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ネットとの距離に気を付けなきゃいけない理由(基本は妄想増幅装置ですよ)


 どうも。最近Twitterを始めたためにネットに関わる時間が伸びつつある元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。


 夏休みになって、インターネット上に小中高生が闊歩する時期となってきました。今やインターネットは生活の中でなくてはならない存在で、多くの人が調べものから趣味に至るまで多様な目的のためにインターネットを利用します。

 ただし、インターネットには付き合う上で知っておくべき特性があります。

 今回はそのインターネットの「悪癖」について触れていきたいと思います。

 では、いってみましょう!




 

1.インターネットは心の弱った方には刺激が強い


 まず初めに。不祥事を起こしてしまった、あるいは起こしてしまいそうという方について、今ある辛さを減らしていきたいと思うのであれば、インターネットとの距離を置くことが有効なことがあります。

 

 というのも、インターネット上はなんだかんだで成功者や回復者の言葉が溢れていることが多いです。たとえば、発達障害の辛さについて調べたいと思って検索しても、出てくるのは「発達障害でした。でもそれを機に自分にあった働き方をみつけて今は年収1000万です。そのノウハウを提供します!」といったタイプが多い

 淡々と、渦中の辛さについてまとめ自己分析を行っているようなHPはなかなか見つからないのです。


 これには、インターネット自体は万人に開かれているものの、検索システムは大衆に迎合するように出来ていることが大きな理由として挙げられます。ネットを利用している方はいわゆる普通の人々です。であれば普通の人が好むものが前に出てきてしまうのは道理。ポジティブな言葉、強い人間の発言、成功者の声…などなど。


 次の理由としては現在ネット上の情報サイトは特定の個人が書いているというよりもお金をもらったライターが書いているものが多いという点。

 当事者じゃないものが情報の表層だけをなぞって「こうしたらいいですよ!」と無責任にアドバイスしているページも数多く存在します

 大体心が弱っている状態の人は「こうしたらいいよ☆」的なアドバイスは既に知っていて「わかっちゃいるけどよう」と今に至っていることが多いわけでして。

 上記のような悪意のないポジティブはまっすぐな悪意よりなお弱った心を傷つける面があるものです。


 …かといって、SNSで個人的に繋がっていく場合は人間関係のしがらみも発生するので予期せぬ形で辛い言葉を浴びせられることもありますし、どん底状態の人々のみと交流することで意識がよりネガティブな方向へ捉われてしまうことも注意が必要

 

※ありがちなのは「この人に比べれば自分なんて全然大した苦労をしていない…なのにこんな状態になっているなんて、ああなんて俺は弱いんだ!」といった形になってしまったり「俺達が辛いのはやつら成功者のせいなんだ・・・」と一部のカテゴリーに対する恨みが強まってしまったり。


 つまるところ、ネットを適切に利用するためには、ある程度自身の精神的な土台が安定している方が安全です。そうしないと、自分を救ってくれる情報をさがしているはずが、気が付けば自分の駄目さがしになってしまっていることもあります。

 福祉の利用法だったり医療機関探しであったり、様々な情報をインターネットを通じて集めなくてはならないため使わないというわけにもいかないのが正直な所ですが、その際はインターネットが持っている上記のような特性をしっかり把握しておき、どっぷりネット文化に漬かりきらないよう気を付けましょう。


 

2.インターネットは個々人の思い込みを増幅する


 さて、ネットのもっている「悪癖」、2つめは「おもい込みを補強する」効果をそもそも持っているのだということです。ぬっぺふとしては、この面に気付いているかいないかだけで、その人の人格形成や意見形成に大きな違いが現れるのではないかと思っています。


 とくに、 不祥事をおこしてしまうような方は、インターネットによって自分のコンプレックスに根差した差別意識や性的嗜好、ロジックを先鋭化させてしまっていることがあります。はてさて。なぜこんなことがおきるのかをおさらいしてみましょう。


 まず前提として。インターネットは多様な意見の渦巻く混沌です。

 この混沌にはありとあらゆる意見が詰まっているため、極論をいえば自分が欲しいと思う情報だけを検索によって抜き出すことができます


 「教員は出来そこないだ」と思いたい人は教員+ネガティブなワードをいれれば、自分が欲しい情報がいくらでも出てくる。それを見て「ほれみたことか」と思い込みが強化される。これが基本事項です。


 ですが、実際は教員+ポジティブなワードをいれれば、それはそれで色々な情報が出てくるものなのです。インターネットは四次元ポケットです。欲しい情報が出てきます。だからこそ、使い方には注意が必要です。

 

3.AIのもつ脅威とリア充の持つ圧力


 かつてはグーグル検索など手動での検索が中心だったため、何かを調べるときは逆の意見も調べることである程度情報の取捨選択ができました。

ある事柄について賛成か反対か。両方の意見を見ることで自分の判断材料とする。こうした利用法であればネットも有効です。


ところが、昨今youtubeにしてもTwitterにしてもAIさんが自動でこちらの好みを察知し、おすすめを挙げてくれるようになりました。これは冷静に考えると恐ろしい事態です。理屈はともかく、感情でいいなと思ったものをいいねしていくと、自動的により考えが先鋭化するようなものをAIさんが提供してくれる


 学校つまんねえ。そう思って、同じような人の感想にいいねをした。すると、より多くの学校つまんねえが表示されるようになった。自分も学校つまんねえとつぶやいた。いいねがもらえた。積極的に学校つまんねえを漁っていった。そして行きつく先は、「日本の学校教育はクソであり、そこにいた自分達は被害者。教員は受益者。もっと教員の境遇を悪くしてやらないと気がすまない・・・」といった意見だった…というのはありがちな話です。


 以前やまゆり園という障害者施設にて元従業員だった男性が夜間に侵入、多数の利用者を殺害していったという事件がありました。

 あの事件では犯人は犯行の動機として

「自分が何者であるかもわからず、意思疎通がとれないような障害者は、生きていても社会に迷惑をかけるだけであるので、殺害してもよい」

 といった旨を主張しており、自身の犯行は社会のためにやったのだ、と正当化するわけですが、実はこの方の主張にオリジナリティは何一つないのです。

 インターネット上に転がっている差別感、過去の歴史の中にある優生保護的な過ち。現代日本の陥っている能力がなければひどい生活は当たり前を肯定する新自由主義的視線。そうしたネット上の知識のつぎはぎで彼の思想は構築されている。

 

 多分彼はもっと本を読むべきだったのです。もしくは別の目線でも情報を探るべきだった。しかし、それに気付かず彼はネット上の悪意の化身となって、自分自身まで壊してしまった。


 ネットの検索やAIによる自動おすすめ機能はとても便利なのですが、上記のような悲劇に繋がる要素も持っていることを知っておく必要はあります。


  また、SNSには皆自身の充実した人生を演出し勝ち(とくにフェイスブック)ということもある思い込みを補強します。つまり、承認されるような自分を演じなくてはという思い込みです。

 結果、自分のリアルがネット上の自分の理想像に侵食されていくというおかしな状況になっている方も多々いられるように感じます。

 

 1.の内容と被るのですが、こうした風潮は、自身がいっぱいいっぱいで自分の人生を生きることができていない…という感覚をもっているときには劇薬です。自己否定感にむしばまれたり逆に他者に対する羨望にとらわれたりすれば、そうした感情は自他への攻撃の元になってしまうことがあります。

 こうした面も、インターネットの怖さかもしれません。



 

4.最後に


 ネットがもっている2つの悪癖についてまとめてみましたがいかがでしょうか。皆さんは無意識にその悪癖に染まってはいませんでしたか。


 対抗するためには論理的に、倫理的に、多数の情報を並べて判断していく能力…というか感覚が必要です。無論、この感覚はそれなりの言語能力、既得知識、情報の取捨選択の経験をへて身につくもの。

 

 …これからの時代で恐ろしいのはそうした能力がついているはずがない小・中生が既にネットを使って自分の意見を作りだしているということです。


  無論、若者は馬鹿ではありません。いつかそうしたネットの効果に気付き、我々大人以上の敏感な肌感覚をもって情報の取捨選択をしていくようにきっとなるのでしょう。その時ネットに毒されて彼らの足を引っ張るのは我々大人なのかもしれません。


 ですが、おそらくそうした変化の過渡期である現在はネットによるマイナス面が大きく現れてくる時期にも思えます。


 だからこそ、大人は感情論をネットで補強して何かを語ってはいけないのです。感情を合理化するために理屈を探すのではなく、自分の感情をも疑いながら理屈を積み上げて何が自身にとっての本当なのかを探っていかなくてはいけないのです。そして、そうした積み上げが出来ない状態のときは、ネットとの距離を少しおき、クールダウンさせることも必要なのです。特に教員という若い世代と間近で接する大人であればなおのこと。

 

 そして生徒に提供すべきは与えられた情報から正解を導く障害物走のような学習ではなく、彼らのもっている常識を、脳を揺らしていくような情報なのです。検索した情報のつぎはぎだけがうまくなるような学習ならない方がいい。

 

 他者の言葉に脳が揺らされた経験を持つ人は、自分の考えそのものも絶対視せず、他者の意見を咀嚼する土台が出来てきます。昨今アクティブラーニングが騒がれていますが、どうせやるなら前述した障害物走のような形にはならないでほしいなと思うのです。

 なぜなら今はインターネット全盛期。調べてつぎはぎだけがうまくなって生まれてくるのはやまゆり園の犯人のような存在なのではないかという危惧が私にはあるからです。


 ということで話が本筋からずれてきそうなのでここいらで一区切り。

 ネットには、お互い気を付けましょう!

 では、またいずれ。


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