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不祥事教員という病識


 どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。

 昨今不祥事教員の報道が後を絶たない中、「なぜ不祥事教員は自身の不祥事に気付けないのか?」という疑問をお持ちの方も多いと思います。これについていわゆる専門家は「認知の歪みが…」や「防衛機制の否認や合理化が…」と論じるわけですが、個人的にはこうした専門的な目線は正論なれど当事者には響かないものだなあとも感じています。


 そこで、今回このテーマを主軸にしてみたいと思ったわけです。なお、記事の内容は「第3回不祥事教員および予備軍のための座談会」のために準備した資料からの抜粋となるので、記事の内容は読む方にとっては「不祥事教員を甘やかしすぎる」と映るかもしれません。ですが、私が目標とするのは「不祥事教員および予備軍が自身を振り返るきっかけとなるような言葉」であり「知識」、「ものの見方」の提供であり、その先にある不祥事教員の削減です。当事者に響くボールの投げ方を試行錯誤しているとのことでご理解いただければと幸いです。

 では、いってみましょう!




 

1.一般的な説明

 

 まずは一般的な説明を取り上げてみましょう。

 

①   合理化

人間は自分に都合のいいように事実を合理化する(=いいわけする)ことで自分を守ろうとする特徴があると言われています。

「他の場所で頑張っているのだから、ここで帳尻を合わせてもいいじゃないか」

「獅子はわが子を谷に突き落とすものだ」

「法的にはグレーでも犯罪ではない」

等々、自身の行動を正当化するためには脳は色んな理屈をたてるもの。これらは自身をごまかすために作られた方便であるため、その瑕疵をつつかれると「めちゃくちゃ傷つく」か「めちゃくちゃ不機嫌になる」のどちらかになりがちです。

 

②   矮小化

こちらは実際に起きているものごとを非常に小さく捉えるというものです。明らかなセクハラを「コミュニケーションの一部」と捉えたり、パワハラを「きつめの指導」と捉えるような。金銭関係や情報の扱いについては知らず知らずのうちに事態を矮小化していることが起こりえます

 

③   否認

もういっそなかったことにしちゃえ、という力業です。部分で思い出せばちゃんと記憶しているはずなのに、意識の表層に問題を浮かび上がらせなくしてしまいます。

 

④   認知の歪み

上記の全てに関係してくるものですが、自身の中にある物事の捉え方の歪みが原因というものです。性犯罪加害やDVに走る人は認知の歪みを抱えていることが多いといいます。具体的には「女はみな男に求められたがっているのだ」「子どもは親の言うことをきくものだ」「子どもと大人といえど人間としては対等で、恋愛が成立する」「世の中は公平であるべきだ」といったような。

 個人的には認知の歪みというよりは「クセ」と言った方が本人が受け入れやすいようには感じていますが…

認知の歪みはその場その場で生み出されるものではなく、本人の人生歴の中で作り上げられていくものです。それゆえに本人だけでは気付くことが難しく、ゆえに問題化するまで気付くことが出来ない…という説明はよく見受けられます。

 

 …以上、よく見かける「不祥事に気付けない理由」を挙げてみました。個人的に、これらの言い分はもっともと感じます。あらゆる不祥事には上記したような特徴が影響を与えている。一方で、原理を理解したからといって当人が気付けるのかというとそれも違うと思うのです。我々は理科の授業を通じて、自身の体がどのような筋肉で動いているかをある程度知っています。でも、だからといって「この慢性的な肩の痛みは筋膜がこりかたまっているために起きているものだ」と問題解決に向かうことが出来るかといったらまた別問題です。

そこで次項では全く別のアプローチで、「なぜ不祥事に気付けないか」を捉えてみようと思います。

 


 

2.不祥事教員であるという病識

 

 仕事である利用者と関わっているときのことでした。彼は自身に全能感を持っており、表面上はあらゆることをうまくこなします。ですが、それはあくまで張りぼてで、周囲から見ると本人の自認識と実際の言動の間には大きな壁があることに気付きます。


 おそらく彼は発達障害と自己愛性パーソナリティ障害の共存しているタイプなのでしょう。しかし、彼には病識(=病気にかかっている自覚)が無い。…発達障害とパーソナリティ障害は正確には病ではないため病識というのも変ですが、実際に職が長続きしなかったり対人トラブルを抱えていたり入院したりという点を鑑みればあながち間違いとも言えないかと思います。


 さて、その彼を見て思ったのは「不祥事教員であると自分を自覚できないこと」は、この「病識のない利用者」と似通ったものがあるのではないか?ということでした。

 ではここで、一度病識のない患者についての解説を見てみましょう。以下はHP『教えてドクター』https://machinodoctor.blogspot.com/2020/09/blog-post.htmlより引用した文章です。

 

 

医療法人社団 正心会 岡本病院 瀬川 隆之 医師

 

病識とは簡単にいえば「病気にかかっている自覚」のことです。精神疾患では、自分が病気であることが分からなくなることがあります。これを「病識がない状態」と呼びます。これは、単に「病気についての知識が足りない」ということではなく、「自分の病状、状態を客観的にみることができない」という症状なのです。

 

病識がない状態は、統合失調症、うつ病、躁うつ病、認知症など、さまざまな精神疾患でみられます。周囲からみると病的であるのは明らかなのに、本人はそのように考えていませんから、妄想などの病的な体験に支配されていろいろな問題行動を起こしてしまいます。病識がないことは、特に幻聴、妄想が活発な統合失調症の患者さんで問題になることが多く、今回はそのような患者さんを念頭に置いてお話しします。

 

病識のない患者さんを受診につなげるには工夫が必要です。真正面から「あなたの言っていることはおかしい、医者に診てもらおう」と説得したのでは、おそらくトラブルになってしまうでしょう。患者さん本人は幻聴、妄想などの病的な体験を真実だと思っていますので、ご家族などの周囲の方はその体験が本当かどうかについては争わず、不眠や不安、恐怖や緊張といった患者さん本人が苦しんでいる他の症状を聞き出し、それらの症状が治療で楽になる可能性を伝え、受診を促してください

 

しかし医療の必要性をまったく感じていない患者さんの場合、どんなに工夫を凝らしても受診につなげられないケースがあります。そういう時は、何か問題行動を起こしたタイミングで、救急や警察が介入し、法律に基づいた強制的な入院という形での受診になることが多いです。

 

 

 …いかがでしょうか。「精神疾患が不祥事の原因」といったことを言いたいのではありません。「不祥事に気付けない状態」とはここに書かれたことと近いものなのではないかということを伝えたいのです。

 

・知識が足りないわけではなく、自分を客観的に見れない状態

・第三者から見たら明らかにおかしい

・しかし本人は妄想などの病的な体験に支配されいろいろな問題行動を起こす

・真正面からおかしいと言っても響かない。本人にとって病的な体験は真実だから。

・本人が苦しんでいる他の面を聞き出し、そちらへのアプローチから受診

(この場合は気付きと再生への道)につなげる

 

 …なんとなく過去の自分や、今絶賛予備軍中の誰かの姿が重なりませんか。では、さらに先を見てみましょう。

 

 

どうにかして受診につなげることができても、そこから適切な治療を進めていくのにもまた工夫が必要です。医療者側が病気やその治療について「正しい知識を教えてあげるのだ」という押し付けのような態度を取ってしまうと、患者さんは反発し、心を閉ざしてしまいます。

 

 患者さんと良い関係を築くためには、まずは患者さんの話をよく聞いた上で、「私たちはあなたの味方」であり、「あなたの困り事を解決する手助けをしたい」という思いを伝える必要があります。

 

 病識がなく、治療を望んでいない患者さんとかかわる方法にLEAP(リープ)というコミュニケーション技法があります。簡単にいうと、傾聴し(Listen)、共感し(Empathize)、同意できる(Agree)共通の目標を見つけ、協力関係(Partner)となる方法です。

 

 

 私は不祥事には「負担が限界を超えているのに教員たろうとする際の対処法」としての側面があるのではないかという目線を持っています。そうした意味では、単なる「犯罪」「問題」「個人の欠陥」というよりは先述されている「病識のない病人」という観点に近い認識です。そのため、上記で示された


・正しい知識の押し付けは響かない

・まずは話をよく聞く

・味方であり、困りごとを解決する手助けをしたいと安心させることが必要


 といった内容を見ると、現在の不祥事防止の研修ではやはり不祥事教員を減らすことは難しいのではないか、と感じるのです。



 

3.まとめ

 

 まとめます。「不祥事に気付けない」理由を個に求めればそこには「合理化」や「認知の歪み」といった冷たい言葉が並んでしまうでしょう。ですが、「病識のない状態」であると捉えるならば別の見方が出てきます


 それは、「適切なアプローチをとれば、不祥事教員や予備軍は自身の問題を自覚し、回復に向けた動きを取れる」という希望です。


 不祥事の根は深いです。単純な悪だから、ですむような案件ではなく、多くは多忙な教育現場の中で疲弊しながらも過剰適応を重ねた結果、生まれたひずみのような案件であると捉えています。だからこそ、前項で示されたLEAP(リープ)のような関わりが必要なのです。本人の問題行動を問いただすのではなく、傾聴し、共感し、共に目標を見出し、協力関係を築いていけるような関わりが。


 …無論、明らかな犯罪行為を発見した場合はそれをなあなあにしてしまうことはいけません。しかし、予備軍のような教員であれば紋切型の「やっちゃダメ」の前にLEAP的な関わりをしていく猶予はあるのではないでしょうかさらに言えば、本来の校長面談や不祥事防止研修はLEAP的なものである必要があるのではないでしょうか

 

 皆さんは、残念ながらそうした機会になかなか巡り合えず不祥事教員(あるいは予備軍)となっているのだと思います。それはとても不幸なことでした。ですが、これからは違います。皆さんは「病識」を得ました。そして、LEAP的な関わりの場は今ここに存在します。互いに傾聴し、共感し、共に目標を見出し、協力関係を築いていきましょう。では、対話のスタートです。


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