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ぬっぺふの当事者研究③


どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです

どうしてもブログの内容が教員関係に傾いている部分があったので、4回にわけて過去に行っていた自身を対象とした当事者研究をアップしています。


まず第1回目と2回目については、自身の成育歴を振り返りつつどのような経緯で二次障害へと陥っていくか、の分析でした。今回3回目では半生を振り返っての気付きを挙げ、最後の4回目では自身のアセスメントと、発達障害およびそのグレーゾーンとはどのような辛さがあるのかについてまとめていければと思います。


では、今回は第3回、ぬっぺふの半生を振り返り、見えてきた気付きについて共有していきましょう。


※なお発達障害については困りごとは人それぞれです。私と同じような特性を持っていても環境の違いから全く困らないという方もいるでしょう。なので、あくまで私のケースを軸にした当事者研究であることはご了承下さい。


※緑の書き込みは、現在のぬっぺふからの追記であったり感想です。


 

以下本文


 前回のせた、自身の半生の振り返りを見直して気付いたことを雑多にまとめたものです。

個人的なメモだったのですが、今回少し手を加えて人にも見ていただけるようにしてみました。

 無論、自分の体験と学びの中での気付きですので万人に共通するものではありませんが、参考までに。


 

①あなたの大変さは多分自分が甘えているためではない


 世の中には「全部自分次第!」「辛いのは皆一緒!甘えるなボーイ!」的な発言が渦巻いておりまして、そうした意見に飲み込まれてしまうと自分の感じている大変さが「甘え」のように感じられてしまう時もあるかと思うのです

 

 ただ、症状が落ち着いた今過去の自分を見直すと決して甘えているのではなく、甘えたいのに甘える方法をもたなかったことがむしろ問題だったのではと感じるようにもなっています。

 依存に陥る人は依存下手と言いますが、そうした面は自身にはたしかにありました。

 よく依存症の方に「そんなものに頼らないと人生を維持できないなんて精神的に弱いんだね」という誤解を持つ方がいるのですが、実際は依存症にならない方の方が依存度は高いのです。沢山の人、沢山のもの、沢山の場所、それぞれに少しずつ依存しているがために気付きにくいのですが…


 ついでに言うと、辛さは人それぞれです。辛いのは皆一緒という言葉は一見聞こえがいいのですが、炎系ポケモンと草系ポケモン、溶岩地帯で同じように過ごせるかといったらそりゃ無理な話です。

 他の人は当たり前にできている、乗り越えている、なのに自分は出来ない、なぜ?と言った時に、頑張って体を鍛えたり歩くたびに体力回復のためのドーピングをしたりしても根本の解決になりません。「そうか、自分は草系ポケモンだったのか!じゃあ溶岩地帯にいる限りきつのは当たり前だ」と気付けることが大切なのです。いや、まあ単に打たれ弱いだけの人も当然いるわけですが、それならそれで打たれ弱い分他の人よりダメージは大きいわけでして。いつかは慣れて強くなるにしても、他の人より最初は休息をしっかりとっていったり味方を作って防御力アップをはかったりする必要はあるわけです。


 

②発達障害傾向のあった方は思春期以降に注意


 個性の範疇に収まっていたとしても、ADHD的傾向等発達障害の傾向が見られた児童の青年期には気をつける必要性があるのだと感じます。自己対処の方向性次第ではのちの爆弾につながっていく。そしてその自己対処は人に見えないように行うことが多いので、周囲から気付くのは難しいのもこじらせやすい理由かと思います。

 また、高校・大学は逃げ場も多い分居心地よく過ごせることがあっても、就職で一気に問題が花開くことも。

 基本的には凸凹が重かった子は幼少期に気付かれやすく、療育に繋がることができ余後が悪くないと言われていますが、凸凹が軽かった子こそ二次障害に繋がりやすいと言われています。自分がそうしたタイプだったのではないか?と振り返ることも重要ですし、今目の前にいる生徒にこうした目線を当てはめてみることも重要な目線かと思います。

 いずれにしても、鬼門となるのは思春期以降です。そしてその生き辛さの根本は幼少期に片鱗が現れているかもしれません。



 

③専門家との出会いの重要性

 

 自身の苦手を客観的に捉えるのは時間と勇気が必要です。本人のプライドもあるため、身近なアドバイザーである保護者からの声では素直に聞けないこともあるかもしれません。また、「思うだけで変わったら苦労しないよ」という言い訳も本人の中には渦巻きます。

 特に、思春期はプライドが邪魔をします。俺は人とは違うんだ!と思いたい反面、人より劣っていると思いたくないため言い訳をしてしまう。別に劣っているわけではなくそういう特性をもっているだけなのだが、そうは思えない難しさ。

 そうした意味で、専門家が親身になって話を聞いた上でのアドバイスだったら届きやすい面はあるかもしれません。

 

④二次障害化を防ぐための幼少期からの準備

 

 自身を知ることから人生の好転が始まります。特に発達障害(正確には本人が困っていなければただの発達の凸凹ではあるのですが)の方の場合はその凸凹を捉えているかどうかは大きな視点の変換です。しかし、自身が障害を抱えている、他者とは違うようだ、という事実は受け入れるのに時間がかかることもあるでしょう。

 幼少期から発達障害を含む障害が身近なものであり、いつ自身に降りかかってくるかはわからないことを気付かせておくこと。これは社会全体の理解を促進するとともに、傾向を持った方が自己受容をしやすくする一種保険になると思われます。

 

 何でも学校に委託するなという声もあるかと思いますが、小中高の授業で社会保障の利用含め多様な人生のあり方を扱うことも方法の1つです。それを知っていることが本人のワーカビリティ(クライアントが自身の問題に取り組んでいこうとする力)に繋がります。当然障害についての理解を深めておくことも重要でしょう。


 例えば鬱病は100人に6人は罹患します。より症状が重い統合失調症(脳が統率能力を失うことにより幻覚や幻聴を含む精神的諸問題を発生させる病気。幻覚や幻聴は陽性症状といい服薬によって大分安定するが、陰性症状とよばれる体や思考の重さ、無力感等がむしろやっかい)は高校生くらいから30代くらいの中で発症することが多いですが、大体100人に1人の割合で、どちらも交通事故以上の確率です。

 …発達障害についてもパーセンテージは調査によってまちまちですが、10人に1人はいるとされ、今後この数字はもっと増えていくことでしょう。またより長期的に目線を広げれば、脳梗塞の後遺症等による高次脳機能障害や身体麻痺なども後天的に障害者となるパターンと言えます。

 こうした実は身近な障害への理解を深めていくのは日本全体の今後の課題なのだと思います。

 現在日本では表向き障害者について悪しざまに語る人は少ないですが、実際はNIMBY(not in my back yard=そういう存在がいることは認めるけれど、うちの裏庭には来ないで!という人々)と呼ばれる方が多くいる状況です。特に統合失調症をはじめとする精神障害者は謂れのない差別を受けている状況でもあります。

 

 結果、水面下では「障害者は生産性もなく税金を無駄に使う存在」というかつてなら決して現れなかったはずの考えがじわりじわりと触手を広げている。

 今後リバタリアニズム化がより拡大する中で、障害すら自己責任とするような思想、あるいはナチスのような「優生思想」が広がってしまうかもしれません。

 それをくい止め、同時に自身が障害を負った時に絶望しきらないためにも、学校教育はまだまだ出来ることがあります。(無論、それ相応の人手が確保されなければそうした試みは難しいのが現実ではありますが…)


 

⑥学校で予算をかけずにすぐにできる対策

 

 例えば生徒に問題行動が見られた時、その背景を探る目線が周囲に必要です。良く言う話ではありますが、困った生徒は困っている生徒である可能性が高い。ではどこに彼は困っているのか?その困りを自己流に対処するため、何を犠牲にしているのか?どのようなゆがみをもちはじめているのか?

 本来は弱っている時が支援の入りどきであり、早期に気づきを得ることがその後の二次障害を軽減させることに繋がります。

 こうした感覚は当然ベテラン教員も経験から学んでいることは多いのですが、たとえば社会福祉士の世界では「経験」ではなく頼るべきは「知識」です。なぜなら経験はあくまで一部の限られたケースから得られた見地でしかないためです。

 私は経験を否定はしません。ただ、経験だけで判断を重ねると、多様化する問題の背景を捉え損ねるということはあると思っています

 こうした危険は、学校の先生の中に社会福祉士や公認心理士の資格者が3人くらいいると色々かわってくるのではないでしょうか。

 現在スクールカウンセラーなどの配置は進んでいるものの、教員というものは外部からの声は「そうは言っても現場はよう!」とはねのけることが多いので、実質週に1度程度しか学校をまわることができないスクールカウンセラーに全てを一人するよりは、教員でありながら社会福祉士や公認心理士の視点を持った方を増やす取組(簡単にいうと月給に資格手当をつけるなど)が重要になってくるかと思います。おそらくそうした環境整備が進むと、生徒も落ち着くし教員の不祥事も収まっていくはずです。

 なお、発達障害の場合は小学校入学までに療育に繋がったものの場合は予後はむしろ良好とのデータが出ています。特に小学校で障害に関する専門的な知識をもった教員が増えることは今後必須なのではないかと思われます。

(なお、県には精神保健センターという専門機関が存在し、発達障害含む精神系の研修を多数行っているのですが、教育委員会とのからはみほぼ無いようです。県によっても違うのかもしれませんが…)


 

⑦一見うまくやれていても自分を振り返ってみることが大事

 

 仕事をうまく処理出来ているようでも、背後で依存があったり認知がゆがんでいたりする場合は後に悪化する可能性があります。いわば麻薬を使いながら仕事を回している状況なので…。

 発達障害系では覚醒を維持するために食や自傷などの刺激を求めることがあるし、非定型うつなんかでは食欲性欲は増進する。そうしたものへの依存でごまかしている場合、今はよくとも後々大きな問題につながることもある。

 「あれ、なんかおかしいぞ?」と気付くチャンスがあったとしても、ネット上の簡易うつ診断のようなものはDSMと呼ばれる基準に従っていることが多く、「食欲、性欲等の減少が見られない」人をうつと認識しにくい面があります。

 もしかして、と思って調べてみても客観的な情報がうつを否定するために、「やっぱり俺の問題なんだ」と捉えてしまい、結果より自身の歪みを強めてしまうなんてことも起こりえます。


 自分が周囲への過剰適応を起こしていないか。この目線も重要です。自身でも悩んでいるが仕方ないんだと抑え込んでいる場合もある。自身を押し殺し続けての過剰適応は、危険です。さんざん自分を抑えたにもかかわらず、最後は他者を巻き込む形での爆発に繋がりかねません。


 

⑧相談をするならば、深刻そうに、本気にせよ


 発達障害かもと人に相談をするなら本気で相談しないといけません。

 人は「障害=良くない」と思い込んでおり、悪気なく「私もそういうことある、普通だよ」「発達障害じゃないよ」と言ってくれるものです。

 しかし、自身について悩んでいる人にとってそれは「自己責任だよ☆」と言われているようなもの。

 逆に、もしこうした相談にのる場合は、本人が本当に発達障害と言える水準かどうかはともかく、その悩む気持ち、発達障害であることに希望を見出そうとしているのかもしれない精神状態をこそまずは受け止め、共感する必要があります

 決して言い訳で言い出しているわけではないのです。本人なりに自分と社会のバランスを保とうとした結果、その発言に至るのです。

 本気で相談した結果、対応しきれなかったとしても「あの人の様子が変だ」と気づいてもらえるだけでも大金星。色んな人に相談しておけば、何かあった時にもサポートが得やすいです。抱え込めば抱え込むだけ爆発した時にも大きくなるし悪化もしやすい。


 

⑨自信を喪失している時は何事もうまく回らない


 自分に根本的な自信がないと、どんな結果を残していても逆効果になりかねません。「あれは人が助けてくれたから…」「たまたまうまくいったんだ…」「それはそうだけど、あれもミスったしこれもミスったし…」とか。

 ぬっぺふ個人のケースでは自信回復をしたい気持ちはある反面でもう頑張ることに疲れていたのか「俺にはできない」という思いこみに支配されていました。他人を攻撃するように自分を攻撃していた。

(脳は他者を攻撃するのも自己を攻撃するのも区別できないのです。仕組みは同じ。外に出ないのは単に自分よりも優先順位が高くて攻撃できないからであり、自分よりも弱いものが目の前に現れたとき、もしくは見つからないという確証があったとき、その攻撃性は外にむく可能性はあります。自分を傷つけられる人は、状況次第で他人も傷つけられる人なのです。)

 

 こうした時、常に自分の中に渦巻いたのは「俺は弱い」という感覚です。

 ならばいっそ、自分が普通の人よりもいい意味で繊細、悪くいえば弱い人間であることを認めることが出来れば良かったのでしょう。

 ガラス細工が鉄塊のマネをしてがむしゃらにつっこんだ所でとがって周囲を傷つけながら最後は砕け散るだけ。ガラス細工にはガラス細工にあったメンテナンスや置き場があったはずなのです。


 

⑩努力のジェンガは土台が安定しないと積みあがらない


 上記したような点に気付き、自分を見つめなおすためには、精神的に安定している状態を作らないといけません。土台がぐらついているのに頑張って努力という名のジェンガを積み上げようとしたところで、結局歪でアンバランスな形に組みあがってしまい、あとで修正しようにもどうしようもないということにもなりかねません

 病んでいる最中のポエムですが、案外これが発達障害や軽度知的障害をかかえながら周囲に対応しようと頑張っている人の精神状況なのではないかとも思いますので、ちょっと載せておきます。


 ぐるぐるゆれる土台の上で 必死に積み木を重ねている


 周りはみんなレゴブロック 俺には無い色、無いパーツ


 かっちり組んでてかっこいい


 あの子は最新新幹線 あっちは自由なヘリコプター


 いつか見てろとつぶやいて 必死に積み木を積み上げる


 風ふきゃ土台がぐらりとゆれて 思った形に作れない


 みじめな気持ちになりつつも 積み上げ続けてみたものの


 しょせんぐらつく台の上 ちょっとのことでバラバラだ


 何回つんでもバラバラだ 



 何を作っても敵わない 何を作ってもすぐ崩れる 


 三途の川の石拾い



 …上記のような状態になったときに、考えるべきは一度積み上げるのをやめて土台のぐらつきを見てみようということなのです

 土台のぐらつきは過去のトラウマであったり脳機能的な問題であったり理由は一つとは言えませんが、いずれにせよ「休息」と「服薬」、そして「対話」で大分改善するものです。 

 精神を病む方、依存症になる方は基本的に真面目な方が多いので無理やり揺れている中でもブロックを積み上げてしまうのですが、それは長期的には命取りなのです。

 休みたくない気持ちはわかりますが、長期的な目線で貴方の活躍を、そしてその活躍によって助けられるであろう人々のことを考えるならば、休むは吉なのです。…その決断を下すには勇気がいるし、だからこそ味方が必要なのですが。



 

以上、半生から得た自身の反省をもとにいくつか情報提供をさせて頂きました。

自身と同じような傾向を持った方にわずかばかりでも参考になったなら幸いです。

次回は4回目、自身についての精査とともに、「発達障害グレーゾーンとはなんなのか」について自分なりに解説したいと思います。

では、また後日…


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