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安倍元首相殺害事件をどう捉えるべきなのか




安倍元首相の殺害事件を巡って Twitter 上ではたくさんのコメントが賑わっています。 主な方向性としてはこの事件は民主主義への挑戦であり断じて許してはならないテロリズムである、というものと今回の件は犯人の私怨から行われた犯行でありむしろ拡大自殺に該当する事件であるため民主主義への挑戦という類のものではないというものの2種が存在しているようです。


個人的にはこの二つのどちらの意見も納得しかねるものがありこの間に本当の見るべきものがあるのではないかとも思うので、このモヤモヤを整理するために今回このブログを音声入力しています。


つれづれに思ったまま話しているので整理がつくかわからないのですがとりあえず行ってみます。


まず今回の件について民主主義への挑戦という意思が犯人になかったのは事実だと思われます。 彼は暴力によって政治を変えようという思いを持っていたわけではなく、そういった意味では完全に個人的な犯罪と言えます。


ですが今回の件が発生した要因はどこにあるかと言われればそれは民主主義の腐敗の結果訪れた、社会の歪みそのものではないかと思うのです。


安倍首相が政権を取って以来様々な制度が改悪されてきました。

生活保護は本来のルールを無視した形で戦後最大の下がり幅の改悪を2回も行っています(ここについてはソーシャルワーカーのはしくれとしていずれちゃんとした記事でまとめるつもりです)。

医療負担は拡大し、〜保険という名目での増税が続きました。

トリクルダウンを名目に大企業の減税を中心のアベノミクスを回した結果、現状では所得は減るにもかかわらず物価は上昇すると言うスタグフレーションに陥りました。

ここ30年の政治の中で最も決定的に弱者と強者を切り分ける政治を行ってしまったのが彼であり(無論小泉氏の責任も非常に大きい)、またそうした政治を表面上ごまかし切ってしまえば国民は忘れてしまうと言う形式で長続きさせてしまったのも彼なのです。


結果世の中には沢山の傷ついた人々が生まれました。

しかし 政治はその事実に蓋をし、オリンピックに代表される面白おかしいイベントを垂れ流し人々の目が傷ついた人々に向かうことを妨げてしまった。

それどころか生活保護の不正受給を大きく取り上げ生活保護受給者が犠牲者ではなくむしろ国政への加害者であるという印象まで作り上げてしまいました。


傷ついた人々は少年A風に言うならば透明な存在となってしまったのです。

そして透明な存在となったものは大きな絶望や無力感を抱え、きっかけが整えばその牙を社会に突き立てます。

例えばより弱い者への暴力という形となって。

例えば暴力による彼らから見た成功者への復讐という形となって。

前者の代表と言えるのが昨今で言うならば多発する児童虐待死や、やまゆり園での事件です。

特にやまゆり園の事件からは我々が留意すべき点が非常に多いです。

効率が叫ばれる中、障害者を社会の毒とみなす思想は何も彼が特別に狂っていたために生まれたわけではありません。

北海道にて障害者たちの街を形成しているべてるの家。そこの代表ソーシャルワーカー向谷地氏は以下のような旨を語っています。

彼の言葉には自身の思想が全く見られなかった。 全ての言葉がインターネット上に広がっている言葉の寄せ集めであり、まるで AI がネット上に広がっている人間の悪意を寄せ集め過激な発言をしてしまったと言う事件に似ている何かを感じたと。

(ソースはちゃんと記録してあるのですが今はともかくこの思考が消えてしまう前にこの記事をまとめてしまいたいのでまた後日整理した形でアップはしようと思いますまる)

ともかく上記のような言葉を話したという事実があるということだけは信用してください。

ここから見える教訓は、個人的な思想であったとしても恨みの発露であったとしてもそれは社会に広がっている感情といったマクロなものと無関係ではないということです。


なお、後者に当たる「暴力による彼らから見た成功者への復讐」についてはここ数年で非常に数が増えていたと感じています。 いちいち事件名までは調べずに羅列しますが、例えば京都アニメーションの事件、例えば精神クリニックへの放火事件、例えば電車でのジョーカー男、新幹線での通り魔、これらはみな一種の拡大自殺とみなされる行動をされていますが、全てに共通するのは「自身の人生に希望を見出せず、社会への不満を持ちながらもその不満を晴らす手段を持てず、結果最も分かりやすい所、やりやすいところでその暴力性を発現させたという点にあります。

これらの事件について、マスメディアがセンセーショナルに報道するから模倣犯を生むのだという意見も聞きますが、そもそも大きな不満を抱えていなければこうした事件に共感することはありません。皆さんがニュースを見て「お、俺もやろう」と思わないように。犯人の境遇、起こした事件について大きな共感をおぼえるからこそ自身の行き場のない不満のはけ口を見つけたと感じ模倣に走るのです。


本来であれば貧しさや格差が犯罪や治安の悪化につながるということは、政治を志す人間であれば必ず知っているはずです。 歴史を学べばそうした事例はいくらでも見出すことができますし、そもそも選挙を始めとする国民に権利を与えるという動きそのものが、そうしたほうが結果的に強い国を作ることが出来るという視点に基づいて広がっていったものです。福祉制度も同様。

だからこそ本来政治家は強い国(何も武力という観点のみの強さではありません。国としての安定性のことだと思ってください)を作るために、自分たちを選ばなかった国民も含めて格差を是正し弱者を救済する責任を負っているはずなのです。


ところがこの国は幸か不幸か治安が非常によく人の良い国民性であり、国民全員の政治的感心も戦後の3s政策の効果もあってか高くなく。

結果貧しさや格差があったとしても、それを国政が是正すべき問題と認識せず自身の落ち度として捉え自殺したり、生活保護を受給していることに対しスティグマを抱えることによって政治への不満を語ることが出来なくなったりしてしまった。

そして社会に余裕がなくなる中、その他大勢の国民にも「弱者は自己責任である。だってオレたちだって辛い中頑張ってるんだぜ」という弱い者たちが夕暮れさらに弱いものを叩くという状況になってしまった。


そのため政治家たちはどこまでもどこまでも弱い者たちを虐げ強者にとって都合のいい制度作りばかりに励んでしまいました。

自分たちの身分を最優先するあまり自国の自殺者2万人(国際基準では死因不明の死者の半数を自殺者として計上するため、それを反映させるなら10万以上に跳ね上がる。無論彼らの中には家族を持った父や母もおり、そうした場合は実際の自殺者数以上の貧困がうまれている可能性がある)人々を助けるのではなく、自分たちのボスにしっぽを振る形で都合のいい政治改変を続けてきてしまった。


その結果先述したような弱者達による暴力事件は増加し、徐々にその対象は範囲を広げ、今回たまたま政治家たちの首にも届く事になった…。

私は今回の件をそのように認識してます。


…ダモクレスの剣という話があります。

国の責任者は表向き優雅な生活をしているように見えるが、実際は頭上に常に髪の毛一本で吊るされた剣があるような状態であり、危険と隣り合わせなのだという話です。


この30年間、特に安倍首相による政権の時代以降、政治家の中でこのダモクレスの剣を意識して働いていた人間はいたのでしょうか?もしいたとしてもその剣を振ってくるのは例えば米国、あるいは一部のマスメディア、せいぜい自身のライバルたち程度であり、国民が牙を向くことは想定していなかったのではないでしょうか。

(安倍氏殺害を受け、遊説を見合わせた小池百合子氏等はその典型かと思っています。日頃からダモクレスの剣を意識している政治家であれば、常にその危険を意識して動いており、翌日も変わらぬ演説を行えたはずです。)


民主主義とは国民が主役のシステムのことです。 主役をないがしろにし続ければ何らかの形で反撃に合うのは当然のこと。

ですがこの国は国民の不満をごまかすばかりで、真の意味で不満を受け止め、ある意味で言えば国民の復讐を合法的に果たしてくれるはずのシステムを分解してしまった。司法しかり、マスメディアしかり。


結果本来あるべき投票結果による政治への復讐という形も一切起きず、封殺された弱者の不満は行き場を失った。そしてその結果多数の事件が起き、そのうち1つが今回のような歴史的に見ても大きな事件へと繋がったのです。


確かに犯人にあったのは統一教会に対しての個人的な復讐心。

ですが、こうした事件が発生する要因を作り出したのは間違いなくここ30年の民主主義の腐敗であり、結果安倍氏はダモクレスの剣に倒れたのです。


なので、今回の事件はたしかに個人的なミクロなものではあるが、背後にはマクロな問題が内包されており、そうした意味で「現日本の民主主義への挑戦」ではないものの「現日本の民主主義への警鐘」として捉えなくてはならないのです。

挑戦ではないのです。今がおかしいんじゃない?という、警鐘です。

この先こういう政治が続くなら、もっとこうした事件は増え続け、その犠牲者には誰もがなり得るのだという警鐘です。

歴史の中にはこうした一個人の行動が実は大きな背景の中から生まれたもので、それをきっかけに大きく社会が変わったという例は多々あります。

だからこそ、今回の事件も一個人の狂気で片付けてしまってはいけない。


…今回の事件は民主主義的には許してはいけないものです。どんな理由から起こされたものであれ、その結果自由な言論がしにくくなる側面があるとすれば事件としてこれを是としてはならない。


でも一方で、起きてしまった事件から我々は学ばなくてはならないのです。

何故このような事件が起きたのかの大きな背景を。そして政治家は虐げられたものの牙は自分達にも届きうるということ、ダモクレスの剣に狙われている覚悟を。


…もっとも避けなければならないのは、今回の事件から誤った学習をしてしまうことです。 例えば「無職であったり生活保護受給者であったり特定の宗教に関わっている人間であったりそうした者たちはこうした危険な事件を起こし得る存在だから監視を強めねばならないのだ」という考えや「我々政治家の首にも貧しきものの牙は届ける。 だからこそ我々に牙を向ける存在や可能性はどのような手段を使ってでもはい実はならないのだ」といったものです。


今回の選挙で、予想通りではありますが与党は安定した政治基盤を手に入れました。だからこそ、今回の事件から彼らは何も学ばないかご学習を進めるのでは?というのが正直な心配事です。


もしこれらの後学習を進めてしまうのであればこの国においてこうした虐げられた者による暴力の発露はより拡大拡散し、それこそやがて政治的意義というものと結びつきテロルへつながっていくことでしょう。




…以上整理はしきっていないのでいずれしっかりと手直しをしたいと思うのですが今感じていることをざっと話してみました。 軽く誤字の手直しはしますがおかしな点があればそれは当時のライヴ感ということでお許しいただきたいです。

 ということでとりあえずべらべら喋っているうちにちょっと落ち着いてきたので寝ます!

次回はまたちゃんとした記事を書きますね。 ではまたいずれ!








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