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ぬっぺふ

成功者の言葉にご注意


 どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。


 今回は不祥事の渦中にいる人も、絶賛教員中の方も健康に過ごすために注意するポイントである「成功者の言葉にご注意」というテーマでお話ししていこうと思います。いわゆる「自分は自分らしくでいいんだよ!」とまで単純化しようとは思いませんが、なぜ「成功者の言葉に注意しなくてはならないのか?」を感情論ではなくなるべく理由をつけて説明できるよう頑張ります。

 ではいってみましょう!

 

1.成功者とは


 まず、成功者とは一体どのような人達かということを定義しておこうと思います。

 

 一般的に言えばテレビなどに出てお金を稼いでいる時の人。彼らは成功者として定義していいでしょう。次にテレビ等には出てこないものの、自身の特徴を活かし成功をおさめ、ブログなどで自分について語ることができる人間…彼らも成功者として捉えることができるのではないかと思います。こうした人々は「客観的」に成功をおさめた人物であると言えるでしょう。


 ですが、私の捉える成功者とはもっと身近な概念も含んでいます。例えば「上司」であったり学校でいえば「ベテラン教員」。時には「先輩」や「同僚」なども含まれると思うのです


 彼らは社会的に見ていけば決して成功をしている人ばかりというわけではないのかもしれません。が、『自身が悩んでいる仕事をもう乗り越えている』『自分がうまくできないことをうまく処理できている』といった点で「主観的」に見た「成功者」であると言えませんか?


 そこで、今回の話ではこうした幅広い人々…「客観的」な「成功者」に限らず、あなたの「主観的」な「成功者」も対象として定義しておきます。


 こうした成功者の中で実は注意が必要なのは、後者です。

 あなたにとって身近で、手が届く距離にいる成功者ほどあなたにとって強い影響力をもっています。


 そして、前者の「社会的」な「成功者」はあなたが健康でいる場合は何の影響力も持たないのですが、本格的に疲れてきたときに止めをさす存在として貴方の前に立ちふさがる可能性がありますので油断大敵です。

 さて、ではなぜ成功者の言葉に注意する必要があるのでしょうか。

 

2.なぜ成功者の言葉に注意する必要があるのか


 成功者の言葉には力があります。それはよくも悪くも人を変える力です。とくに先述した「主観的」な「成功者」…上司、ベテラン教員、先輩等は自分が何をすべきか、どのように仕事をしていけばいいのか、どうあるべきなのか…といった答えの出ない悩みに対してある意味模範解答を示してくれる方とも言えます。

 

 無論、先達である彼らから「こうすればいい」「俺はこうした」と言ってもらえることは決して悪いことではないです。

 ですが、今回確認しておきたいのはこうした方達からの言葉が「マイナスに働いてしまいやすい状況」も起きうるということなのです。

 では、どういうときにマイナスに働くのか?


 それは、端的に言えば「自分に自信を失っている時」です。なんだかうまくいかない…なんだか元気が出ない…自分はこれでいいんだろうか…そうした自分の土台がぐらついている状況下では投げられた言葉を真正面から受け止めてしまい、必要以上にしがみついてしまうか、彼らのようにできない自分を卑下してしまうことにも繋がります。

 自身の土台がぐらついていない状態であれば、成功者の言葉はあくまで「情報の1つ」として受け取ることができるのですが…


 特に「主観的」な「成功者」は、少なくとも貴方にとって「すごいな」と感じる面がある方だからこそ、「成功者」として認識されているはずです。そうした人に見放されたくない、失望されたくない、そんな思いがわいてしまうと物事はなおさら悪い方向に進んでいきます。


 特に、発達障害傾向を持つ人や幼少期の愛着形成に問題を抱えていた方などには、「過度に他者に合わせようとしてしまう」過剰適応をしやすい方がいます。こうした方はただでさえ他者の言葉を真正面から受け止めて一喜一憂してしまうタチをもっているため、是非以下のことを知っておいて欲しいのです。

 それは、成功者の言葉にはいくつもの盲点が隠れているということです。

 

3.成功者の言葉を受け止めるときの注意点


 成功者の言葉を受け止めるといっても色んなケースがあるかと思います。自分から悩み相談で伺ったとき、飲み会の席で、指導の一環で…

 真面目な方ほどあらゆる状況で自分に投げかけられた言葉を必要以上に重く受とり、結果自身の行動を縛ることになってしまいがちですが、以下の点をしっかり認識しておく必要があります。

 多少穿って聞こえてしまう面もあるかと思いますが、あくまでそういう目線も持っておくといいという程度に捉えて下さい。

 

①成功者はあなたのために言っているとは限らない

 

 悲しきかな、そういうこともあるものです。特に悩み相談をこちらからけしかけた場合以外では「自分が話したいことを話しているだけ」ということは多いにあります。

 無論、そのアドバイスや体験談の中には「なるほど」と思うものもあると思います。ただ、それをそのまま鵜呑みにして実行するべきかどうかは以下の点も踏まえて考えてほしいのです。


②成功者の言葉は必ずしもあなたにとっての正解とは限らない

 

 当たり前ですが、成功者の言葉はその本人にとっての成功談です。

 あなたとはスペックも生まれも違う人間です。思考も違えば、目指す目標も違います。過剰適応真っ最中であったり、仕事に入りたての頃だとそうした点に気付けず、盲目的に従わなくてはならない気持ちになってしまうことも多々ありますが、正解は色んな形があるものです


 山道を行くとき、様々なルートがあるでしょうが基本的には頂上に向かって歩いていけばどのルートでもいずれは山頂に辿りつきます。鍛え上げた山伏であれば道なき道を走っていくことも可能でしょう。獣道をたどり鉈で障害物を切り開きながら最短ルートで頂上を目指す人もいれば、通常では登れない岸壁をスキルと装備によって登っていく方もいるでしょう。登り方はいくらでもあるのです。貴方に提示された成功者の示すルートは、貴方が昇っていけるものでしょうか。いや、登りたいと思うものでしょうか。


(私は民間の経験が薄いのでそちらのことはよくわかっていないかもしれませんが、こと学校教育について言えば必要なのは多様性です。無論、根性も大切ですし強さも大切でしょう。でも、根性をどこで発揮するべきか、何を持って強さとするか、それは人それぞれでいいのだと思います。無論、プロとして生徒をどう育てるかについてはそれぞれの手法を探っていく必要はあるにせよ。)


 あなたの山の登り方に取り入れられる部分は取り入れられればいいに越したことはありませんが、盲目的に成功者の言葉に縛られてしまうのは、あなたの本来持っていた自由度を奪うことになるかもしれません。

 


③成功者とあなたの置かれた状況は違うかもしれない


 意外と見逃しがちな点です。成功者…特にベテラン勢と若手では大きな違いがあります。

 それは時代の変化です。

 

 昔の方がモーレツ社員で大変だった、という声も事実だと思います。昔に比べれば労働環境という意味では整理は進んでいる面もあるのでしょう。一方で、現代ならではの大変さも多く発生しているのも事実です。


 例えば、数年前育メンと言う言葉が流行しました。当たり前のことではありますが、現代社会において子育ては夫婦の共同作業となっています。「そんなものは昔も同じだったよ」と言う方もいるかもしれませんが、状況はここ数十年で大きく変化しているのです。

 

 核家族化の進展、地域の繋がりの希薄化、個人主義の台頭(背景にはよりお金を使わせようという社会全体の傾向があるわけですが)、そして何より可処分所得(自由に使えるお金)の減少に伴う「夫婦共働き」の進展。

 こうした変化の中、子育ては「夫婦の共同作業でないと成り立たなくなっている」といった方が正しいと思います。

 

 私は「働きたい」と思う方が働ける社会は健全だと思います。ですが、子育てが成立しないほど両親ともども働かなくてはならない社会はやはり本質的には不健全なのだと思うのです。

 たとえば女性の正社員化がしっかり進み、給与面の待遇もより安定してくる中以前女性が担っていた専業主婦やパート労働の立ち位置を男性が担っていけるというのであればそれは社会の自由度が増したと言うことになるのだと思います。


 ですが、実際は格差社会の進行にともないどちらかが正社員でもう一人が扶養枠内で時短パートという働き方ではもう家計が成立しないという家庭が増えているのが現状です。パートだとしてもフルタイムでの勤務が必要だったり、老後のことを考えるなら厚生年金も納められる形で働く必要があるというのが現代社会の本質でしょう。 

 そしてこの総活躍の波は本来であれば育児を支援してくれる立場であったはずの祖父母にも安い賃金でのパート労働を強いる状況になってきているのです。

 

 さて、このような状況の中家族を維持するためには夫婦が共に働き、共に育児するということが「最低条件」となりつつあります。では、仕事の負担は以前に比べ減ったのでしょうか?


 …こと教員に関して言えば、まあ減っていませんよね。むしろ増えています。特に賛否両論あるのはわかるのですが、やはり部活動の問題は大きいです。

 時給500円程度で(平日に関しては無給)土日を拘束され、平日夜に関しても強豪校であれば7時頃までは練習で学校に居ざるを得ないという状況下で、どう育児に関われるというのでしょうか。

 

 

 さて、例えとしてイラスト化してみました。これまた批判も多そうなある意味ステレオタイプな例ですが、あくまでわかりやすいケースを取り上げたと思ってください。


 自己実現という山登りに臨む際、ベテラン勢が過ごした時代の部活負担が20Kgの荷物だったとしましょう。また、生徒指導に関しては現代よりも過去の方が出動時間は長かったとは思います。こちらの負担を15Kgとしましょう。


 こうした面では今の方が優遇されているのかもしれません。

 部活は少なくとも土日どちらかを休みにするようにという通達が出るくらいにはなっていますし(守られてませんが)、生徒を送迎するために大型免許を取得するという流れも無くなってきているようです。


 生徒指導の大変さは別ベクトルにシフトし、少なくとも盗んだバイクで走り出す生徒と追いかけっこという事態はほぼ起きなくなってきています。(なおぬっぺふは自家用車で通学していた生徒をとめようとして曳かれそうになった経験はありますがその一度くらいですね)


 ですが、先述したように社会の変化の中新たに背負わざる得なくなった負担があります。 

 たとえば育児です。良くも悪くも男性と女性の役割が平坦化していく中、男性は今までのように仕事のみに生き方の軸を置くことができなくなってきました。「お父さんは重要な仕事で忙しい。でもお前をいつも思っているよ!父の背中を見て育て!」という動きは最早できない時代です。だって、お母さんも同じくらい働いているわけでして。

 

 バリバリのベテラン教員にうかがうと「家庭は崩壊しているよ」という返答がよく返ってきたことを覚えています。特に男性は「何かを犠牲にして大切な何かに打ち込んでいる俺」というストーリーが好きなためよくそうした話をしてくれました。

 それはそれでストーリーとしては面白いのです。80年代の学園ドラマのようで。


 ですが、今は違います。彼らの言う家庭が崩壊しているは単に「家庭に自分の居場所がない」というだけです。(逆に言えばだからこそ部活をはじめとする学校によりアイデンティティをかけていくことになるわけですが)別に家庭自体が機能していないわけじゃない。

 それに対し、現代社会は、「仕事と家庭を両立させないと本当に家庭が崩壊する」時代なのです。夫婦の不仲、子の愛着障害、育児ストレスによる配偶者の鬱病、子の引きこもり…


 ですが、こうしたことを理解していないベテラン教員は気付かずに過去の武勇伝を伝えてしまいます。若くまだ家庭を持っていない、自身がどういう働き方をすべきかを探っている自信のない純朴な若者はそれを真正面から受け止め昔ながらの仕事法を体現しようと頑張っていきます。その後がどうなっていくかはお判りでしょう。


 なまじっか昔ながらの方法で成功をつかめば掴んだで、家庭を持ったころに立ちいかなくなっていきます。背負う荷物が多いからです。


 そしてそうした負担感を、板挟みのジレンマを、解消するために色々なものに依存するようになってしまえば、あら不思議。熱心で何事にも頑張っていたはずの若者が不安定な危うさをもった若者に変わってしまうのです。

 そしてこうした対処もうまくいかず、自己否定感をつのらせていくと今度は次の問題が起きてくるのです。


④強い光は影を強くする


 「自分はなぜうまくいかないんだろう。なぜ頑張っているのに報われないのだろう。何かいい方法はないのだろうか?」


 そうしたネガティブ回路をぐるぐる回っているとき、人は一縷の希望を求めて成功者の声を求めがちです。


 ですが、上記したように「強い光は自分の影を強く感じさせる」もの。すごい話を聞けば聞くほど、「自分には無理だ」「自分はそもそも劣っているのだ」「わかっちゃいるのに出来ないのは自分が弱いからだ」と影を強く認識するようになってしまう


 良いアドバイザーはまず貴方の頑張りを聞いてくれるはずです。そして「わかっちゃいるけどできない」という不安を受け止めてくれるはずです。そうした流れなく、成功譚を語り出したとしたら申し訳ありませんが一度お耳に蓋をしましょう。それは元気なときに聞けばいい。


 ところが人間負のスパイラルからはなかなか脱出できないものです。周囲の成功者から納得のいく話が聴けないとなれば今度は対象を外に求めだします。自己改革の本であったり、有名人の著作、インターネット上のブログなどに共感できる言葉、ヒントを探しにいってしまう。

 すると、大体の内容はこうなのです。「苦労した。絶望もした。でも自分を信じて歩み続けて今がある。僕はこうした努力をしてきた、思い切ってこういう行動をとってみた…結果困難を乗り越え今では好きなことをして生活しています♪」

 

 この言葉は、ポジティブな時に聞くべき言葉でして。絶不調のときはこうした内容は「要はあなたの努力次第なのですよ♪」と笑いながらナイフで刺してくるものです。


 (特に発達障害系のブログはこうした傾向が強い印象があります。私は現状次の職探し中の無職で成功者ではありませんが、上記のような内容にはならないよう気をつけているつもりです)

 

 自信を喪失している時とは、暗くて深い穴の中に落ちて上空に見える綺麗な月や星空を眺めつつ遠くから聞こえるお祭りの音に思いを馳せているような状況に近いです。そんな中、先述したような自己啓発本やエッセイ、ブログは穴の淵から、

「何をそんなくらいところにいるんだよ!早く壁を登ってこっちにあがってくれば楽しいぜ!」

と声をかけて去っていく人のような、暖かい冷たさを持っています。


 …そうした時本当に必要なのは、ロープで穴底まで降りてきて何も言わず横に座り、「ここからだと、こう見えるんだね」と今の気持ちに寄り添ってくれる存在です。

 ロープを登る自信すら今はなくとも。すぐに穴を登れるわけではなくても。まずは今の自分の状況を、気持ちを受け止めてもらえる。本当はそうした体験こそが穴の中では必要なのです。そうした体験が、いわば自身の土台を安定させてくれるからです。



 

4.最後に


 さて、今回は成功者の言葉をどう受け止めるかの注意点について整理してみたつもりです。現代社会は成功者が大好きです。アスリートが聖人君子のように扱われる状況もそうした傾向の表れでしょう。

 ですが、成功者とは何でしょう。ロールズという学者の意見を借りれば「単に運が良かった人間」だそうです


 例えばサッカーの本田選手がいます。彼は紛うことなき成功者でしょう。ですが、それはサッカーという遊びがうまいことが、社会的・経済的な成功に繋がる社会だったからこその成功です。無論、本田選手の能力をもってすれば並大抵のことは成功するのかもしれませんが、こと現世に関していうのであればやはり彼の成功も運なのです。

 

 成功するかどうかは最終的には運に左右されます。また先に述べたようにそもそも

成功の仕方も人それぞれです。


 上記を踏まえ、私に1つ私見を言わせてもらえるとしたら、あなたが「どうやって生きたらいいのだろう?」「どう仕事をしたらいいのだろう?」と悩みを抱えているとき、見るべきはむしろ失敗した人達なのだと思います。

 山の登り方はそれこそ無限にルートがありますが、山で死ぬ方法は大体いくつかにしぼれます。遭難、滑落、獣との遭遇…


 登り方が無限にありどれが自分にあっているかがわからない状況であれば、逆に失敗の形を学ぶべきなのです。仕事人であればまず避けるべきは懲戒免職。人生で言うならば死ぬこと。そうしたいくつかの避けたいルートにどのように人はたどり着くのか。そしてそのルートに近付く危険を自分は冒していないか。


 そこさえ把握できていれば、大丈夫です。あとは歩いているかぎりいずれ山頂に辿りつきます。たどり着いた山頂はもしかしたら期待していた場所よりも標高が低いかもしれません。登り切ったことによる名誉はないかもしれません。でもかわりにさわやかな風が吹き絶景の広がる蓮華畑かもしれません。


 とりあえず私からは「不祥事にどのように人は至るのか」についての情報提供を今後もしていきます。もしよろしければ多くの方に知って頂きたいのです。なぜならこれは山をどう上るかではなく、山を滑落するパターンについての情報提供だからです。

 成功者の声を追い求めるのも素敵ですが、失敗した人の言葉にも得るものありますよ!(…多分)

 

 ということで今回はこのあたりで〆とします。ではまたいずれ・・・


 


 

 

 

 



 


 

 


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