どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。
今回は、「ハイヤーパワー」をどのように捉えるかについて個人的な発見があったため、少し触れてみようと思います。
なお、ハイヤーパワーの理解についてはひとそれぞれではありますし、私の解釈は一般的なものとは違うかもしれません。あくまで一つのものの見方としてとらえて頂ければと思います。
では、行ってみましょう!
1.ハイヤーパワーとはなんぞや
まず、ハイヤーパワーとは何か、ご存じない方のために簡潔に説明させて頂きます。アルコール依存や薬物依存、性依存に至るまでありとあらゆる依存症の自助グループが参考にするモデルとして「12ステップ」というものがあるのです。これは端的に言えば、「12のステップに従って行動していくことで依存症からの回復の道をたどれるよ!」といういわば回復へのモデルケースのようなものです。詳しくは以下参照。
1. 私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたこ
とを認めた。
2. 自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになっ
た。
3. 私たちの意志と生きかたを、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をし
た。
4. 恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作った。
5. 神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をあり
のままに認めた。
6. こうした性格上の欠点全部を、神に取り除いてもらう準備がすべて整った。
7. 私たちの短所を取り除いてくださいと、謙虚に神に求めた。
8. 私たちが傷つけたすべての人の表を作り、その人たち全員に進んで埋め合わせを
しようとする気持ちになった。
9. その人たちやほかの人を傷つけない限り、機会あるたびに、その人たちに直接埋
め合わせをした。
10.自分自身の棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認めた。
11.祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の
意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。
12.これらのステップを経た結果、私たちは霊的に目覚め、このメッセージをアルコ
ホーリクに伝え、そして私たちのすべてのことにこの原理を実行しようと努力し
た。
以上、アルコール依存症者の自助グループ、アルコホーリクス・アノニマスより
はじめて読んだという方にとっては、非常にうさん臭くも見えたかもしれません。様々な場所に「神」という単語が出てきます。
アルコールに限らず、依存症という病気の背景には「自分の人生を依存物を使ってコントロールしようとする」という性質があります。そしてその根底には「人生は自分次第」といういわば自力本願な考え方が見え隠れしてきます。たとえ一時的に依存物から離れられたとしても、こうした当事者の性質そのものが変わっていかない限りは依存は再発しやすいのです(あるいは別の依存に移り変わるだけ)。
そこで、必要なのが「自分には人生は操作しきれない」と認めることになってきます。これは、努力をするなと言っているわけではありません。努力はする。責任も果たす。しかし、だからといって相応の見返りがあるべきだと思わない、といった感覚です。
では、自分が人生を操作できないのであれば一体何が人生を動かしているのか?
……その答えが12ステップでいう「神」であり、神を信じられない方々にとっては「ハイヤーパワー(自分自身を超えた所にある力)」となるわけです。
2.ハイヤーパワーの存在によって担保されるもの
さて、ここからは大分ぬっぺふ色の強い捉え方も出てきますのであしからず。
先述したハイヤーパワーの存在を信じることによって、人は何を手にすることができるのか?それを考えていきましょう。
①執着からの自由
自分の人生を含む様々なものをコントロールし、思い通りにしたいと心が囚われることを執着と言います。依存症や精神疾患にとって、この執着は人生を生きにくくするものです。
※だって、世の中思い通りになることなんて実際ほとんどないわけで。コントロー
ルしよう、したい、しなくてはという思いこみはうまくいかない全てを自己責任
に帰着させます。逃げ場がない。これが自力本願を目指す人間の弱点です。
「自分は自分一人思い通りに動かすことはできんのだ」という実感はある種のあきらめです。日本人は「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という言葉が大好きなように、あきらめが悪い民族。ですが、一方で「あきらめなければ次の試合が始まらない」というのも真実なのです。そして、さらに言えば「試合なんぞ放棄しても死ぬまで人生は続く」というのも真実。
執着から解き放たれると、人生というもののハードルが大分下がってきます。ハードルが下がれば、自分自身のコントロールも小さくてすむようになってくる。そうなると、依存物に頼らざるを得ない回数もおのずと減ってくるのです。
②公平性の担保
さて、ここからが個人的に気付いたもう一つの側面です。即ち「公平性の担保」。
一体何を言っているんだ、という方もいるかもしれませんが、簡単にいえば「ハイヤーパワー」が存在することを認めることは、「世界は公平である」という考えを支えてくれる、ということになります。
「なぜ世界が公平だと依存症になりにくいんじゃ」「見返りをもとめないという考えと矛盾せんか」という意見が聞こえそうなので、以下で少し説明させて頂きます。
依存症の中でも被害者がいるタイプの依存症…たとえば「性犯罪加害」や「万引き」に関する依存者については、根底に「自分は頑張っているのに認められない」という「不遇感」が存在することが多いと言われています。そしてこの不遇感の根本にある考えが「世界は公平であるべきだ」という無意識の思い込み。
※詳しくは「万引きと盗撮は似ている」の記事参照。
皆さんも理解しているように、世界は多分公平ではないのです。人を平気で傷つけ、騙すような人間が社会的成功を収めるなんてことはざらにある。「いい人は都合のいい人」なんて言われるのが世の常です。
しかし「依存症」になる人は人に頼るのが苦手で、自分で何とかしなくてはと抱え込みやすいタイプが多い。結果、仕事面では要領が悪く貧乏くじを引かされやすいこともしばしばです。
こうして「不遇感」がつのるとどうなるか。公平性を信じたい彼らの中では「これだけ頑張っているのだから、少しくらいいい目をみてもいいじゃないか」という思いが出てきます。表面上ではなく、無意識にそうした思いがため込まれていくのです。そしてそれらは本人にとって最もガードの甘いところから吹き出し、問題行動へとつながってしまう。
※例えば「万引き」の依存症者でもあったテレンス・ダリル・シュルマンは万引きを「失ったものを取り返す行為」と述べています。
ところが、「ハイヤーパワー」の存在を肯定することができると、この「不公平感」が減少するのです。なぜなら「おてんとさまは良いことも悪いことも全部見てるから」。
たしかにこの世界は不公平で、頑張っても意味がないと感じることばかりかもしれません。ですが、その頑張りを「おてんとさま」は見ています。同様に、表向きいい顔をしながらずるいことばかりしている人間のことも「おてんとさま」は見ています。
その不公平が完全に解消されるのはもしかしたら現世ではなく来世なのかもしれません。昔の人は「地獄」「天国」あるいは「輪廻」といった来世を信じながら生きていましたが、この思考は単に「良く生きないと地獄生きになる」という締め付けのみを与えていたわけではなかったのでしょう。
どう見ても理不尽な現世を生きる人々に、「頑張りはちゃんとおてんとさまに見て貰えているよ」「ずるいことした人はちゃんと罰をうけるよ」という感覚を与え、それによって「世界の公平性」が担保されていたわけです。
上記のような来世を現代人、特に日本人は失ってしまいました。ゆえに、自分の目で見える世界の中でしか「公平性」をはかれなくなっていた。
そんな中、「ハイヤーパワー」を信じることで「頑張りはちゃんとハイヤーパワーが見てくれている」という感覚を感じられるようになることがあり、結果依存者が本来持ちがちな「世界は公平であるべきだ」という真面目な世界観を完全に崩さず、一方で「不遇感」を軽減してくれるのではないか、と個人的には思うわけです。
3.最後に
あるグループワークの際、「私は地獄行きと言われた」とメンバーの一人が述べました。私はそれを聞いて「ああ、そうか。自分も地獄行きだろうな」とその回はへこみました。
ですが、次の回でふと思い立ったのです。「もし自分が地獄行きとしたら、自分がうらやんで、憎んでいた人々(平気で人を蹴落としたり傷つけたりしながら現世利益を享受するような方々)も地獄に行くんじゃないの?それなら公平だな」と。
次の瞬間、「ちゃんと来世で報いを受けるなら、今生きている間にそうそう努力が認められなかったりしてもあんま気になんねーな」となんだか自分の現状をすっと受け入れられるようになったのです。
「あれ、この根っこにずっとうずいている不公平感が来世のことを考えたらへったぞ?」という感覚をきっかけに、自分なりのハイヤーパワーとの付き合い方が見えたのでした。
…多分この理解のルートは一般的な「ハイヤーパワー」を感じるルートではないのでしょう。ただ、このネガティブにネガティブをかけた結果ポジティブに毒が裏返ったような理解の仕方が私のような人間には良かったようです。
というわけで、一般的な形とは違うのですが一つの理解に至るルートとしてここに記しておくことにします。ではまたいずれ!
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