top of page

不祥事防止研修プログラムについて考える

どうも。元不祥事教員で現社会福祉士のぬっぺふです。

先日妻が「なんかこんなの出てたよ」とあるニュース記事を教えてくれました。その内容が、以下のようなものです。


 

© 朝日新聞デジタル 

『教職員のわいせつ防げ 心理に着目して新たな取り組み 埼玉県』

 教職員によるわいせつ行為が相次ぐなか、埼玉県は今年度から、不適切な行為に至る心理状況に着目した新たな対策に乗り出す。問題を起こす前に自ら気づいて踏みとどまるように促す狙いだ。


 対策は、2023年5月に教職員の「不祥事根絶アクションプログラム」を改訂したことから始まった。特に、被害者に心の傷を与えるわいせつ行為と体罰について、さいたま法務少年支援センターの法務技官の助言を受け、過去10年分の行為に至る経緯や心理変化などを分析したという。


 その結果、わいせつ行為の約7割で被害者への身体接触があり、恋愛感情に由来するものが22%あった。そのうち典型的とみられる3事例を分析したところ、加害する教職員は、「生徒との距離が近い」「問題を一人で抱え込みがち」「好かれたいと思っている」などの傾向が共通していることがわかった。

 そこで県は、こうした分析を踏まえた研修用のワークシートを作った。「自分だけに心を開いてくれる気がする」など心の「アクセル」になる項目を自分でチェックし、「適切な距離を保つように注意しないとな」といった「ブレーキ」の項目で行動変容を促す。体罰も同様に作成した。


 今年度から学校ごとの職場研修などで使い、教職員同士で議論することを想定しているという。


 県教育委員会が決定した教職員の懲戒処分のうち、わいせつ行為の占める割合は高い。18年度からの6年間の69件は全体(196件)の約35%にのぼる。23年度は32件のうち16件と半数を占め、20代と30代の教職員が各7人と多かった。


 今月、懲戒免職になった県立高校の男性教諭2人も大学卒業後、初めて勤めた学校でわいせつ行為に及んでいた。


 県は19年度に、教育局内に教職員の「コンプライアンス相談ホットライン」を開設。昨年度は、保護者らから499件の相談が寄せられたという。(杉原里美)



以上原文まま

 

 この内容を見たとき、正直複雑な感情を持ちました。なぜなら、私がずっとやりたいと思っていたことが「実際の加害者の声」をもとに教員不祥事防止を目指すことでしたので。

「へっ、県教委には絶対にやれないと思っていたけど、畜生め。やるじゃあねえかい」と嬉しいやら悔しいやら。


ただ、少し気になったこともあり。


「冷静に考えたら、これ加害者に再度聞き取り調査をしたわけじゃなさそうだぞ」

「しかも実際に細かく事例分析したのは数件だけじゃない?」


こうなってくると悶々とするわけです。

というわけで、実際に資料を見てみると…。

結論から言うと、良くできている資料です。

一方で「不祥事防止には繋がりにくい」面があるような気がしたのです。


そこで、今回は「埼玉県不祥事防止研修プログラム」を読み進めながら、実際の不祥事教員で社会福祉士だからこそ気付く観点から資料を使う際の注意点をまとめていこうと思います。

資料全文はこちらからダウンロードできますので、必要におうじてご参照下さい。

では、いってみましょう。




 

1.まず読まれることがない


 まず、このパンフレットめちゃくちゃ分厚いです。最初に不祥事防止のために共通する事項を、次によく起きる不祥事を項目別に、網羅的に扱っています。最後には不祥事防止のための実践ワークつきとかなりの力の入りよう。




さて、この膨大な項目数を見て皆さんは何を感じたでしょうか。

私がまず感じたのは「この資料を現場でどのように活用するのか?」という点です。

100ページを超える冊子を使って、各教員が1から10までを確認していくという方法はまず絶対にとれません。なぜなら現場は多忙でその時間がないから。


そこで、おそらくこの資料は「参考資料として使い、各々の学校がこれをもとに各自研修を行う」というパターンかな、と思い読み進めると以下のような記述がありました。



 えー。何を言っているのかというと、


①「初任者研修とか要所要所の研修ではちゃんと使ってね。でも関連する5ページ分くらいでいいからね」

②「各学校では、現場の実態にあわせてやり方を考えてやってね」


 ということでして。

 つまり、この資料はせっかくこれだけ力が入っているにも関わらず、読む必要がない資料になってしまっている


※実際に、埼玉県で働いている知人の教員に確認したところ彼女の現場は職員会議の中のわずかな時間で月並みな形で行われたとのこと。彼女自身こうした資料があることすら認識していないようでした。


…では資料の中身はどうか。今回の資料はまず前半20ページほどを使い、不祥事全般の防止に関する事項を取り扱っています。

 

 上記のように、不祥事を「誰もが起こしうるもの」と説明していたり…


「認知の歪み」等不祥事に向かう過程で発生する概念についても説明しています。依存症についても『依存症は病気として理解することが多くなってきており、意思の弱さやだらしなさではなく、やめたくてもやめられなくなるのがこの病気の怖さです。また、本人に病気の自覚 がないのが特徴です。』と、決して本人の弱さを理由にしていない。医療機関や相談先の候補まで載せてくれている親切っぷりです。



このティモシー・カーンの「4つの壁」が学校現場では崩れやすいという旨を解説している点等は、私が現役教員だったころには無かった視点で本当に感動しました。


 このように、今回の資料は実は前半にかなりの熱量が込められており内容も示唆に富んだものになっている。ですが、今参考に掲げたページはほぼ「使われません」。

 

 おそらく資料を作った方はかなりの気合をいれて臨んだと思われます。そうでなければこれだけの情報量をこめられない。ですが、悲しきかな現場にそれを活用する余裕がほぼないのです。

 無論、資料を作った方はそれも見越して「ならば必要に応じて利用できる辞書のような立ち位置に…」と、考えたのでしょう。後半は各不祥事を項目ごとに網羅した不祥事対応の辞書のような形になっています。では、その試みは成功しているのかどうか。それを次項で考えてみたいと思います。


 

2.網羅式の弊害

 



 辞書のような型式は、必要に応じて逆引きする場合にはとても使いやすいと思われます。一方で、こうした資料を作る際には注意すべきこともあります。それは、「1つ1つの項目にページ数を割けないために、注意しないとただの浅いネット記事のようなものとなってしまう」という点です。


 今回の資料でも、一つ一つの不祥事についてのページ数は2ページ前後。たとえばUSB紛失といった対策が明確な不祥事についてはこれでも十分な情報量となるでしょう。一方で、「本人の生き辛さが背景に潜んでいるタイプの不祥事」についてはこのページ数では表面的な傾向と対策を載せるのが限界です。


 それでも入口としてはいいのではないか…という考え方もあります。私がこの資料を読んで気を付けて使うべきと感じた理由はまさにそこなのです。入口が書いてあるけれど、1つしか書けない。

「表面的には同じ問題行動だったとしても、その背景は様々であり、入口は複数ある」という目線がやや薄いのです。結果、それぞれの背景が至極単純なものとして解説されてしまう。


 例えば今回の資料では目次の後ろにこのような内容が記載されていました。


 私の印象は「網羅した内容を目指すには、参考文献が少ないし偏っている」という感があります。

※例えば、『やめられない人々』の著者と『「小児性愛」という病』の著者は両名共同じ医療機関に所属する院長とPSW(精神保健福祉士)です。


 結果、目線が限定的になっており読んだ方が「これは自分にあてはまるタイプかも?」と感じにくいものになっている面は否めない。例えば盗撮について書かれた以下の1文です。


 このスリル、チャレンジという観点はたしかに盗撮の常習化に関しては見逃せないポイントなのですが、この書き方で「あ、自分だ」と素直に受け取れるかというと微妙な所です。

 盗撮の背景には「男らしさへの固執」であったり「不遇感の解消」であったりが隠れていることが多いもの

 ※特に前者は参考文献の著者である「斉藤章佳」氏も強く主張している点なのですが…

 

 少ないページ数だからこそ、どうしても表面上の問題点に視点が集まってしまい「なぜそこにたどり着いてしまうのか」の背景が浅くなってしまうのです。

 


 

3.医学モデルと社会モデル


 福祉の世界では、「障害」について「医学モデル」「社会モデル」という2つの目線があります。前者は疾患やパーソナリティといった個別性に着目して捉えていく見方であり、当人の生き辛さは「リハビリ」「服薬」「福祉の活用」によって個別に乗り越えていくべきという観点を持ちます。それに対し、「障害」は社会の問題であり、「環境面の配慮」「社会の改善」「権利擁護」によって社会の中に包摂していくという観点を持つのが社会モデルです。

 実は、同様の目線は「非行少年」への目線や「犯罪」を扱う際にも出てくるのです。たとえば、ショウ・マッケイは犯罪・非行の多発地域において「その地域の人口構成が変わっても犯罪・非行の高発生率は変わらない」ことを発見し、犯罪発生が「地域社会の特徴によって規定される」ということを実証しています。


※シカゴ学派と呼ばれる人々は研究の結果

・犯罪発生率が高い地域では住民が変化しても価値観や規範が引き継がれる

・住民が犯罪に直面する機会が多い

ことなどによって、犯罪をはじめとする逸脱行動に対する価値観・規範が継承されていくとも述べています。


…不祥事とまではいかなかったとしても、問題行動が文化として引き継がれていく(たとえば力を持っている教員がパワハラ的な傾向を持っている場合、若手教員はそれらに順応し無意識の内にパワハラ的な行動をするようになったり…)という面は、学校という現場においては起こりがちなものではないでしょうか。


 今回の資料では、前半部において「学校現場の不祥事が起きやすい理由」や「周囲が気をつけるべき目線」についても触れています。これは私が現役教員だった時には見受けられなかった観点で、いうなれば「社会モデル」的な目線です。 

 一方で、後半の記述は非常に「医学モデル」的。

 

 上記は体罰に関連して怒りのコントロールについて内省するためのページですが、怒り易くなっている方の中には一種の「パニック」が発生しているケースもありますし、精神疾患が混じっていることもあります。教員自身に発達障害等が隠れているケースでは「自分は正しいことを言っているはずなのに!」という感覚が強くなり自分に対しても他人に対しても攻撃的になってしまうことも。アンガーマネジメントの前に本人の土台のぐらつきを安定させなくては表面的な行動が収まらないことは多々あります

※最近話題のポリヴェーガル理論等ではそもそもすぐに怒りに向かってしまう人は「安心できていない」ことにより常に交感神経が働いてしまっている状態になっている(無論これは意識で切り替えられるものではない)という知見も。


 たしかにそうしたやや広い目線から不祥事を扱う内容は前半部には存在します。ですが、最初にお伝えしたようにこの資料はそもそも「前半部をちゃんと読む」機会がありません。結果、辞書的に活用した場合には「医学モデル」的な目線にあふれ「チェックリスト使って自分で気づきや」「相談先書いといたから自分でつながりや」「だってあんたの行動は法的に条例的にこれだけ問題なんだから」というメッセージを受け取ることになってしまう。これが非常にもったいない。

 せっかく医学モデルも社会モデルも入っている資料にも関わらず、前者ばかりが入ってくる状況になってしまっているように思えるのです。



 

4.加害者の声はどのくらい反映しているのか

 

さて、では次に今回記事をかくきっかけになった「加害者の声」についてです。今回の資料のうりの一つは「加害者を分析すること」だったわけですが、ではその中身はどうか。

 この内容を見ると、あくまで参考にしたのは「データ」。しかも個別の事例については2~3件を「事情聴取の記録」から読み取ったというもの

 それじゃ、弱いのです。事情聴取を受けている段階での不祥事教員はまだ自分自身について整理できていないことがほとんど。結果、お決まりの「ストレスから…」「欲求を抑えられず…」に行きついてしまっている。どうせ調査をするのなら今現在回復に向かって歩みだしている人々の自己分析も参考にするべきでした。

 ※無論、それが難しいのも想像はできるのですが・・・


 

5.不祥事防止の資料に必要な2つの目線

 

 さて、細部含め色々申し上げましたが、次にこの資料が不祥事防止につながるかどうかを考える際にもっともわかりやすい問題提起をさせて頂きます。


「もしこれが対生徒の非行防止講演する際の資料だったら?」

 と考えてみるのです。

「殴るな」「酒をのむな」「依存するな」

「背景には本人の認知の歪みが」「やったらとんでもないことになるぞ」

・・・これで響くと思いますか。


 彼らにとって非行や依存は生存戦略です。良くないのはわかっていてもやめられない、そうせざるを得ない状況にあるのです。そのグラグラな状態を支えるための蟷螂の斧が「認知の歪み」とすれば、真正面から正論をぶつけても「認知の歪み」は崩せません。むしろ強固にその歪みにしがみつこうとするかもしれません。


 非行防止の代表といえば「薬物乱用防止教室」ですが、これには2つの目線がないと効果がありません。1つは全生徒への情報提供による啓発の目線。ここに関しては大方の学校も意識はしているかと思われます。ですがもう1つの方はというと案外カバーしきれていない。2つ目の目線。それは「今まさに薬物を利用している(しつつある)」状況にいる生徒への救済の目線です。


「なぜ薬物を使わざるを得ない状況になっているのか」。

そりゃ依存症のシステムを解説することは簡単ですよ。だけど理屈がわかったから何だというのか。大切なのは「ではなんで自分はそんなに生き辛いんだろう」を考え、良い方に向かうためのきっかけを提示することでしょう。

不祥事防止も同様です。

2つの目線が必要です。全教員への啓発の目線。そしてもう1つは不祥事に陥りつつある教員への救済の目線。後者が無い限り、その内容は不祥事予備軍の胸には落ちていきません。


私は、教育委員会が網羅をする必要はないと思っています。もし網羅したいなら餅は餅屋、「精神保健福祉センター」や「観察保護管」、「各種依存症の自助グループ」等より広域に委ねていくべきとも感じます。現状のこの資料は、たしかによくまとまっているのですが内容が浅すぎるのです。結果、本来であれば多様な原因が絡まっているかもしれない部分を「よくある代表例」のみの説明で終わってしまうような面がある。


するとどうなるのか。不祥事から遠い教員には不祥事に至る教員像が偏って作られてしまう。「結局個人の特性でしょ」と終わってしまうことも。そして不祥事当事者には。表面的な正論をぶつけるだけなので本人の「認知の歪み」を崩すには至らないし、自分事として受け取ることができない。



※例えば上記の資料はわかりやすく紋切型にまとめているからこそ、この表を見た際に「不祥事は結局性格の問題」と捉えさせてしまう危険性も秘めています。類型にそれぞれ似顔絵を載せているのですが、これがより性格上の問題であるという印象を強めてしまっているようにも…。


 どんな犯罪者だってその犯罪に至る過程はそれぞれの「人生の積み重ね」であり「本人なりの適応の結果」です。その過程を「よくある一例です」と提示されたら、「俺の人生を一言で切り捨てるな」と心理的な防衛機制が起きやすくなるのは当たり前。それはパワハラ教員化してしまった元熱血教員でも同じことです。いいですか。認知の歪みを崩すというのは「本人の今までの生き方を否定する」のと近いのです。真正面から直球を投げても心の壁にはじき返されます。本人の受け止めやすい形でボールを投げていかなくてはならない。


 そうした意味では、今回の資料の中に具体的なワークが複数取り上げられているのはとても良いことと思います。また、そのワークシートの回収は求めないなど記載されているのも。回収されるシートに本音は絶対かけませんから。



 

6.まとめ


というわけで、多少とっちらかった感はありますがまとめます。

埼玉県の作った資料についての感想です。


・丁寧に作られており、医学モデルのみではなく社会モデルの目線も入っている


・一方で個別の不祥事例については非常に医学モデル的な目線で、ページ数も少ない分不祥事に至る背景の掘り下げは一面的。


・実際の運用の際に社会モデル的目線の入っている部分は利用を想定されていない(医学モデルに偏っている)


・加害者の分析をしたことが新聞などで宣伝されたわりには、分析の仕方が浅い

 ※具体的には加害者の声が事情聴取時のものに限られるなど


・啓発の目線には富んでいる一方で、不祥事に陥りつつある教員への救済の目線は薄い

(ゆえに不祥事教員にはもちろん、予備軍の心に落ちていきにくい面あり)


・幅広い範囲を扱う反面、専門家をあまり頼れていない。

※精神保健福祉センターなどは発達障害への対応などでもよい研修をしているので是非教育委員会とは手を組んでほしいのですが…



といったところです。

この意見を読んでどう感じたでしょうか。「そんなに不祥事教員に優しくする必要はねえ」と思いましたか。優しくしろと言っているわけではないのです。懲罰含め厳しい現実による制裁は本人への再発防止には一定の効果があると思います。しかし、現在グレーゾーンにいる者への啓発としては効果が薄い。そうした人々に対しては、本人に伝わる形でボールを投げる必要があるのではないか?というのが私の感想です。そのために一番必要なのは、元不祥事教員達の声なのではないかとやはり感じてしまうのですが…いかがでしょうか。



 ・・・というわけで、頑張って整理してみましたが何分100ページを超える資料、隅から隅まで解説するわけにはいきませんでしたがいかがでしたか。資料そのものは無料でダウンロードできますし、文句を色々言いましたが多くの知見に富んだ資料であることはたしか。夏休みの合間に、1度目を通してみてもいいかもしれません。


では、またいずれ!!



閲覧数:49回0件のコメント

不祥事教員&予備軍の皆さまへ

©2022 by マイサイト。Wix.com で作成されました。

bottom of page