top of page

不祥事にも繋がる「わかってもらえない感」の蓄積



 どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。

 突然ですが、皆さんは自分の考えていることを他者に伝えた際、「ああ、伝わった」と感じる経験を積んできていますか?

 「あたりまえじゃん」と思う人は、きっと幸せな方です。

 「完全にわかりあうことを求めるなんて無理だよ」と言える人も、比較的幸せです。

ある程度わかり合えている部分がなければ、そうした発言には至れません。


思うに、世の中には、自分の考えがどうしても他者とうまく共有できないタイプの人間がいます。そして一つ一つは小さなことであったとしても、「うまく伝わらなかった」という失敗経験の連続は当人の意識を大きく変えていき、注意しないと他害的な思考にも繋がりかねないものだと思っています。


 なぜなら「わかってもらえない感」は「孤立」に繋がり、「孤立」は犯罪に容易に繋がるからです。そしてその「孤立」は一見しただけでは気付きにくい場合もあります。


 今回はこうした「わかってもらえない感」の蓄積がなぜ起こるのか。そしてその感情を放置していくとどのような袋小路に迷い込む可能性があるのか。

 そのあたりを一緒に考えていければと思います。


 では、いってみましょう。


 

1.「わかってもらえない」のレベルが違う


 コミュニケーションにおいて、互いのことを100%理解しあうということはおそらく不可能でしょう。暑いという言葉一つとったところで、人によってどのあたりから暑いと認識するかは大分違います。言葉や表情をどのように解釈するかは個々人の脳回路によって大きく違うものです。

 ですが、そうはいっても同じ人間同士であれば「相手がこうしたことを伝えたいのだろう」といった部分は大体共有できることが多いのが実際です。

 「ああ、仕事で悩んでいるんだな」とか、「今の彼氏に不満があるんだな」とか。話の趣旨が何なのかについてはある程度ずれなく把握することができる人が多いのではないでしょうか。

 ですが、中には全く違ったレベルでの「わかってもらえない感」を積み重ねている人もいるのです。彼らの感じる「わかってもらえない感」は伝えたいことの3割しか伝わらないという類のものではないのです。

「あれって緑色だよね」と同意を求めたのに「何言ってるの、あれはもみじだよ!」と返ってくるようなちぐはぐさです。そして、こうした「わかってもらえない感」はじわりじわりと彼らの思考を侵食し、生き方までも変えていってしまうことがあります。


では、こうした感覚を持ちやすい方にはどのようなタイプがいるのでしょうか。


 

2.わかってもらいにくい人々


 1つめとしてまず挙げられるのは、「自身の考えを言葉にするのが苦手な方達」です。本当は豊かな感受性を持っているにもかかわらず、それを表現する術が限られているタイプ。

 境界知能と呼ばれる方や、ASD(自閉症傾向)と呼ばれる方はこうした技能が苦手なことが多いです。


無論、人生を生きていく中で彼らは自分なりの対処法を生み出します。愛想笑いを覚えたり、皆と共有できる表層の話題のみにとどめたり。

でも、根底には「自分の考えていることはわかってもらえない」という不満感や周囲への疎外感が残ってしまうことがあるわけです。そのため、この人にならわかってもらえるのではないかと思った方にうまく伝わらなかったりすると大きく落胆してしまったり、孤独に逃げ込むようになったりもします。


次に2つめ。同じような生まれ持っての特性でいうと、「選好性の違い」を持っている方も同じ孤独を抱きやすいです。


聞きなれない言葉かと思いますが、要は「一般的な人達と好みの方向性が違っていること」と捉えて下さい。いわゆる発達障害の方はこうした側面をもっていることが多いことが研究結果からわかっており、自分の独自の世界観を作り上げていたりします。


 彼らにとって、皆が面白いと思うことやいいと思うものは「退屈」だったりするのです。予定調和というか、よくある内容。それよりは極端なものの方が面白い。

 こうした特性がよく現れる例の1つが、小学校のクラスの出し物を決める話し合いです。一般的にはここで皆が知っている「シンデレラ」や「アナ雪」、「ワンピース」といったものが出てくることが多いわけですが、選好性の違いがある方はつい奇をてらったようなものを掲げてしまうのです。「ライチ光クラブがやりたい」といったような。

※東京グランギニョルという劇団によるアングラ演劇の傑作。古屋兎丸氏によって漫画化されたことにより再び日の目を浴びるようになったエログロ青春劇。ぬっぺふはこの作品から丸尾末広氏の著作などにも手を広げ、多いにアングラに染まった経験がありますが、これを学校でやるわけにはいかんですな。多分。



むろん、大衆には受け入れられないわけです。というかほとんどの人はその作品自体を知りもしない。がっかりする。自分がいいと思うものはマジョリティから見ると異端なのですね。それに気付いてしまう。高校生くらいになると、同じようなセンスを持った人々との交流を深め、そこでやりたいことを大いにやることが出来るようになったりすることもあるのですが、大人になると大体の集団は大衆的価値観をもっておりますので再び「わかってもらえない感」が再燃しやすくなっていきます。


3つめとしては思考の流れというか、目のつけどころが周囲の人々と違う人々です。無論上記してきた方と被っていることも多いですが、好みがどうとかスキルがどうとかの前に、思考回路が一般的ではないために「わかってもらえない」という人々です。

 例えばASD(自閉症傾向)の方であれば細部にこだわりを持っている方が多いですが、そこは周囲には理解されないこだわりであることが多いです。有名なのは物の配置や物事の手順、ルールを杓子定規に理解してしまうこと等。

 一方、同じく発達障害の二大巨塔といえるADHD(注意欠陥多動性症候群)傾向の場合は思考が流れるように動いていってしまうため、常人にはついてこれないペースで思考が展開してしまうことがあります。一つ一つ順序を追っていけば繋がっているのですが、あまりにそのスピードが速いので、突拍子もない発言にしか聞こえないのです。

 道端のポスターを見て「なんで光の三原色と色の三原色って違うんだろう?」と聞いてしまうような。

  人によってはそうした様子を「天然だよねえ」と好意的に受け止めてくれることもありますが、本人としては本気で考えているし、難しいとは知りつつも一緒に考えてもらえたらなと思っているのです。

 


 上記のような「わかってもらえない感」を抱えやすい方々は、こうした経験の積み重ねの中で「自分の考えは外に出さない方がいいんだ」「周囲に合わせた方がいいんだ」「おバカキャラでいれば嫌われないんだ」などとねじくれた対処法を覚えていくことが多いです。ですが、本当は自分の好きを伝えたいし、思いをわかってもらいたい。でもそれを出来る場がない。結果、小さな不満やガマンを蓄積しながら表面上やりすごしていく。

 これが自分の考えを他者とうまく共有できないタイプの人の悲劇です。


 

3.とべなくなったバッタの不満


 ある実験があります。小さな虫かごの中でバッタを飼うと、バッタは当初ジャンプを続け天井に頭をぶつけ続けます。そして、その結果彼らは次第に自身の得意技であるジャンプを封印してしまう。

 恐ろしいのは、それは天井を外してあげたあとも継続するということです。彼らが再び大ジャンプをものにするためには、手で追いやって促してあげるなどジャンプをせざる得ない状況を作ってやり、その中で「あれ、ジャンプしても天井にぶつからないぞ?」という新しい学習を上書きしてやる必要があります。


私は、「わかってもらえない感」を積み重ねてしまった人も同じような状況にあると思っています。

 つまり、本当は彼らの独特の思考法はバッタのジャンプと同様に大きな武器なのです。狭い籠の中で判断するとうまく使うことはできないのですが、いちど広々としたステージにおいてあげればいわゆる普通の成果ではない、大きな成果を生むことができる可能性を持っているのです。


 ですが、長年の「わかってもらえない感」から自分の意見を閉ざしてしまう。勇気を出して伝えてみても、言葉足らずだったり世間の常識の壁の前に玉砕してしまう。

 当然、不満は心の中にたまり続けます。そして恐ろしいのはこの「わかってもらえない感」から、「どうせ俺なんて」といった自己否定が生まれてきたり、「大した意見じゃないのになんであいつばっかり評価されるんだ」といった他者への恨みに繋がってしまう可能性があるということなのです。

 これらの感情は長い目でみると他害行為に繋がりかねない感情です。また、具体的な行動につながらなかったとしても、本人をより卑屈にさせより鬱屈とした気持ちをためこむ大元となっていきます。


 

4.わかってもらえる場を探す


 人に自分の考えていることを伝えたときに「ああ、伝わった」「同じ話題を共有できた」と感じることができること。そしてそれをできるような安全な場所が存在すること。

 この2つをしっかり確保できている人と、出来ていない人の間には、同じような凸凹があったとしても実際は天地の差が生まれてきます。


 自身の理解者がいることが確信できている人は、自分に自信を持つことができる。そして自信は仕事をする上でのぶれない土台となってくれるでしょう。一方で、出来ていない人はどうか。上記したように自分への自信は持つことができず、仕事をする際には周囲の目線や評価がとても気になるようになってしまい土台は常にぶれて安定しない状況になってしまう。


さて、皆さんはいかがですか?自分の考えを「わかってもらえた」方ですか?それとも「わかってもらえない」という感覚に打ちひしがれた方ですか?


  … 当サイトは不祥事防止、また再発を防ぐための情報提供が軸です。そこで、一つアドバイスをさせて頂きます。

  職場で一人でいいのでそうした話ができる方を探してみて下さい(境界線には気を付けつつ)。1でいることと2でいることは雲泥の差です。司書さんや用務員さん、いわゆる教員とは違う経験をしてきた方もおすすめです。

 職場内でそうした相手が見つからないのであれば、学外でも構いませんしプロを頼るのもいいでしょう。以前別記事で安全基地を持つことの重要性を伝えましたが、まさにそれです。ゆっくりと話を聞いて貰える場所を、確保するのです。


ただ、そうした貴方の孤独につけこんで「あなたの気持ちがわかる」と簡単にいってくる人には逆に注意も必要です。お仕事でいっているだけかもしれない。

あなたの考えに真摯にむきあってくれる人、場所であることは最低限の条件です。


色々な話をできる場所をみつけ、「ああ、自分の考えをつたえていいんだ」という思いを強めていきましょう。人と違う思考ができるのは本来は武器のはずです。

 ジャンプしても天井にぶつからない経験を積めば、再びじゆうに飛び出せる時がきます。まずは安心してジャンプをさせてくれる場所、相手を探っていきましょう。


 

5.最後に


 さて、今回は「わかってもらえない感」をもちやすいタイプについて、またそれを放置することによってどのような問題に繋がるかを記述してみました。


 私は不祥事を起こす直前、自分を理解してくれる人は誰もいないと思っていました。自分は自分なりのロジックでやっているのに、全否定される。なぜ?

 今にして思えば周囲も不安だったのでしょう。「この人は何を考えてこんなことをしているんだろう?」自分の狙いや考えも伝えずに「あれやりたい」と言った所で納得してもらえないのは今にして思えば当たり前。しかし、当時の私はもう被害妄想のような状況になっていたために、そうした他者の不安感に気付くことも出来なかった。

 

 今現在「わかってもらえない感」を抱えている人は是非4で記したような安全基地を見つけて下さい。あなたの武器を最大限生かすために必要なのは、有象無象の仲間ではなくたった一人の仲間でまずは事足りる

 また、すでに「どうせ俺なんて」「まわりはずるい」といった感情が生まれだしている方はまずはその不満をありのままぶつけられる相手を探してみて下さい。これは職場内では難しいでしょうし、お金を払ってプロの力を頼るのがいいかと思います。

 自分を誤魔化し続けると心は淀み、その淀みは自他への攻撃という形で心の壁からしみ出していきます。そして一定量を越えたとき壁は決壊し、大きな悲劇に繋がることもあるのです。


 同じ孤独を人はみな抱えているなどと歌の歌詞はいいますが、大きな間違いです。個々人によって感じる孤独は違うに決まっているし、自分自身が辛いなあと思うのであればそれは大きな孤独なのです。

 

 まずはそんな「わかってもらえない感」を抱えている自分自身について、自分がわかってあげましょう。そして自身が安定してきた時には周囲を見回してみましょう。

 きっと教室のすみに、グラウンドのすみに、自分と同じような「わかってもらえない感」に悩む少年少女が見つかるはずです。彼らを飛べないバッタにしないために何ができるか、それを考えてみるのはなかなか夢のある作業かもしれません。


…と、今回は少し具体的なアドバイスになってしまいましたが、自分の状況を把握するにも安全基地を作るにも時間はかかるもの。「それができない私はダメダメなんですね」とは思わず、「そうした場所があったら楽しいかもな」くらいに頭の片隅に置いておいて下さい。長年作り上げた思考回路はゆっくり付き合っていくことでしか解きほぐせないもの。焦らず、はまらず、一歩ずつ。です。

 ということで、これ以上自分自身が出来きっていないことを言ってしまう前に本日はお暇させて頂きますね。

 では、またいずれ!




閲覧数:24回0件のコメント

Comments


bottom of page