挙の一票をかえるだけ。なまじっか世の中の欺瞞が見えて腹がたったり不快な思いをするだけだ。

今の時代を楽に生きるなら動物でいるべきだ。

プライドも知識も、邪魔だ。不要だ。俺はいらないものでできているのだ。クズをあつめてできたデク。それが俺だ。


※この時期の思考法は完全に鬱病です。朝食作りに関しても、何を作るかの決断がうかばず、手順もわいてこないのです。こうした処理能力の著しい低下は鬱の典型的な症状の一つです。

 なのに私は抗うつ薬などには手を出していなかった。なんとなく怖かったのです。薬がないと生活できなくなってしまうのではないか?ということが。薬は必要なときは必要です。今はそう思っています。



258日目


川の周りを走る。予定していたよりコースを間違えたために長く走ってしまった。

社会福祉士のレポートは2つおわる。いつもより尿も出た。

ちゃんと頭と体を使ったからかも。


259日目

ボランティア3日目。

少し慣れてきた感はあり。


夜、こどもの寝かしつけ付近は良くなかった。

子どもを突き放してしまったし、洗濯物をたためなかったし。

甘ったれるなよ犯罪者。最近緩んでないか?何もかわっていないよ状況は。


ひきしめろよ。前向けよ。ちゃんとやれよ。家庭第一にしろよ。


260日目

児童館で俺の苦手なタイプの男性にあう。臆せず人に話しかけ、相手が外国人労働者の方だとわかると知りもしない英語でコミュニケーションをとって「ニッポンコーフク」と繰り返して。gでもああいう人の方が人生は楽しいし仕事もできるんだろう。


※後日のコメント

 人の批判ばっかすんなクズ


261日目

睡眠時間を削りすぎている。何とかしないと。相変わらず時間はダラリとすぎていく。けれど、何か意味があると思いたい。


※後日のコメント

ねーよ


264日目

昨日チェックしていたはずの娘の保育園リュック準備ができていなかった。

タオルが、ない。たったそれだけで脳内にわきおこる「使えない奴」コール。

1週の内何回忘れ物してんの?


死にたい、死にたい、死にたくない―とか歌いながら洗濯物たたんで、気付いたらふて寝していた。本当にキモイ行動をしているよな。


小さいとげが刺さっただけで連鎖的に自己否定がはじまっていく。

死にたい?面倒から逃げたいだけだろ。

ありのままの自分で生きられる場所なんてないんだよ。とくに俺みたいな人間には。


※ありのままの自分で生きられる場所はないけれど、無理しすぎず生きる場所はあるのかもしれないなあと今は思っています。


265日目


また忘れ物をした。本当に使えない奴。

どうせそういうやつなのさ。

人を攻撃する度胸もなく、かわりに自分を痛めつけることばかりしながら頑張ってピースを積み重ねても、根本の弱さが、クズさが、幼さが克服できていないからどこかでトチ狂って全部ぶち壊してしまうんだ。

 土台の部分が腐っている。ぐらついている。どんなにつみあげてもアンバランス。ふとした波で崩れ落ちる。


何だったのだ。今まで頑張ったことは。自業自得でどうせ全てを失うなら、今までそんなに頑張る必要なかったじゃないか。


校長の言う通りだ。俺は頑張っていた。けれど、人としての道を誤った。

全部無意味だったのだ。だって根本が腐っていたのだから。


クズのくせに、何人並みにやれると思っていたの。なに?頑張ればいつか楽になると思ってたの?

バーカ、そんなはずないだろう。俺は人として駄目なんだよ。何をしても努力しても、根本のぐらつきが改善されねえ。性的な所は抑えられても、それ以外の弱さは完治せんよ。また新たな意思を積みだしただけだよ。どうせいつかいっぱいいっぱいになってみんなを困らせるんだよ。だったらいっそ、今死ねよカス。


※この根本のぐらつきを一時的に支えるのが薬であり、長期的に安定するように形を変えていくのがカウンセリングや認知行動療法にあたります。今同じような感覚に悩まされている方は、時間はかかるけれど土台のぐらつきは少しずつ変えていけることもお伝えしておきます。


266日目

全体的には楽しくすごすも、最後崩れる。

何かきっかけがあると雪崩のように感情が崩れる。

ちょう、めんどくせえ、俺。


267日目

自分が嫌いだ。

自分を殺した、自分が嫌いだ。

弱い自分が嫌いだ。

なのに努力しない自分が嫌いだ。

周りに不快をまき散らす自分が嫌いだ。

死ねばいいのに、死ぬのが人一倍怖い自分が嫌いだ。

何でただ生きるだけでこんなに辛いんだ。幼い。弱い。

クズクズクズクズクズクズクズクズ


268日目

世界が嫌いだ。

世界を嫌っている自分が嫌いだ。

世界を嫌っている自分を嫌って何もしていない自分も嫌いだ。

つまる所おれに何かを成す力なんてなかったんだ。

本当に作りたいものなんてなかったんだ。


もっと早く気付いていろよ。

もっと早く死んでろよ。

もっと早く、自分の無価値に気付いていれば、もっと開き直って生きていたかもしれないのに。

・・・いや無理だっただろうな。クソなプライドが邪魔しただろう。

7つの大罪もちすぎ。善人面した、クズ。


269日目

人生の楽しみ方がわからない。

何でみんなそんなに楽しそうなの?

乗り越えたから?

ならみんなが乗り越えられたものを乗り越えられない俺は、やはりクズなのですね。


さみしい。今ある幸せで満足しろよ。

何被害者ぶってんだよ、加害者。

家族がいて、一緒に生きていられるんだから幸せだろう?

何自己実現求めちゃってんの?

自分で壊したんだろ。死ねよ、カス。


270日目

消えたい気分


271日目

うつ


272日目

児童館で主婦の方々の話をきく。

うんざりだ。俺なんかよりよっぽど子育てに向けての情報交換をしているじゃないか。

先生の話とか高校の話とかが出ていて遠い世界の話のような気がした。


殺したい、死にたい、いやちがう。

もう俺は俺を殺している。

思春期以降20年くらいの努力、ガマン、適応のために作り上げていた自分像すべてをぶち殺している。


結果何が残った?つみあげた知と経験は邪魔なだけのシロモノになり。

未発達だった部分とねじくれたコンプレックスだけが残った。

今の俺は搾りかす。今の俺は不良品。

今の俺は…いや、今後も俺は人間の屑。普通の人間になれない。

死ね。即刻死ね。死んで生まれなおせ。

比喩か本音かはわからんが、頭の中にそんなことばかりがうかんでいる。

下らねえ。しょせんかまってちゃん。


273日目

地域のイベントを見にいき、やっと鬱傾向をぬける。

今回、長かった。

前向け。楽しめ。日常の楽しさを大切にしろ。

身の丈にあった生き方をして、欲は捨てろ。


275日目

頼まれていたフリーゲーム用の楽曲をしあげ、邪魔になっていたベビーベッドを売り、レポートの印刷と郵送をすませ、国民年金の支払いをし本を売る。そして勉強。

やろうとしていたことを全部やれた・・・


やればできるじゃないか。


276日目

やや躁状態


277日目

息子に腹をたててから自己嫌悪。

忘れ物して自己嫌悪。

ジムに行く気になれず自己嫌悪。

でも頑張っていくも、忘れ物に気付き自己嫌悪。

気をとりなおしてジムに入ったところでシューズも忘れてて自己嫌悪。

老人、若者、ジムにいく皆が楽しそうで自己嫌悪。

帰る途中、死ね死ねと叫び続けて自己嫌悪。

最後は奇声を発していてやべーやつ。

今10時40分。そろそろ勉強しないと。


無理だった。12時まで時間を無駄にした。クソです。

できそこないです。大人になれていないんです。

異常なんです。犯罪者なんです。妻に頼ってもらえない、負担だけかけるクズなんです。

俺はおかしい、狂っている、クズ。何もできない。普通ができない。キモイ、うざい、めんどい、犯罪者。いつから腐ってた?いつから狂ってた?保育園の頃から。


くずくずくずくずしねしねくず


278日目

ボランティアへいく


279日目

 カウンセリングのため東京へ。帰るとき、人を呪うことをやめ祝うようにすることが大切なのかもと不意に気が付く。

 目の前を行く人をけなして自分を高めるのではなく、目の前の人を祝福する。「幸せになれ」と思う。

 温かい涙が流れる。

 このことに気付き、実践していたわずかな時間、俺はたしかに満たされていた。


280日目

図書館ではものを口にいれられないので眠くなると立て直しがきつい…

けれどそれなりに勉強できた方か。


282日目

 福祉の仕事を希望する人への相談を専門にやっている県の機関に行くことを決意し、行動する。

 窓口で2人の相談員の方に話を聞いて貰う。

 言われたこととしては、

「以前同じような人を就職させた経験はあるが、厳しい戦いではある。希望100%は難しいので60%で色々あたっていく。ともかく、履歴書と職務経歴書を今月中に持参してほしい。その間に色々聞いてみて君に会ってくれるところを仲介していく」

とのこと。

 ちゃんと、人として話を聞いて貰えた。ちゃんと、動いてくれようとしている。頑張りたい。


290日目

 カウンセリングへ。そう、合理化するために行ってるわけじゃない。


 自分勝手だろうが変態的だろうが、自分の心のメカニズムをときほぐすため、そしてそれを元に再発させないために行っているんだ。

 執着と他人の視線。自分の中で大きなウェイトをしめているこの2つを薄めるんだ


291日目

 とらわれるな。とらわれても、そらせ。未来に期待するな。でも絶望もするな。自分は特別と思うな。


293日目

 やると決めたことはやらなきゃ。断ち切る。エロにひかれるな。

 心をおちつけろ。綺麗な景色を心に思え。子どもの顔と、俺が警察につれてかれたときの泣き顔を思え。

 普通の人がやっていることでも危険につながることならするな。日の下を歩け。

 心をゆるめるな。ぎゅっと手をにぎれ。

 まだリスタートすら、していない!


294日目

 実家の掃除。FC,SFC、PS,PS2のソフトが沢山残っていたので売ることに。

 足元見られた感はあるが、1240円。65個くらい1つ10円で買いたたかれた。

 売って思い出した。デパートで父の気まぐれからドラゴンクエスト2を買ってもらった時のことを。ファミコンを買った時に一緒に買ったスーパーマリオブラザーズ3、ヨッシーのクッキー。

 思い出は30円で売り払われた。

 幸せな幼少期だったな。

 

 俺は息子に同じような思い出をあげられるのだろうか?

 そういえば俺は少年期から過去ばかり思って生きてきたな。


295日目

 

 どんなに良い所があろうと、頑張っていようと、犯罪者。

 どんなに再出発しようと心をいれかえても努力を重ねても、犯罪者。

 俺は犯罪者。

 そのマイナスをのりこえるプラスを伝えねばならないのだ。

 

 あと3か月で失業手当は底をつく。

 その期間に決まらなければどうなる?

 そこからは無給が決まる。まあバイトでもすればいいのかもしれんが…


 なぜ俺は性に目覚めてしまったのか。なせこじらせてしまったのか。

性は生きる力?リビドー?それによってタナトスに送られる俺は何なの?クズなの?死ぬの?


298、299日目

(日記の代わりにイラストがかいてある)



306日目

会社見学の日と思って意気込んで向かうも1日間違えていた。クソ馬鹿。


病んだことかかない。

生きてやる。死んでたまるか。

戦え何を?人生を!


309日目

都内の美術館巡りをする。

手帳は偉大だった。俺は卑小なり。


最初は感動していたけれど、途中からは作業になっていたよね。俺はアートを楽しむ素養もなくなってしまったのか?

いやはじめから持っていなかったのだろう。


315日目

負け続けている。自分が好きになれない。そういう行動ばかりとってしまう。

ネガティブかかないって決めたのにこれだよ。

うん、でも嫌いなときは嫌いなんだからどーしよーもない。


316日目

自分を愛せない人は他人も愛せないとよく聞くが、違うのではないだろうか。

他人を愛せない人は自分も愛せないともとれないか。

自己肯定感の低い奴は愛が、認知を変える。多分。


322日目

 言い方って大事だよな。保育園からなかなか動かない息子に対して、

「早くしないとピアノ短くなるよ!」だと「うえーん」。

「早くいけばピアノながくひけるよ!」だと「わーい」。

なるほど。

…これ、自分に対しても言えることか?


※いわゆるリフレ―ミングですね。自分の短所を長所として言い換えていく。まあこの作業をやるためにはそれなりに土台が安定してからじゃないとなのですが、大切な要素だと思います。


325日目

 生きていく自信がない。これが結構、適格。

 助走なしで5メートルとんでみ!できるよ!って笑顔でいわれてもできんもんはできんのよ。


329日目

 公民館で勉強中、おばあさんがわめいている。窓口の職員に自論を説き続けている。何なのだろう、実際頑張ってきた人なのだろうし言っていることは正論なのだけれど、根本に批判があって共感と想像力がない。「なぜ今の人はこうなのか?」その問題点は見えているけれど、批判的では伝わらない…いや、これは合理化か。


 つまる所俺は自信のある人をみるのが嫌なんだ。感情的にアイムジャスティスを言える人が嫌いなんだ。俺は弱い。昭和を生きた人に比べれば特にそうだろう。

 

 では弱く育ってしまった人達はどうすればいい?自己責任で死ぬしかないのか?スポイルされた?障害の適性?…俺は勝手に作った自意識と欲望にまけたクズ人間。

 昭和なら死んでいた人間なのだろうか?むしろ昭和ならうまくいったのだろうか?大変だったのだろう。昭和は。でも、俺はそれがうらやましい。


332日目

 最近日記をつけられていなかった。

 何が正解かはわからん。というか正解ってないでしょ。

 1日1日なるべく喜んでいきるしかないのだろう。


333日目

 私はぬっぺふである。

 私は父であり夫である。

 私は学校の勉強は多少できる。

 私はまじめである。

 私は発想力がある。

 私は…もうでてこないや。できないことならいくらでもかけるのに。


 私は弱い。私はコミュニケーションが下手だ。私は自信がない。うっかりものだ。情緒不安定だ。スポーツが苦手だ。金がない。意思が弱い。友達がいない。人生経験が浅い。世間しらずだ。犯罪者だ。そして、信用がない。


342日目

 じんましんではじめる


353日目

 一つ受けてみていた事業所の面接結果が来る。駄目だった。

 「うちには優秀すぎる」と言われても、ていよく追い払ったようにしか思えないよう


355日目

 仏教では今を見る。先を考えすぎない。価値判断しない。したいを大切にする。自分を客観視する。

 わかっちゃいるけどムズイよね。


356日目

 俺の人生は俺だけのものではない。祖父母、父母、姉、妻、子…

色んな人が俺を支えてくれている。

 まだ死ねないし、あきらめられない。

 何をすべきなのだろう?


357日目

 先を考えるとこわい。

 過去を考えると後悔しかない。

 つまる所今しかないのだ。


359日目

 自分で選択した結果が今だ。それはわかっているでも、自分の中で最善を尽くした結果でもある。

 どこから間違った?わかりやすく考えれば行為をしたとき。でも根本はもっと根が深い気がする。もう小4くらいの時にはこのルートがしかれていたような。

 神様は何度か気付くチャンスはくれていたようにも感じる。それを俺はものにできなかった。


 どうも、仕事に必要な能力のバランスは土台に非認知能力、その上に認知能力がピラミッド型にのっていることが必要らしい。俺は逆で、小さな非認知能力の土台の上に大きく肥大した認知能力がのっかっている。きのこのような形だ。だからすぐぐらつく。

 スキル振りを間違えたのか。多分こういう人はこういう人で専門性を磨いていけばそれはそれで一人前になっていくのだろう。


 俺はそれもできずに自分で全部崩してしまった。

 俺が一生懸命積み上げてきた認知能力は主に教科や人への指導に関するもの。その認知能力をいかせる仕事は前科からつくことは難しい。

 結局俺は他の人よりはるかに劣る非認知能力の枠の中でやっていくしかない。


 ※当時の自分は非認知能力を広げていくものに薬やGW、自己覚知が含まれていることに気がついていない。


368日目 大荒れ

 朝、出発直前に当時想定していたプラン(娘を送ったあと近くの公民館で勉強しつつ就職希望先へ履歴書を仕上げて郵送する)の準備が整っていないことに気付く。住所をメモしないとだし、履歴書にはる写真の準備も必要だ。ましてや大雨らしく、その中コンビニに行って印刷して郵便局行く・・・となると一回家に帰ってきてからやった方がいいのでは?でも家から郵便局へ行くのも、娘を迎えに行くタイミングだと遅すぎるし・・・等思考に決着がつかずパニックになった。


 この程度のことでパニックになっている自分に腹が立ち、娘の前で泣きわめく。郵送するために住所調べたPCで、やめときゃいいのに「発達障害 パニック」とか検索して、やっぱり自分はそうなんだという思いを強くする。すると、今までやってきたことがおかしな方向性に見えてきてしまう。自分は発達障害をベースに持つとはいえ、教員以外の仕事なら出来ると思おうとしていたのではないか。


 けれどそれ自体が思い込みで、実際の俺の能力は働くこと自体に見合わないレベルだったのではないか?昨日考えていたように。そうなると受けるべきは介護初任者研修ではなく、ウェブデザインコースとかだったのではないか?ライターだったり、家で人と関わらず自分の感性をいかして出来る仕事が、まだあったのではないか??とか考えがぐるぐる。


 俺は大変には耐えられる。忙しくてもいい。ただ、俺にとって人生は大変というより辛いのだ。大変は終わる。大変は処理できる。けれど、辛いは耐えられない。改善できない。結果、辛いものから遠ざかるようにしてきて、こうなった。本当に他の人達は辛いのか?俺はささいなことでも自己否定して辛くなれる軟弱もの。悔しい。情けない。みじめだ。羨ましい。やり直したい。いるはずのない普通の人を自分の脳内で思い描き、自分と比較し、勝手に落ち込む。馬鹿の極み。落ち込んだ結果、死にたくなる。やるべきことができなくなる。また自己嫌悪。ああ嫌だ。


 今日は7時50分に家を出られるはずだったのに結局8時30に家を出た。娘を送って公民館に着くも、心が落ち着かず。車内でわめきながらミラーを殴ったり窓ガラス叩いたりして。結果ルームミラー破損。ドリンクホルダーも破壊。みじめになってさらに泣きわめく。どうしようもなく感情が切り替わらず、母に電話。出ず。

 気分的に今日は作業できないと思い、強制的に自分を落ち着ける&家に帰る状況を作るために、大雨の中傘をささずに歩きだす。結局30分くらい雨の中ばしゃばしゃしながら歩き回った。客観的に見て、やばい奴。こんな姿妻に見られたら心配の前に後悔&引かれるわ。そう考えるとみじめになるやら笑えるやらで泣き笑いしながらふらふら雨の住宅街を歩いていた。

 流石に寒くなってきて、10時くらいに家に帰ってくる。何をしていたんだ俺は。安否を連絡するために再度家に電話。父に代わった時、上記したような部分を伝えてまた泣く。いい歳の男が親と電話して泣いているとか、キモイわ。けど、どうしようもなかった。心配した父母が飯を食いにいこうと家に来てくれることになった。


 1年たったのに。根本が変わっていない。俺は何をすればいい?どう生きればいい?将来が見えない。自分が嫌い。自分を殺したい。死にたいからじゃなく、自分を殺せばすっきりするし、リセットできるんじゃないかと思うからだ。自殺する人はゲームオーバーになりたいんじゃないと思う。リセットしたいんだと思う。リセット。スタートに戻る。もう一度、赤ん坊から。育ちなおしたい。そんな感覚もあるんじゃなかろうか。でも、子ども達と別れるのも嫌だ。結局俺はなにも選択できない。昨日も、歩いている時に狭い道をスピード出して走ってくる車にぶつかってやろうかと歩を進めかけた。結局いたいのは嫌だし、あと数歩で止まったけど。これも希死念慮?だとしたらそのうち自殺未遂に発展して、いつか死ぬのかな。増水した川に流れる自分を想像する。面白そうだ。けど、苦しいのは嫌だな。この感情のバランスがすこーし崩れると、本当に死ぬ気はないのに死ぬような行動に足を踏み入れてしまうのかもしれない。

 とにかく今日のパニックはすごかった。これはやばいやつだった。こういう日はもう無茶してはいけない。


※数ヵ月に一度、気象なども影響するようですがこうした大きな波が発生することがあります。薬を飲んで大分安定した今でも、完全にゼロには至っていません。ただ、唯一今昔と違う点があるとすれば、この波はいつか通り過ぎることを実感として理解しているということかもしれません。




次回はいよいよ再就職がきまりますよー

閲覧数:44回0件のコメント

Comments


bottom of page