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日本の考えるインクルーシブ教育と国連の考えるインクルーシブ教育は多分違う。


 どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。

2022年8月22日と23日に、日本はスイス、ジュネーブの国連欧州本部にて「障害者の権利に関する条約」の内容をしっかり推進出来ているかについての審査を受けました。そして、その審査を踏まえ、国連の障害者権利委員会から日本政府に勧告が出されたのが9月9日です。その中に「障害のある子どもにインクルーシブ教育の権利を」と入っていたことを巡り、Twitter界隈では積極的な議論がはじまりました。


ですが、どうもこの議論が釈然としない。ただ単にあらゆる障害者を普通教育を受けさせる(特別支援学校や特別支援学級等で分離しない)ということを杓子定規に捉えれば、教育現場のパンクは明らかです。そのため、ネット上では

「インクルーシブ教育なんて机上の空論ナリ!」

という声も強い。


 正直、元教員で、また障害を持つ方の相談員もやっていた(ついでにいうと自分自身も精神障害者手帳3級所持)のぬっぺふとしても「現状の教育現場にただおためごかしのインクルーシブ教育とやらを行ったとしても、いいことはないだろうな」と思ったわけです。


 具体的に問題が想定されるのは知的障害のある生徒を抱えたときです。

 正直なところ、現状でも知的障害のグレーゾーン(IQ80~70程度)を持っている生徒は高校に沢山進学しています。

 彼らは様々な困難をかかえ、時には二次障害としてパーソナリティの歪みも持ち合わせていることがありますが、先生方の熱心な指導(あるいは見てみぬふり)により、ギリギリ卒業していくという状況です。

 そんな中、仮にインクルーシブが進み軽度(70~50程度。高校時に大体7歳~10歳程の発達状況)の知的障害の生徒が高校に入ってきたとします。当然、今までの形で彼らを教え切ることは難しいでしょう。

 結果、先生方は個別対応のオーバーワークで疲労困憊。障害を持つ生徒は常に支援される立場に立たされることで自己肯定感が育たず、それを眺めるその他の生徒達は、インクルーシブが綺麗ごとであると認識する…そんなイメージしかわきませんでした。


 とくに、現在日本は障害についての理解が進んでいる国というわけではありません。基本的には障害についてNIMBY(Not in my back yard/いるのは認めるけど正直うちの裏にはいてほしくない)の立場が主流でしょうし、人によっては「生産性がないのに税金を無駄遣いする」という能力主義や「遺伝的に劣っているのだから淘汰されるのが自然の摂理だ」といった優生思想を持ち合わせているケースもあります。子どもはそうした社会の中で育つのです。学校の中で形だけのインクルーシブを教え込もうとすればどうなるか。

…子どもは大人の嘘に気付き、インクルーシブが理想であると判断するでしょう。あるいは学生の頃は「インクルーシブが重要だ!」と信じていたにも関わらず、社会に出ると実情はそうではないことに「自分が教わってきたことは嘘だった。現実は違うではないか」と失望し、反動的に優生思想に傾くかもしれません。


 インクルーシブ教育をやるためには、社会の目線が変わらなくてはならないし、やるならば本気で進めないといけない。車椅子などに対応できるよう学校の改築は必須ですし、単なるデバイスを準備するだけではなく、先生方に障害特性についてのより深い見識をもって頂く必要もあるでしょう。それをせずに現場に丸投げすれば混乱は必須…そう感じていました。


 ですが、考えている内に疑問に思ったのです。

「国連がそんな教育現場が崩壊するようなことを無自覚に言うだろうか?国連の言うインクルーシブ教育は先述したようなものではないのではないか?」という点なのです。

 そこで、原文にあたってみるとまあ見えてくる見えてくる。国連の考えるインクルーシブと、日本の考えるインクルーシブの微妙な違い。両者のすれ違い。

 というわけで、前置きが長くなりましたが、今回は国連の勧告原文と、過去の障害者の権利拡大の歴史を土台にしながら「国連の言うインクルーシブ教育とは何か?」を考えていきたいと思います。

では、いってみましょう。




1.障害者の権利拡大の歴史を振り返る


 まず、国連の方々の言う内容を理解するためにはここ数十年の障害者の権利拡大の歴史を理解する必要があります。なぜなら彼らは「日本がその流れを十分理解したうえで今取組を行っている」と考えているからです。

 以下では、特に重要な働きをした方、運動を順に確認していきましょう。ご存知の方や「相変わらずくどいぜお前はよう」と言う方は、②IL運動および⑥障害者の権利条約だけでもご確認頂ければと思います。


①1950年代 バンク・ミケルセンの活動 ~ノーマライゼーションの登場~

 

 まず、障害者の権利拡大を考える際に重要な概念として「ノーマライゼーション」というものがあります。これはデンマークの社会運動家、バンク・ミケルセンが提唱したもので、簡単にいえば「障害者が一般市民と同じように普通の生活を送り、同じような権利が保障されるようにしていく」という考えです。

 

 当時、知的障害者は基本入所(というかほぼ監禁)生活。それに対し、知的障害者の親達が、「子ども達に人としてのまっとうな生活をさせてやりたい」と集まります。彼らの思いを受けて活動を行ったのがバンク・ミケルセンだったのです。

 

 以後、障害者の生活向上を考える上で「ノーマライゼーション」は一つの指針となっていき、知的障害のみならずあらゆる障害に対して適用されていくことになります。


②IL運動

 

 さて、そうした流れの中で「障害を持っていても自分らしく生きていく重要性」を示す運動が起こります。場所はアメリカ、カリフォルニア大学バークレイ校。ここに重度の障害のある学生ロバーツが入学し、その学生生活を送るために自ら環境の改善を求めだしました。後にいうIL(=Independent Living 直訳で自立生活)運動の始まりです。

 

 この運動で重要なのは「自立」という概念が変わったということです。


 それまで、障害者にとっての自立とは自分で服が着れる、トイレにいける、尻をふける、ごはんを食べられる…といったいわゆるADL(日常生活動作)が出来ることを意味していました。ですが、この運動の中でロバーツは言います。


「人の手助けを借りて15分着替えて仕事に出かけられる人は、自分で2時間かけて服を着なくてはならない人より自立している」

 

 …つまり、「なんでも自分でやること=自立」ではなく、サービスを活用しながら「自己決定」していくこと、それこそが自立であると主張したのです。

 

③国連動く→各国へ

 

 こうした動きを受け、国連は1971年には「知的障害者の権利宣言」を、1975年には「障害者の権利宣言」を出しました。どちらも「ノーマライゼーション」を推し進める内容となっています。

 ここにおいて、一部地域で始まった「ノーマライゼーション」が世界の一般常識として浸透し始めます。


 その後国連は「(障害者の)完全参加と平等」をキーワードに1981年を「国際障害者年」として定義。翌年には「障害者に関する世界行動計画」を採択、計画実施のため翌年1983年から10年間を「国連・障害者の十年」として位置付けます。細部を説明するとそれだけで1日が過ぎるので、取組はいずれも「ノーマライゼーション」を進めるものだったとご理解下さい。


④脱施設化運動 

 

 上記の流れと並行して起こっていたムーブメントがあります。それが、「脱施設化運動」です。施設を脱出し、他の人と同じような生活を手にすることを目指すのですから、これも「ノーマライゼーション」の一環と言えます。IL運動等の影響もあり、1970年代には世界は入所施設を削減し、地域で障害者が生活できるよう環境を整えていくという方向へ変化しています。

※なお、日本はこの時期逆行するように大規模な入所施設(コロニー)を大量に作っていたりする

 

 …この脱施設化は失敗もしたりしながらも(アメリカでは地域に移行したもののそのあとのアフターケアがうまくいかず結局精神障害者がホームレスになってしまったりもしました)、現在に続くトレンドとして続いています。


⑤障害を捉える目線の大きな転換点

 

 さて、そんな努力をしている中ですが実際に障害を持った方の支援にあたる人々はジレンマに陥ります。それまで世界では障害者が抱える様々な「できない」の原因を「本人の機能や障害」によるものと考え、その「できない」をいかに取り除くかが重要と考えていました。俗に「医学モデル」と呼ばれるものです。精神障害であれば本人の苦手なことを取り出し、ソーシャルスキルトレーニングや服薬によって周囲に適応できるようにする…といった具合です。

 ですが、この医学モデルには欠点があります。本人の機能や障害に焦点を当てすぎることで、本人のネガティブな面ばかりが際立ってしまうのです。医療現場ではたしかに問題となってる点を分析し、特定し、そこを治療するという流れが一般的。ですが、障害者にそれを当てはめてしまうと、結局「できない」ばかりが積み重なってしまう。結果、支援者が本人の出来ないばかりを見てしまい、本人の可能性を十分に活かしきれないという面が出てくるのです。

 

 そこで対極として登場したのが「社会モデル」という考え方でした。この考え方では「できないの要因は本人のみにあるのではなく社会や環境にもあり、たとえ障害があっても環境調整により健康と言える状態に近づく」と捉えます。いわば、個人の問題としていたものを社会全体の問題として捉える見方が現れたのです。

 

 例えば、車椅子にのって移動することが出来たとしても大きな段差は一人で超えることは難しいです。当然、階段を上ることは出来ません。医学モデルではその原因を「本人の心身機能」に求め、歩けるようになるためのリハビリを勧めるわけですが社会モデルでは違います。

 社会モデルでは、「障害の無い人を前提に社会の作りや仕組みが出来ているために移動できない」ととらえます。階段ではなくスロープであればそもそも問題にならないのです。

 

 この社会モデルの立場に立つと、障害者の権利を拡大するためには今までのように個人に向けた支援や社会に溶け込むための、つまりノーマル化するための策を打つだけでは改善できない問題があることが見えてきます。施設や設備の作り、社会的な制度(例えば日本にいまだに障害があることを理由に取れない資格があることを国連は指摘しています)、さらには人々が無意識に持っている「暗黙の了解」や障害についての「無知、偏見」…とくに障害者に対するネガティブなイメージを変えていかなくてはならないことが見えてきたわけです。


こうした中、WHOはそれまで障害や疾病を理解するために使っていた「国際障害分類(ICIDH)」という概念を取り去り、新たに「国際生活機能分類(ICF)」と呼ばれる捉え方を提唱します。2001年のことです。


 ごく単純にいうのであれば、前者が障害や疾病に焦点をあて、出来ない点を捉えていくネガティブな方式で分類していたのに対し、後者は「その人の生活の全体像」を捉える中で「障害がある。でも、環境に配慮しこうすればできる」とポジティブな捉え方ができるようになっています。


こちらでは出来ないことばかりに焦点がいってしまう。

これに対し、ICFでは…




…生活全体を捉える。

 こちらの目線にたつと、たとえ心身機能が回復不可能な状態であったとしても、その他の活動や参加を促進できるよう、個人の特性を捉えた上で環境を調整していけば、生活の健康度を上げることができるという予測がたてられます

そして、こうした目線の変化がいよいよ話題となっているあの条約に繋がっていくのです。


※なお、医学モデルは医学モデルで重要な捉え方です。本人の全体像はICFで捉え、個別の解決できる課題については医学モデルで原因や問題を深堀するという両モデルを使いこなすのが福祉現場では基本となっています。


⑥障害者権利条約

 

 さて、いよいよ本題に近付いてきました。2006年に発効された条約です。全50条あるので全てを見ることはできませんが、いくつか例を見てみましょう。


・障害を理由とする差別の否定

・障害者が他の者と平等に人権や自由を享受するために

 必要な合理的配慮(≒環境調整)の必要性

・法の下の平等

・インクルーシブ教育を原則とする

・手話は言語である

 

等が掲げられています。


 これらは、今までの「障害者をノーマル化する」という発想と似て非なる思想のもとに掲げられています。すなわち、「障害者は障害者のままで、社会に存在できるようにする」という発想に変わってきているのです。そして、その背景に先述したICFがあります。


 それまでの障害感では、どうしても障害を克服しないと幸せになれない、障害者は出来ないことが沢山ある、というネガティブさが伴っていました。それに対しICFはどこかに障害があろうと、環境調整を行うことで本人の活動や参加の機会が保障されれば、充実した人生に向かうことができることを示しています。つまり、障害をどうするかという障害者に焦点が当たっていたのが、ここにおいて「障害者をどう捉え、どう受け入れるか」という社会側の課題として大きく突きつけられるようになっているのです。


 インクルーシブ教育等が掲げられたのもその観点から見るとわかりやすい。学校生活は社会参加であり重要な活動です。ここが充実することは障害当事者にとって人生の健康度を上げることになりますし、インクルーシブ教育により障害を持っていない子ども達が障害を身近に感じるようになることは障害者を取り巻く環境を良いものへと変化させていくことになるからです。


 さて、お疲れさまでした。前提になる最低限の知識はこのあたりにして、次章ではいよいよインクルーシブ教育とは何ぞやという話題に入っていこうと思います。


2.求められるインクルーシブ教育とは何ぞや


 さて、インクルーシブ教育とは何ぞや。そもそも、インクルーシブという単語はソーシャルインクルージョンという単語が大元にあります。元々は移民を社会の中に包み込み一体化していくことを目指した言葉から始まりましたが、現在では「あらゆる人々(障害、性別、人種等)をつつみこめる懐の大きい社会を作っていくこと」を表す言葉です。

 大切なのは1つの社会の中に多様な人々がいるという点。

 

 その観点から見ると、日本のインクルーシブ教育はどうしても国連基準に引っかかるのです。なぜなら、1つの空間に障害を持っている人と持っていない人が混在していないから。


 しかし、前文で掲げたように実際は軽度知的障害、発達障害、それに根差した二次障害、そうした生徒が学力の低い学校にいけばゴロゴロいます。そして彼らもなんだかんだ先生の努力とお目こぼしの元、大部分は卒業していくのが現状です。そうした意味では日本は特別支援学校や特別支援学級以外のところで滅茶苦茶インクルーシブなことをやっていると考えることもできるでしょう。そのあたりはどうなのか?

 

 こうした謎を解くカギは国連の勧告原文にしかないと思うのです。勧告が一繋ぎの文章である以上、「インクルーシブ教育」について書かれた文章以外の部分も踏まえた上で求められている「教育とは何か」を探る必要があるのではないでしょうか。


 勧告の概要ですが、大きく分けて1.導入、2.評価できる点3.関心と要求の主な面(つまりダメ出し)4.補足の4章から構成されています。

 導入についてはまあ社交辞令やらが書いてあるので良いとして、重要なのは2と3です。国連さん、一応日本のこれまでの取組について多少の評価はしてくれています。

 ただ、勧告全体の内のわずか1ページほど(勧告は全部で20ページほど)なので、まあメインは3なわけです。


 では、次章では国連が関心をもち要求している点について、ニュースではあまり触れられてない点も含め見ていきたいと思います。




3.国連の関心事(懸念事項)

 

 当初は大事そうな所だけのせようと思ってたのに、始めたらうまく整理が付かず結局全部訳してしまいました。滅茶苦茶時間がかかったので後悔してます…

 翻訳は大分砕いてしまっているのであくまでニュアンスとして捉えて下さい。英語は苦手なので誤解もあると思いますので…。

 興味のある方は全文目を通していただいてもいいですが、お時間の無い方は次章に進んで頂いて必要に応じて見返すで全然構いません。



⑦俺達(国連の委員会)は、次のことが気にかかってる。


 ・障害者に対して、パターナリズム(父権主義と訳す。父が子の生き方を決定し、その代  りに訓練やコネによる就職等生活をトータルでサポートするような支援のあり方。ある意味安心感にも繋がるが、本人の意思が介在しないことが問題視される)的な支援が多いよ!国内でやってることとと、批准した条約がうまく調和してないぜ?

 

・法律も規則も、暗黙の了解も、ぜーんぶ「医学モデル」のまま続いてるぜ。


 ・精神に障害をもつものに対して、差別的な用語を使ってる面が気に食わないぜ。身体障害や精神障害を理由にとれない資格やなれない仕事があるのも気に食わねえ。


 ・そもそも権利条約に入っている「インクルーシブ」とか「コミュニケーション」とかその他もろもろの単語の意味をうまく日本語化できてねえよ。


 ・個別の異動支援やコミュニケーション支援等は地域においてギャップがあるね。


⑧そこで、以下のことを勧告させて頂くぞ。


 ・障害者を代表する組織(特に知的障害者)との協議をもっとしっかりやって、権利条約の内容とおたくの国内で実施している法律や政策をもっと調和させなさい。

 ・障害の認定制度に見られるような、従来の「医学モデル」的な面をなくして、もっと彼らが社会で平等な機会(チャンス)をもてるような支援を地域で受けられるようにしなさい。それが完全なソーシャルインクルージョンだし、社会参加だよ。


 ・法律の中で軽蔑的な言葉遣いや、先に言及した失格条項などは廃止すべきね。

 ・条約の用語をもっと正確に翻訳して理解なさい。

 ・移動支援やコミュニケーション支援等の地域ごとのギャップ解消にむけて必要な法整備と予算を講じなさい。


⑨俺達はさらに次のことも気になっている。

 ・立法や政策に関する協議において、障害者があんまり関与してないよね。

 ・やまゆり園の事件は、日本社会にはびこる優生学や有能な人の考え方によるもんだろ?

 ・司法分野、政策立案者や立法者、教師、医療、保健、建築…そしてソーシャルワーカー、障害者。それらの繋がり、大丈夫?


⑩ 俺達は、権利条約にのっとり、「障害のある子どもも含めた障害者の代表組織を通じた各部門への参加」をイメージしたうえで、勧告するぜ。


 ・公共分野での意思決定(国や地方自治体)の過程において、障害者団体との積極的な教義を確保せい。コミュニケーション手段やそもそもアクセスが難しいならそこも配慮するんじゃ。当然、知的障害、精神障害、自閉症、女性の障害者、LGBTQの障害者、農村地域に住む人々、強度行動障害や重症心身障害者の人々を支援し続けられるような目標をもってくれよ。


 ・優生学的な思想、自分は有能であるという態度が、社会において促進することを目指したやまゆり園の事件についてもっと検討せい。


 ・障害者団体がもっと関与して、各分野(司法の専門家、国会議員さん達、教員、医療従事者、ソーシャルワーカー、その他障害者に関するすべての専門家)に「障害者の権利および条約に基づく日本の果たすべき義務」に関しての能力を引き上げるプログラムを提供すべし。

  ※つまり当事者の意見をしっかり理解した上で各部門は関われということ。


⑪ 俺達は、日本がまだ条約の選択議定書を受け入れてないことが気になるよ。あと、条約第23条第4項(児童がその父母の意思に反してその父母から分離 されないことを確保する。ただし、権限のある当局が司法の 審査に従うことを条件として適用のある法律及び手続に従いその分離が児童の最善の利益のために必要であると決定する場合は、この限りでない。いかなる場合にも、児童は、自己の障害又は父母の一方若しくは双方の障害に基づいて父母から分離されない)についての日本の解釈についても気になっているよ。

  ※日本はこれについて「出入国法の退去強制の結果児童と引き離されることについては適用されない」との旨を宣言しとります。

⑫ だからはよ選択議定書を受け入れて、ついでに先述の解釈宣言は撤回するがよろし。


特定の権利についての懸念事項


平等と無差別(第5条)に関して。

⑬俺達は次のことが気になっている。

・障害者差別禁止法の内容がわかりやすい差別についてしか含まれてないし、障害者の定義も限定されていること。

※これじゃ差別扱いされない事例が一杯でない?ということです。


・合理的配慮を否定することが、障害者への差別の1形態として認められていないよね。

・障害者差別の被害者がアクセス可能な苦情のシステム、また救済のメカニズムがない。


⑭そこで、日本には次のことを勧告するぜ。

・条約に従って、障害、性別、年齢、民族性、宗教、性自認を理由とするような複合的、交差的な形態の差別を含むよう、法内容を見直し、合理的配慮をせい。

・合理的配慮が私的、公的を含めた生活のあらゆる分野ですべての障害者に提供されるために必要な措置を採用せよ。

 ※現在日本では合理的配慮(障害者が環境調整等があれば健常者と同じよう生活できる場合に行う配慮のことを言う。例 スロープ設置、休憩時間の流動化など)については民間企業において「できる範囲で」となっている。それについての指摘。


・障害者差別の被害者のため、司法や行政手続きへもアクセス可能な効率的なシステムを確立しなさい。


障害のある女性(第6条)について

⑮俺達は次のことが気になっている。

・障害関連の立法、政策における男女平等促進のための十分な措置が欠けていること。

・障害のある女性、少女をエンパワメント(力づける)ための具体的な措置がないこと。

⑯俺達は過去の国連の意見や発表をもとに、以下のことを勧告するぞ。

・ジェンダー平等政策において平等を確保、「障害のある女性と少女に対する複合的および交差的な形態の差別を防止するために効果的で具体的な措置」を採用し、ジェンダーの視点を障害関連の法律や政策のメインストリームにのせなさい。

・障害のある女性や少女のエンパワメントのための措置を講じ、彼女達のすべての人権と基本的自由が平等に保護されるようにせな。また、これらの措置を設計、実施する際には女性が効果的に参加することを求めるよ。


障害児(第7条)について

⑰俺達は以下のことが気になって様子をみている。

・障害のある子どもを健康診断を通じて社会から隔離する方向に誘導し、ソーシャルインクルージョンの見通しを妨げてしまっている、現行の「早期発見&リハビリ」のシステム。

・児童福祉法を含む、障害児に関するすべての関連法において、「当事者である彼らがそれを把握し、自身に影響を与える問題について自由に意見を表明する権利があること」について、ぶっちゃけ認識が欠けていること。

・障害のある子どもを含む、家庭や保育所、デイケアなどにおける「体罰の完全禁止の目線」が欠けているよね。また、彼らを虐待や暴力から守り、保護するための措置が不十分。


⑱過去の共同声明を参照し、以下のことを勧告するぜ。

・障害のあるすべての子ども達が完全なソーシャルインクルージョンしていく権利を認めるため、既存の法律を見直し、ユニバーサルデザイン(≒物理的で全体的な環境調整)と合理的配慮(≒個別に応じた物理的・心理的な環境調整)を含むすべての必要な措置を講じ、とくに彼らへの情報提供やコミュニケーションを行うための代替的および拡張的な方法を確保することを重視せよ。また、他の子どもたちと平等に、幼い頃から一般的な保育システムを十分に享受できるようにしなさい。


・障害のある子どもが司法や行政の手続き等で「他の子ども達と同じように意見を聞かれ、自由に意見を表明する。そのための年齢や障害に応じた支援とコミュニケーションの提供(当然当人がアクセス可能な形での)。

・あらゆる状況において、障害者含む子どもの体罰ははっきりダメとし、障害のある子どもの虐待と暴力の防止および保護の措置を強化せい。


意識向上(第8条)

19 俺達は次のことが気になっている。

・社会やメディアにおいて障害者の尊厳や権利についての意識を高めるための努力と予算配分が足りんぜ。

・障害者、知的障害者や精神障害者に対する差別的な優生学的態度、否定的なステレオタイプの見方や偏見が散見されるぜ。

・「心のバリアフリー」教科書などの啓発活動の準備に対し、障害者の参加が不十分だし、これらの措置に対する評価も不十分。


20.つーわけで俺達は以下のことを勧告するぜ。

・障害者への否定的なステレオタイプの見方、偏見、また有害な暗黙の了解を排除していくための国家戦略を採用なさい。そしてこの策定と実施には障害当事者の密接な参加と、定期的な評価が含まれるべき。

  ※やっておしまいにするなよ!ということ。


・メディアや一般大衆および障害者の家族のため、「障害者の権利に関する意識を向上させるようなプログラム」を開発し、十分な資金を提供するための措置を強化なさい。

 ※つまりこの国には障害者の権利に関する意識がまだまだ育ってないと国連は見ている。


アクセシビリティ(第9条)※サービスへの接続性


21.俺達は次のことが気になりながら状況を見ているよ。

・ユニバーサルデザイン(誰でも使える設計)の基準を組み込み、あらゆる分野でのアクセシビリティを調和させていくような戦略がとれているか。

・情報へのアクセシビリティと、学校、公共交通機関、アパート、小規模店舗へのアクセシビリティの確保が、大都市以外でほとんど進んでないよね。

・アクセシビリティの基準や、ユニバーサルデザインに関して、建築家や設計者、技術者に対する意識向上や訓練が足りていないね。


22.過去の内容に照らし合わせ、以下のことを勧告するぜ。

・政府のあらゆるレベルでアクセシビリティを調和させ、ユニバーサルデザイン基準を組み込み、とりわけ建物や交通機関、情報へのアクセシビリティを確保するために障害者団体としっかり話し合って、計画や戦略を主要都市以外でも一般に浸透するようにしていってね。

・建築家やデザイナー、エンジニアやプログラマーといった専門職もユニバーサルデザインやアクセシビリティの基準に関して理解し、継続的に能力を上げていけるプログラムを強化すること。


生きる権利(第10条)

23.俺達は以下のような障害者の死亡例に関する報告について心配している。

 ・緩和ケアを含む、治療を開始するかしないかといった自身の生命の選択について、当事者である障害者の意思や好みを十分に考慮していないことに見られる、「障害者の生命に対する権利の保護の観点の欠如」。

・障害に基づく望まない入院時において、物理的(拘束衣等)な、また科学的(鎮静剤等)な抑制が行われていること。

・精神病院での死亡原因とその状況に関する統計や、第三者機関等による独立した調査が欠けている点も気になる。

24.俺達は障害者団体や第三者による監視機関とも協議し、次のことを勧告するぜ。

・「障害者の生命に対する権利」をはっきりと認め、緩和ケアを含む自身の治療に関し、本人の意思と選択を表明できるようにすること、またそれに対しての必要な支援を行えるよう当事者の権利を保護していくこと。

・機能障害に基づくあらゆる形態の「望まない入院や治療を防止」し、地域に根差したサービスにおいて障害のある人に必要な支援を確保せよ。

  ※日本では国際平均よりも精神病患者の長期入院が多いです。それらは居場所がないため、または家族の安心のために病院から出ることができないという側面が存在します。このあたりの勧告はそうした「社会的入院」と呼ばれる状況に対しての批判と受け取れます。


・精神病院での死亡例の原因や状況について、徹底的に独立した調査を実施すべし。


リスク(災害)状況および人道的緊急事態(第11条)


25.俺達は次のことを心配している。

・災害対策の法律下において、「障害者のプライバシーおよび差別されない権利」が限定的にしか保護されないこと。

・災害時や緊急事態における避難所や仮設住宅へのアクセシビリティが、ない。

・地震や原発災害を含む、災害リスク軽減と気候変動に対する計画、実施、監視、評価をするための「障害者団体との協議」が不足している。

・知的障害者が災害時の緊急警報システムへのアクセスやリスク、災害等に関する情報に限られたアクセスしかできないこと。

・熊本自身、九州北部豪雨災害、西日本豪雨災害、北海道胆振頭部自身における「仙台防災枠組」の実施不足。

・情報、ワクチン、医療、その他の経済的および社会的な取り組みへのアクセスを含む、コロナパンデミックに対する障害者対応の欠如。また、施設にいる障害者に対するパンデミックの不均衡な影響。


26.俺達は以下のことを勧告するぜ。

・災害管理基本法を改正し、合理的配慮の否定や災害防止および被害の軽減、リスク状況における問題を含む障害者のプライバシーと差別されない権利をより強化する。

・シェルター、仮設住宅、その他のサービスが、年齢や性別を考慮し、皆にアクセス可能で障害者も包括したものであることを確保する。

・障害者とその家族を含むコミュニティ全体が、防災・減災計画に関与するような強靭なコミュニティを作っていくために、それぞれの特色に基づいた個別の緊急計画と支援のシステムを開発し、安全でアクセス可能な集合場所や緊急避難所、避難経路を策定していく。

・仙台防災枠組に従って、あらゆるレベルでの気候変動に関する災害リスク削減計画、戦略、および政策が障害者とともに策定され、リスクのあるすべての状況に置いても障害者のニーズにはっきりと対応できる状況を確保する。

・コロナ対応および回復計画において、障害者を主流化すること。これにはワクチンや医療サービス、その他の経済的およびその他の金銭的な、また社会的なプログラムへも平等なアクセスを確保できること、そして障害者を脱施設課するための措置をとっていくことも含まれる。その上で、緊急時は地域での生活を適切に支援する。


法の前の平等な承認(第12条)


27.俺達は以下のことを心配しているぜ。

・知的能力の評価に基づき(特に精神的な障害や知的障害のある人)法的能力の制限が認められており、それが続くことによって「障害のある人の方の下での平等」が否定されてしまうという、民法に基づいた代理決定のシステム。(成年後見人や保佐人等)

・しかもそれが2022年3月に利用促進するよう計画が立てられたこと。

・2017年の障害福祉サービス提供に関する意思決定支援のためのガイドラインにおける「本人の最善の利益」という用語を使っていること。

  ※おそらく成年後見人が判断能力が弱いとされる方の意思決定支援を行う際、「本人の最善の利益となるよう」決定を支援するという旨があることかと思われる。「結局客観的にみて本人の決定を変えられちゃうじゃないか」という。


28.俺達は、過去の答弁を思い出し、次のことを勧告するぞ。

・代理意思決定の体制を廃止する目的で、全ての差別的な法律規定や政策を廃止し、すべての障害者が法の前で平等に認められる権利を保障するよう民法を修正せよ。

・すべての障害者の自主性、意思、および好みを尊重する、支援付きの意思決定メカニズムを確立する。障害者が必要とする支援のレベルや形態に関係なくね。

 ※本人の希望を叶えるために、周囲が支援していくというエンパワメントモデルの考え方となっている印象あり。エンパワメントモデルでは支援者は保護者的な立場ではなく一パートナーとして、本人の希望実現を優先する。例えば、彼女が欲しいという願いをもっている障害者がいれば、それを「まずは人付き合いがちゃんとできるようになってからだね」などと段階を落としたりせず、「どうしたら彼女を作れるか」について二人三脚で進んでいく。その中で本人の強みを引きだしたり、失敗経験から学んだりしていく。


司法へのアクセス(13条)

29.俺達は以下のことを心配しながら見ているよ。

・現行の民事訴訟法や刑事訴訟法の規定だと、後見人のいる障害者や、施設にいる障害者、知的障害、または精神障害者の司法へのアクセスを「訴訟能力の欠如」という認識から制限してしまう。

・障害のある人が司法手続きに参加するための配慮の欠如。また、彼らにとってアクセス可能な情報やコミュニケーションの欠如。

・裁判所、司法および行政施設への物理的なアクセス不能という問題。


30.俺達は過去のガイドラインなどにそって、以下のことを勧告するぜ。

・障害者が司法手続きに参加する権利を制限するような法的規制を撤廃。他の者と平等になることを基礎として、あらゆる役割において障害者が司法手続きに参加する能力をあることを認めよ。

・関係者の機能障害に関係なく、障害のある人のすべての司法手続きにおいて、手続き上および年齢に応じた考慮を保障すること。なお、これには訴訟費用の補償、手続きに関する情報へのアクセス、参加しやすい手続きへのアクセスが含まれる。(例:情報通信技術、字幕、自閉症対象者への対応、点字、イージーリード、手話等)

・裁判所や司法および行政施設はユニバーサルデザインによって物理的なアクセシビリティを確保し、障害のある人が他の人と同じように司法手続きにアクセスできるようにせい。


人の自由と安全(第14条)

31.俺達はつぎのことを心配している。

・現状の法律で正当化されているように、障害者の機能障害や危険性に基づいて精神病院に望まぬ通院や望まぬ治療を許可するのはいかがなものか。

・入院に関するインフォームド・コンセントの定義のあいまいさを含め、障害者のインフォームド・コンセントの権利を保護するための手段がない。

32.俺達は過去の報告書などから以下の勧告を思い浮かべたので、日本にも要請します。

・障害のある人の望まぬ入院は差別であり、自由のはく奪であることを認め、そうした法的条項を廃止する。

・障害を理由に、同意のない精神医学的治療を正当化する法律を廃止し、障害のある人が強制的な治療を受けないようにするための監視システムを確立。その上で、障害をもたないものと同じ範囲、質、および治療にアクセスできるようにする。

・権利擁護、法律、その他の必要なすべての支援を含む保護手段を用意し、全ての障害者の自由かつインフォームドコンセントの権利を保護する。


33.俺達は以下を心配して観察しているぞ。

・精神病院における障害者の隔離、物理的および科学的な拘束、強制投薬、強制認知療法や電気けいれん療法を含む強制的な治療、そしてそうした状況を合法化する法律。

・精神病院における強制的で虐待的な治療の防止、またそれらの報告を確実にしていくための精神科審査委員会の範囲および独立性があまりないってこと。


34.俺達は、以下のことを勧告する。

・精神障害のある人の強制的な扱いを正当化し、虐待につながるすべての法的規定は廃止だ廃止。精神障害のある人に関するどんな介入も、「権利条約に基づく人権と義務に基づくものである」ってことを保障しなさい。

・代表的な障害者団体と協力して、精神科における障害者のあらゆる形態の強制的な行為および虐待を防止、報告するための独立した監視システムを確立せんと。

・精神病院での残酷で非人道的な、また本人の品位をおとしめるような治療を報告し、被害者を効果的に救済する策を確立し加害者の起訴と処罰を確実にするための、当事者がアクセス可能なシステムを作ること。


搾取、暴力および虐待からの自由(第16条)

35.俺達は以下のことを心配しているぞい。

・障害のある子どもや女性、特に知的障害、精神障害、感覚障害のある人や施設に入れられている人に対する「性的暴力」と「家庭内暴力」の報告、およびそれらに対する保護と救済がぶっちゃけ出来ていないこと。

・障害のある人の虐待防止と介護者の支援に関する「障害者虐待を防止する法律の範囲と有効性が不完全」なこと。そのため、教育、医療、刑事司法の場における障害者への暴力防止や報告、調査が排除されてしまっている。

※県の条例でカバーしている地域はある。

・被害者がアクセス可能な支援サービスや、居住施設に(施設から)独立したシステムをもつアクセス可能な報告機関がないこと。また、性的暴力に関連する司法プロセスにおける専門知識、アクセシビリティ、および合理的な配慮のが欠けていること。

  ※入所施設の虐待については、結構中でうやむやにされてしまうケースがあるので、それを指しているかと思われます。

・令和2年に設置された「性犯罪に関する刑法に関する研究会」において障害者団体の代表者が不在であること。


36.過去の生命に沿って、以下のことを勧告するぜ。

・障害のある女性や少女に対する性的暴力や家庭内暴力に関する事実調査を実施し、彼女らを守るための措置を強化し、「苦情受け入れや救済のシステム」に関するアクセスしやすい情報を提供しなさい。また、これらの行為が迅速に調査され、加害者が起訴され処罰され、被害者が救済されるようにするのはろんのもち。

・あらゆる状況における障害者に対する暴力の防止の範囲を拡大。障害者に対する暴力と虐待を調査し、それらを救うための措置を確立するため、各法律を見直す。

・被害者支援サービス、それらに関する情報、通報システムへのアクセスを確保するため、あらゆるレベルで戦略を策定する。居住施設を含む性的暴力に関連した司法プロセスの専門知識、アクセシビリティ、および合理的な配慮を。

・「性犯罪に関する刑法に関する研究会」への障害者団体の代表者の参加を確保する。


個人の完全性を保護する(第17条)

37.俺達は心配しながら、次のように様子をみている。

・「旧優生保護法に基づく優生手術を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律」に定められた補償制度で、同意なしに優生学的手術をうけさせられた障害者、障害のある被害者へ「情報へのアクセスをサポートせず、5年の時効を設定した」こと。

 ※逃げ切ろうって魂胆が丸見えデース。


・障害のある女性と少女の自由に関し、インフォームドコンセントのない不妊手術、子宮摘出術、および中絶の報告が存在すること。


38.俺達は以下のことを勧告する。

・障害者団体と協力し、旧優生保護法に基づく犠牲者への補償制度を改正、すべてへの補償を確保すること。すべての被害者がはっきりと謝罪され、適切に是正されるように「情報にアクセスするための追加的および代替的な通信方法」を使い、「申請機関を制限しないこと」によりそれは可能になるんじゃないですかい。

・子宮摘出術を含む強制不妊手術および障害のある女性と少女の強制中絶を明確に禁止し、強制的な医療介入が有害な慣行であるという認識を高めよ。いかなる医療、外科手術についても障害のある人のインフォームドコンセントが得られるようにする。


移動の自由と国籍(第18条)

39.俺達は次のことを懸念しているよ。

・知的障害や精神障害のある人が日本への入国を拒否される現行の出入国管理および難民認定法の第5条。

・出入国在留管理庁における通訳者の数を含め、合理的配慮の提供および情報へのアクセシビリティの不十分さ。


40.俺達は以下のことを勧告するぜ。

・精神障害者や知的障害者の入国を拒否する条文の書き換え。

・出入国在留管理庁にて、十分な数の通訳者を含む情報へのアクセシビリティを確保し、合理的配慮を提供すること。


自立した生活と地域社会への参加(第19条)

41.俺達は心配しながら以下のことを観察している。

・障害者や高齢者等の施設収容の永続化。家族や地域生活を奪われている。

・精神障害や認知症の人の社会的入院。特に前者の。

・障害のある人の居住地選択の自由、どこで誰と一緒に住むかの選択が非常に限られている。親に依存し自宅で生活している障害者やグループホームで生活する障害者も含まれる。

・入所施設や精神病院に住む障害者の脱施設化のための国家戦略および法的枠組みがなく、彼らの自律性や個としての完全性を認め、他者と同じように地域社会において自立した生活を送る機会の欠如。

・アクセスしやすく、手ごろな価格の住居や在宅サービス、全身性介護人など地域社会でのサービスへのアクセスを含む、障害のある人が地域社会で自立して生活するための不十分な支援の取り決め。

・医学的モデルに基づく、地域生活を支えるサービスを得るための評価スキーム。

 ※障害者は各福祉制度を利用する際、「障害支援区分」という能力評価が前提となっている。


42.俺達は過去の脱施設課に関するガイドラインを参照して、以下のことを要請するぜ。

・入所施設ではなく障害者が他の人々と同様に地域社会で自立生活するための支援に予算を向けることで、障害児を含む障害者の施設収容を終わらせるための迅速な措置を講じてね。

・精神病院に入院している障害者の全ての事例をチェックして、無期限の入院を中止。インフォームドコンセントを確保するとともに、彼らが地域社会で必要な支援を受けながら自立生活を送れるようにしていく。

・障害者がどこで誰と共に暮らすかを選択する機会を与えられ、グループホームのような特定の生活環境でしか生活できないというわけではないことを保障し、彼らが自分の人生を選択し、コントロールできるようにしなしゃんせ。

・障害者団体と話し合って、障害者が施設から地域生活へと効果的に移行することを目的として、期限付きのベンチマーク、人的、技術的、財政的資源を備えた法的枠組みと国家戦略を開始すること。(これには、自治権と完全な社会的包摂の権利を認識し、その実施を保証する都道府県の義務が含まれます)

・障害者が地域社会で自立して生活するための支援体制を強化する。これには、あらゆる種類の施設の外にある、独立した、アクセスビリティに優れ手ごろな価格の住宅であったり全身性介護人であったり、利用者手動の予算編成、および地域社会におけるサービスへのアクセスが含まれる。

・評価のスキームを地域社会における支援とサービスを保障し、障害者の人権に根差した評価を確保するために再編せよ。これには障害者に対する社会的障壁の評価と、障害者の社会参加とインクルージョンに必要なサポートが含まれるぞ。


パーソナルモビリティ(第20条)

43.俺達は、以下のことを心配してるぜ。

・地域生活支援サービスを通勤・通学等の目的で利用したり、長期にわたって利用したりすることが法的に認められてないこと。

 ※障害者福祉には移動を支援する制度がいくつかあるが、基本は余暇、通院、公的機関への運送を軸としており、通学や通勤に利用できる制度がない。市町村のサービスで特例で通学への利用が認められることはあるが、それも永続的ではない。

・特に主要都市以外の地域では、障害者のための質の高い移動補助具、機器、支援技術、生活支援のサービスおよびその仲介者に十分なアクセスができないこと。

44.俺達は以下のことを勧告するぜ。

・障害者の日常生活および、社会生活の包括的支援に関する法律に基づく現状の制限を撤廃し、すべての地域において障害者の無制限の移動を確保せよ。

・田舎でも器具の修理ができるようにせよ。また、補助金を提供したり、税金等の免除により、必要な移動補助具や補助器具、また支援技術がすべての障害者にとって手ごろな値段で提供されることを保証するための取組を強めよ。


表現と意見の自由、および情報へのアクセス(21条)

・障害のあるすべての人(盲ろう者などのより集中的な支援を受けている人も含む)に情報を提供し、コミュニケーションを支援することができていない。

・テレビやウェブサイトを含む、公共の情報を得たり、コミュニケーションへの支援を得る際に障害者が直面する障壁、および地方自治体間のギャップは問題。

・手話が公用語として法律で認められておらず、手話の訓練がおこなわれていない。生活のあらゆる分野で手話の通訳が行われていない。

46.俺達は以下のことを勧告するぜ。

・ウェブサイト、テレビ、その他のメディアサービスを含め、一般に提供される情報へのアクセシビリティを確保するために、あらゆるレベルで法的拘束力のある情報および通信基準を用意する。

・点字、盲ろう者の通訳、手話、イージーリード、簡単な言葉、音声解説、ビデオの書き起こし、字幕、触覚、拡張的、あるいは代替的なコミュニケーション手段など、障害者が利用可能なコミュニケーション形式の開発、促進、および使用に十分な資金を割り当てること。

・日本手話を公用語として法的に認め、生活のあらゆる分野で手話に繋がること、手話を使用することを促進し、資格のある手話通訳者の訓練と通訳者の利用を確保する。


プライバシーの権利(第22条)

47.俺達(国連の委員会)は、障害のある人の個人情報が、民間および公的部門内のサービス提供者によって、本人の同意なく、また合理的な目的なく収集される可能性があること、そして障害のある人の機密性とプライバシーの保護が既存の法律によっては完全に保証されていないことが心配。マイナンバー法や個人情報保護法などがその筆頭。

48.俺達は、障害者に関する情報が包み隠さない十分な説明に基づいた自由意志の同意に基づいて、非差別根拠に基づいて処理されることにより、彼らのデータ保護に関する法律を強化するべきと勧告する。法によって明確に、特定された正当な目的のために収集され、それらの目的に合わない方法では使われないこと、合法的で公正かつ透明性の高い方法で利用されること、そしてデータの主体が効果的な救済を受ける権利を有することが有効な改善策となる。


家庭と家族の尊重(第23条)

49.俺達は以下のことを心配しており気にしている。

・精神障害を理由として人を差別し、それを離婚の条件とする民法の規定。(770条)

・障害児の家族からの分離と、特に彼らの障害に基づく施設への収容。

50.俺達は以下のことを勧告するぜ

・精神障害を離婚の条件とする民法を含む、障害者に対する差別規定を廃止すること。

・障害のある子どもが家庭で生活を送る権利を認め、障害のある子どもの親(本人が障害を持つ場合も含む)に対して、家族をまもるため、子育ての責任を果たす際の包括的な支援を含む適切な支援を早期介入によって提供する。障害を理由に引き離されることを防ぎ、近親者が彼らを世話できないときは、家族的な環境のコミュニティ内で彼らに代替のケアを提供するためあらゆる努力を払う。


教育(第24条)

51.俺達は以下のことを心配している。

・医学に基づいた評価を通じて、障害のある子ども(特に知的障害、精神障害、より集中的な支援を必要とする子ども)が通常の環境での教育にアクセスできないようにすることによる、隔離された特殊教育の永続化。また、通常の学校での特別支援教室の存在。

・障害のある子どもたちが「通常の学校に入学する準備ができていない」と認識され、事実上準備ができていないことを理由に、その子どもたちを通常の学校に入学させることを拒否すること。また、2022年に出された「特別クラスの生徒が通常クラスで通常の半分以上の時間を費やすべきではない」という通達の内容。

・障害のある学生に対する合理的配慮の欠如。

・正規教育教員のインクルーシブ教育に対するスキル欠如と、インクルーシブ教育に対する否定的な態度。

・聴覚層が維持のための手話教育や、盲ろう児のためのインクルーシブ教育を含むコミュニケーションと情報提供の代替的かつ拡張的な方法に欠けていること。

・大学入試や学習過程を含む、高等教育において障害のある学生の障壁に対処しようという国の包括的な政策がない。


52.インクルーシブ教育に関する過去の内容をもとに、以下のことを求める。

・分離された特殊教育を停止するために、教育、立法、および行政上の取り決めに関する国内政策の中で、「障害のある子どもがインクルーシブ教育を受ける権利」を認め、特定の目標と時間枠を備えた、質の高いインクルーシブ教育に関する国家行動計画を採択せよ。障害のあるすべての生徒に、すべての教育レベルで必要な合理的配慮と、個別のサポートを確実に提供するための十分な予算を設ける。


・障害をもつ全ての子どもたちのために通常の学校へのアクセシビリティを確保し、通常の学校が障害のある生徒を通常の学校で拒否することは許されないことを保証する「拒否禁止」条項と政策を導入。関連する特別クラスへの大臣通知は撤廃する。


・個々の教育要件を満たし、インクルーシブ教育を確保するために、障害のあるすべての子どもに合理的な配慮を保証すること。


・インクルーシブ教育に関する正規教育の教師と教育以外の教育担当者の訓練を確保し、障害の人権モデルに関する彼らの意識を高めること。

・点字、イージーリード、聴覚障害児のための手話教育を含む、通常の教育環境におけるコミュニケーションの拡張的および代替的な様式、および方法の使用を保証し、インクルーシブな教育環境における聴覚障害者の文化を促進し、盲ろう者のためのインクルーシブ教育へのアクセスを保証する。

・大学入試や学習過程を含む、高等教育における障害のある学生の障壁に対処するための国の包括的な政策策定。


健康(第25条)

53.俺達は以下のことを心配して気にしているぜ。

・障害のある人、特に女性と少女、精神障害または知的障害のある人が、医療施設や情報にアクセスできないこと、合理的配慮ができていないこと、また障害を持つ人に対する偏見を含む、医療サービスにアクセスする際に直面する障壁。健康部門のプロ全体に関係する問題。

※重度の知的障害者などは健康診断を受けさせてもらえない病院も多い。


・精神保健福祉法に規定されているように、一般医療から精神医学的ケアが分離していること、また地域に根差した十分な医療サービスと支援が足りないこと。

・すべての障害者(特に女性と少女)が、「質が高く年齢に応じた性と生殖に関する健康サービスと性教育への平等なアクセス」を確保するための限定的な措置。

・より集中的な支援を受けている障害者を含め、障害者に対する不十分な医療費補助金。


54.条約の内容やその他の内容との関連性を考慮し、以下のことを勧告するぜ。

・公共、および民間の医療提供者によるアクセシビリティに関する基準の実施、および合理的配慮の提供を確保することをふくめ、すべての障害者に対して質の高い医療サービス(ジェンダーに配慮した)を確保する。

・医療サービスに関して、点字、手話、イージーリードなど、障害のある人がアクセスできる形式で情報が提供されることを保証する。

・障害者の人権についてのモデルを医療専門家の訓練に統合。障害のあるすべての人が、あらゆる医学的および外科的治療に対して自由であり、インフォームドコンセントをうける権利を有することを強調する。

・精神障害者の組織と緊密に話し合い、強制的ではない地域に根差した精神保健の支援をうみだし、現状の精神保健ケアを一般的な医療ケアから分離するシステムを解体するために必要な立法および政策を採用する。

・障害のあるすべての人(特に女性と少女)が、高品質で年齢に応じた性と生殖に関する健康サービスと包括的な性教育に参加し、アクセスできるようにすること。

・患者の費用負担能力に応じた医療費補助の仕組みを確立し、より集中的な支援を受けている障害者を含むすべての障害者にこれらの補助金を拡大する。


ハビリテーション(元々もっている力を伸ばしていく)とリハビリテーション(第26条)

55.俺達は心配しながら次のことを気にしている。

・総合的かつ分野横断的な「ハビテーションおよびリハビリテーションサービスの不足」。とくに子どもや主要都市以外の地域を支援するサービスがない。

・ハビリテーション&リハビリテーションのプログラムにおいて医学モデルが強調されていること。また、障害の種類、性別、および地域によるサポートの違い。


56.俺達は次のことを勧告するぜ。

・総合的かつ分野横断的な「ハビリテーションとリハビリテーションのサービス、プログラム、技術」へのアクセスを、コミュニティ内およびすべての締約国で確保するための措置を採用すること。

・障害の人権モデルを考慮し、ハビリテーションとリハビリテーションのシステムを拡大。すべての障害者が個々の要件に基づいてこれらのサービスにアクセスできるようにする。


仕事と雇用(第27条)


57.俺達は以下のことを心配している。

・障害のある人(特に知的障害や精神障害のある人)を保護されたワークショップおよび雇用関連の福祉サービスに隔離され低賃金で働いており、開かれた労働市場に移行する機会が限られていること。


・通うことの出来ない職場、公・民療法における不十分な「支援&個別化された宿泊先」、制限された移動支援、および障害者の能力について雇用主に提供される情報を含む、「障害者が直面する雇用の障壁」の存在。


・障害者雇用促進法に規定された障害者雇用率制度に関する地方自治体と民間部門のギャップ。および、その実施を確保するためのクリアで効果的な監視システムが存在しないこと。

・より集中的な支援を必要とする人のための個別支援サービスの使用が職場で制限されていること。


58.俺達は過去の内容に従って、次のことを勧告する。

・保護されたワークショップや雇用関連の福祉サービスから、インクルーシブな職場環境で同一労働同一賃金が与えられる、民間および公共部門の開かれた労働市場へ障害者の移行を加速するための努力を強化せよ。

・職場の建築環境がアクセシブルで障害者にとっても適していることを保証し、あらゆるレベルの雇用者に「個別の障害者サポートと合理的配慮を大切にし適用するためのトレーニング」を提供する。

・公・民における障害者(特に知的または精神障害および女性の障害者)の雇用を奨励および確保するための肯定的な措置およびインセンティブを強化し、その適切な実施を確保するための効果的な監視システムを確立する。

・職場でより集中的な支援を必要とする人に対して、ヘルパー等の使用を制限する法的規定を削除する。


十分な生活水準と社会的保護(第28条)

59.俺達は次のことを心配している。

・障害者とその家族が、十分な生活水準に達するために障害に関連する費用をカバーする規定を含む、不十分な社会補語制度。

・障害年金が市民の平均所得に比べて著しく低い。

・民間住宅および公営住宅に適用されるアクセシビリティ基準があまり進展していない。


60.条約の内容や過去の情報と照らし合わせ、俺達は次のことを勧告する。

・社会的保護制度を強化し、障害者に適切な生活水準を保証。特により集中的な支援を必要とする障害者のための追加の障害関連費用をカバーする。

・障害者団体と話し合い、障害年金の額に関する規定を見直せ。

・民間および公営の住宅に適用される、法的拘束力のある「アクセシビリティ基準」を確立し、その実施を保証せよ。


政治的および公的生活への参加(第29条)

61.俺達は心配しながら以下のことを気にしている。

・障害者の多様性に応じて、投票手続き、投票所、および参考とする資料へのアクセスが制限されていること。および選挙関連の情報が不十分であること。

・特に障害のある女性が政治活動や行政に参加し、公職につき、公務を遂行するための障壁があること。


62.俺達は以下のことを勧告する。

・公職選挙法を改正し、選挙の放送やキャンペーンを含む選挙関連情報の提供や投票手順、施設、および資料が、障害のあるすべての人にとって適切で、アクセスしやすく、わかりやすく、使いやすいものであることを保証すること。

・障害のある人(特に女性)の政治生活と行政への参加が促進され、政府の全てのレベルで障害者が効果的に役職につき、すべての公的機能を果たすことができるようにすることを保証するような技術、およびパーソナルアシスタントの提供をする。


文化的生活、レクリエーション、レジャー、スポーツへの参加(第30条)

63.俺達は、次のことを懸念している。

・観光地や娯楽施設でのアクセシビリティの制限。

・テレビ番組、文化活動、および電子出版物へのアクセスに対する障壁。

・スポーツイベントへの参加(特に聴覚障害者、難聴者または盲ろう者)に関する制限。

64.俺達は次のことを勧告する。

・小規模なものも含め、観光地や娯楽施設におけるアクセシビリティを確保するための努力を強化する。

・参加しやすい形式のテレビ番組や文化活動へアクセスできるようにする。またアクセス可能な出版物の入手可能性を高めるために、マラケシュ条約を実施するための措置を強化する。


・合理的配慮の提供を含め、すべての障害者がスポーツ活動にアクセスできるようにする。


C特定の義務(第31条から33条)

統計とデータ収集(第31条)


65.俺達は以下の点を心配しながら気にしている。

・生活のあらゆる分野をカバーする、障害者に関する包括的で細分化されたデータベースが、ない。

・実施された調査における、入所施設や精神病院における障害者の見落とし。


66.過去の提言等をもとに、俺達は日本がデータの収集システムを開発することを勧告する。年齢、性別、障害の種類、必要な支援の種類、性的指向と性同一性、社会経済的地位、民族性、居住地など、さまざまな要因によって細分化された、生活のあらゆる分野における障害者に関するデータベース。(入所施設や精神病院も含む)


国際協力(第32条)

67.過去のガイドラインに留意しながら、俺達は「国際協力プロジェクトにおける障害の主流化」が十分に適用されておらず、それに関連する戦略やプログラムが各国の組織と話し合いながら開発されていないことを懸念している。


68.俺達は以下のことを勧告する。

・障害者団体としっかり話し合い、積極的に関与することにより、あらゆるレベルでの持続可能な開発のための2030アジェンダの実施とチェックにおいて、障害者の権利をメインストリームにしていく。

・アジア太平洋障害者の10年(2013~2022)およびアジア太平洋地域の障害者の「権利を実現する」ためのインチョン戦略の実施のための協力を強化する。


Ⅳ.フォローアップ

情報の普及

71.俺達は、現在の総括所見に含まれるすべての勧告の重要性を強調する。緊急に講じなければならない措置に関して、俺達はパラグラフ42に含まれる独立した生活と地域社会への参加に関する勧告、およびインクルーシブ教育に関するパラグラフ52に日本の注意を向けたいと考えているよ。


72.俺達は、日本に対し現在の総括所見に含まれる勧告を実施するよう要請する。日本は、政府および議会のメンバー、関連省庁の職員、地方自治体、教育、医療および法律の専門家などの関連する専門家グループのメンバー、ならびにメディアに、再診のソーシャルコミュニケーションも活用しながら検討および行動のための最終所見を送信すること。


73.俺たちは、日本に対しその定期報告書の作成において、市民社会組織、特に障害者の組織を関与させることを強くおススメする。


74.俺達は、日本に対し、非政府組織や障害者の団体、ならびに障害者自身およびその家族の構成員を含めて、手話を含む自国語および少数民族の言語で、現在の総括所見を広く広めることを要請する。また、イージーリードを含むアクセス可能な形式で、人権に関する政府のウェブサイトで利用できるようにすることを目的とする。


次回定期報告

75.俺達は日本に対し2028年2月20日までに第2回、第3回、および第4回の定期報告書をまとめて提出し、現在の最終所見でなされた勧告の実施に関する情報を含めるよう要請する。また、日本に対し、俺達の簡素化された報告手続きに基づいて上記の報告書を提出することを検討するよう要請する。この手順に従って、俺達は日本の報告書に設定された機嫌の少なくとも1年前には問題のリストを作成する。それに対して返信してね。



4.国連の言いたかったことは結局なに?

 

 さて、なんだかんだ全文挙げてしまいましたが読んだ方は同じような内容がくり返されていたことに気が付いたかと思います。実は国連は様々なケースの不備を追及していますが、その不備の内容は大体共通しているのです。そして、それは今までの数十年の障害者の権利拡大の歴史の延長にある。つまり、大元にあるのは「障害者の常態化(=社会に当たり前に障害者がいて他の人と同じように人生を生きていくこと)であり、「障害者の自立(脱施設化ふくむ)」であり、「障害者の自己決定」なのです。

 それを象徴するように、国連の勧告で共通して取り上げられていた主張を以下にまとめていきたいと思います。


①「本人の同意なく人生を決定するな!」

 

 はい。自己決定ですね。例えば、同意ない入院、同意ない不妊手術、判断能力の欠如等を理由にした成年後見制度までも、「それは本人の意思を侵害するのではないか」と食いついている点を見ると、やはり欧米における「自己決定の重要性」は日本が考えている以上なのだと思うのです。この自己決定をさせず、支援者や保護者が本人の人生を決定し、その代りに手厚く面倒を見るというのが今までの日本のあり方であり、パターナリズムと呼ばれるものでした。


 国連はこのパターナリズムを否定し、本人のもっている力、可能性、自己決定を支えようという方針なのです。

さて、その自己決定なのですが、これを進めていくためには必要なものが2つあります。



②「本人に選択の機会を与えろよ!そのためにも施設や制度はアクセスビリティ高めろや!」

 

 はい。自己決定のためには選択の機会が必要です。一つしか選択肢がないのではそもそも人生決定もなにもありません。

見返すと、様々なところで出てきていましたね。


「サービスが主要都市にしかない=地方だとサービスの選択そのものが出来ない」

「どこに誰と住むかを自分で選べること」

「障害を理由として医療に繋がれないケースはだめでしょ」

「アクセスビリティがないから司法等の手続きに本人が繋がりにくいのはだめっしょ」

 などなど。


これは納得しやすいはずです。選択の機会(≒選択肢)が人生の自己決定には必要。

さて、では自己決定のために必要なもの2つめはなにか。


③「情報にちゃんとアクセスできるように国は工夫しろやい!」

 

 お分かりでしょうか。必要なもの2つめ。それは「情報」です。福祉をやっているとわかるのですが、実は福祉の情報は複雑でとても当事者が自分で理解できるものではなかったりします。しかもそれらの情報は基本的には文字情報として提示されており、知的障害をもつ利用者等はどうしても相談員や市役所職員の言ったことを信じて選択をしていくしかない状況に陥りがちです。情報が提供され、理解できるからこそ、本人が選択をすることができるというのに。


④「合理的配慮を大切に!」

 

 はい。③でおわると思った方もいたかもしれませんが、もう1つ。上記の3つをしっかり整えることによって選択の幅が広がったとしても、受け入れる施設、地域、そして企業などが障害に対しての理解と配慮を持っていなければ、せっかくの選択も長続きはしないかもしれません。

 勇気を出して選択した結果、頭ごなしに怒られてばかりという強烈な失敗体験を積んでしまうと、障害者は再起不能になってしまうことがあります。繊細な方が多いのです。

 

 ですが、社会に「合理的配慮」が浸透すると、そうしたミスマッチを減らすことができます。合理的配慮とは、「障害者のできることが広がるために行う配慮」のことであり、例えば休憩時間に融通をきかす、集中しやすいようパーテーションを設ける、タイムキーパーがいれば仕事ができる人の場合はタイムキーパーを付けてあげる…等があげられます。国連は「こうした配慮をできるのにしないことは最早差別の第一段階だ」とまで言っている。

 

 …この感覚はまだ日本には浸透していないと思うのですが、オムツでしか排泄ができない子どもが「オムツがないからうんちができない」と訴えているのに対し、オムツを与えるのは簡単なことです。にも関わらず、「トイレがあるんだからそこでしなさい」と強制したらどうなるでしょうか。間違いなくその子どもはうんちを漏らしてしまうでしょう。これはしつけでしょうか。トイレットトレーニングでしょうか。一般的に、これは虐待にあたるのです。

 

 合理的配慮を欠くということは「普通に働けるものから必要な道具を奪うこと」に近いです。どうしても日本は「環境に自分を合わせる」ことが暗黙の了解となっています。

 国連は「そうじゃないぜ」と言っているのですね。「その人に合わせた環境を準備していく目線を持ちなさい」というわけです。

 

 さて、長くなった本論ですがいよいよ本題です。こうした内容を踏まえて、インクルーシブ教育を考えてみましょう。


5.再びインクルーシブ教育とはなんぞや


 今までのながーい文章を真面目に読んできた方は少し見えてきた面はあるかもしれません。端的に言えば、国連の求めているインクルーシブ教育は前章でとりあげた4つの項目を学校においてもちゃんとやっていこうよ、ということなのです。目的は無論、障害者が他者と同じ権利を持ち、他者と同じように自己決定し、社会参加していけるようにするためです。

 

 だから国連は現状の「医学的な評価によって通常の教育にアクセスできなくさせる」制度には反発する。

 障害のある子どもが選べる選択肢がそもそもないことに反発する。特に日本は知的には問題ない車いすの生徒をハード面の不備のためにを受け入れられないということが多いです。国連からすれば「おいおい話が違うだろうよ。国が必要な予算だしてエレベーター付けるだけで選択肢になるんだから、ちゃんと合理的配慮としてハード面の整理をしたまえよ」という捉え方になってくる。

 また、特別支援級の存在についても、「せっかく普通の学校に通っているのに、障害のある子ども達だけ囲ってたらインクルーシブにならんでしょ」という理由で反発します。

 

 インクルーシブ教育を行うこと自体が大目標なわけではないのです。

 国連が重視しているのは「本人の自己決定」を支えること、そして「選択肢を用意する」こと。「障害者が障害を持たない者と同じ権利を持っている存在であることを、学校現場においても認めていってほしい」という点なのです。これらはすべて最終的には「障害者の自立」へと向かうステップとなります。


 さて、ここで日本の先生方からは「そうは言っても現実問題今の学校で障害を持った子を抱えるなんて難しいよ」と出てくるかと思います。


 仰る通りです。現状の教員配置、カリキュラムであれば。

 国連さんはそこについてこう述べています。「障害のあるすべての生徒に、すべての教育レベルで必要な合理的配慮と個別のサポートを確実に提供するための十分な予算を確保せい」と。

 つまり、ただ現場任せにするのではなく国がしっかり金を出しカリキュラムの変更や教員増といったカバーをするよう勧告している。

 (無論、国連さんは日本の教員の多忙さを理解していない可能性もありますが…)

 

 さて、障害を持った子供はどのくらいいるか。現在は時代の流れから発達障害および疑似発達障害、疑似軽度知的障害といった子どもが増えている側面はあり、彼らをいれると子どもの10%は何かしらを抱えていることになるようです。

 

 ですが、現在特別支援学校に行っている生徒は何人か。大体全生徒の1%未満です。支援学級をいれても3%程。彼らが通常のクラスに合流した場合、大体1クラスに1人、多くて2人といった割合になってきます。(25人学級が成立すればほぼ一クラスに一人に収まるでしょう)

 

 たとえば、授業の複数担当制といった土台整備を国がはかってくれるならば抱えきれない人数ではないのです。(実際、保育園などでは普通に知的障害を持った子が同じクラスにいたりしますし…)

 勉強についても、義務教育に関して言えば本人のペースでできることを軸に学習を進めることでも卒業が可能です。

 無論、教員増は絶対の条件となりますが…

 

 …ここまで読んで「でも全身まひのような子が入って来たらうちで対応できるかどうか…」という意見はあるかと思います。確かに四肢麻痺の生徒が入ってくれば排泄や食事の支援も必要です。医療的な知識も必要になるでしょう。

 ただ、そうした重度の障害児は全体でみれば総数は少ないです。それこそ、特別支援学校を経験していた先生がサポートに入るなどの工夫で十分支援が可能になります。無論、医療的ケアが必要な生徒に関しては看護師配置が必要になるはずなので現状のシステムではまず受け入れは不可能です。ですが、国連の言うように国がちゃんと予算を出してくれるのであれば、専属の看護師を雇えばよい。当然、国の金で。

 上記したように、インクルーシブ教育、実は案外実現可能です。

 おそらく、難しく思ってしまう理由は


 ①現状の学校制度、教員配置が意識の根底にある

 ②実際の総数よりも障害者の数を多くイメージしている

 ③全体としては少数の重度の障害者を特にイメージしてしまっている


ことが根底にあるかと思われます。

おそらく、国連さんは日本の学校制度の特殊性はあまり理解していないか無視して要求を叩きつけているのです。全ては障害者の権利を守るために。

それに対し、学校側が上記した3つのイメージをもってしまうと、双方の思うインクルーシブ教育に齟齬が出てきます。実際は、国がおかしな取組で教員の仕事を増やさず、しっかり出すものをちゃんと出してくれれば、日本の教員の対応力であれば問題なく対応が可能なのではとも感じます。Gルートで公認心理師の資格をとった先生の腕の見せ所かもしれませんね。


6.高校ではどうするのか?


 さて、最後にもう一つの難問です。義務教育は成績で落第というシステムがありません。ゆえに、本人の特性に応じた学びを、本人のペースで提供していくという形でも問題はない。

 ですが、高校は成績不良であれば留年、退学もあり得るのです。こんな現場において、障害者をインクルーシブすることが可能なのでしょうか。


 実は、高校におけるインクルーシブ教育こそ、国連と日本教員の間でのイメージに齟齬があるのではないかと感じています。


 いいですか。国連が大切にしているのは、「本人の自己決定」を支えること、そして「選択肢を用意する」こと。「障害者が障害を持たない者と同じ権利を持っている存在であることを、学校現場においても認めていってほしい」という点。


 となれば。ここで重要となるのはまず「機会の平等」です。希望する学校を受験し、合格すれば通うことができる機会を与えられる。試験を受けたならば、文字の大きさやページのめくりやすさといった合理的配慮は必要ですが、あくまで1受験生に過ぎません。基準に満たないならば不合格を出してもいいのです。

 

「え、いいの?」と思った方もいるかもしれません。少なくとも、欧米における障害者の権利拡大の動きを見る限りでは「いいの」が答えです。というか、障害をもった生徒を受け入れたからといって、留年や進路変更をしてはいけないというわけでもありません。


 無論、障害特性に応じた支援や本人が前向きに学校生活に向かえるような体制は組む必要があります。ですが、そうした学校側の働きかけにも関わらずやはり高校の学習についていけないのであれば、他の生徒と同じように「本人の進路変更」に親身に向き合っていけばいいのです。


 日本では「障害を持っている人には配慮しなくてはいけない=支援し、ゴールまで導かなくてはいけない」という発想が出やすいです。ですが、実はこの考えは国連の批判する「パターナリズム」に該当するのです。本人の可能性を、力を信じず。「何がなんでもこの学校を卒業するのが彼のためになるのだ」と本人の人生を教員が背負って守ってしまっている。


 欧米に限らず、現在の福祉現場では「障害者の自己決定」を尊重します。明らかな犯罪行為などに向かう場合、身体の危険がある場合等はともかく、基本的には「失敗するだろうなあ」とか「やってもすぐに挫折するんだろうなあ」と思うようなことでも、「じゃあ、それをどうやったら実現できるか考えていこう」と並走します。

 

 それは、人生を選択することは本人の権利だからです。当然、失敗することも多いです。予想通りに挫折することもあります。ですが、それでいいのです。なぜなら「選択しなければ失敗もない」からです。むしろ失敗できるということは、障害をもたない人と同じ、平等な人として選択をすることができたという証です。


 障害者が力を取り戻すためのポイントに「本人の負うべき責任は本人に返す」というものがあります。何事も人のせいにしている限り成長はない。


「勇気を出して普通高校に入学した。頑張ってみた。先生も色々やってくれた。でもやっぱり学力面でついていくのは難しかった。ああ、普通高校になんか来なければよかったのかな…」

 

 そう思えることが、彼にとっての大きな成長の種なのです。無論、このまま自信を喪失させてしまえばその種は芽吹かない。ですが、ここで通常の生徒と同じように親身に進路の相談にのり。学校での経験を本人にフィードバックする。その上で次の行先をともに探っていく。それで学校を去っていったとしても、それも一つの教育なのです。


 実際、海外では知的障害者がインクルーシブ教育として高等教育を受けることは稀なようです。それは、小さいころから自分の行きたい所を選択してきた積み重ねがあるからこそ、自身をうけとめ、自身が輝ける場所を選んでいく結果なのかもしれません。


6.まとめ


 というわけで、まとめます。まず、国連が求めているのは「障害者の常態化(=社会に当たり前に障害者がいて他の人と同じように人生を生きていくこと)であり、「障害者の自立」であり、「障害者の自己決定」です。そしてそれらを推し進めるために日本の課題として掲げられたのが、


①本人の同意なく人生が決定される(=パターナリズム的)側面

②選べる選択肢が少ない。

 ※アクセスビリティの関係もあり

③選択するための情報が手に入らない

 ※様々な形態で情報提供する必要あり

④合理的配慮の義務化

 ※配慮すれば活躍できる人を活躍させないのは差別であり虐待よ


という面なのでした。


インクルーシブ教育もこの4つに関係していますね。

現在日本では障害当事者の意思とは関係なく通う場所が決まっていきます。

そして、知的に問題ない障害者であったとしてもアクセスビリティの観点等から通える学校の選択肢が少ないです。実質選べないこともままある。

知的障害の生徒や盲ろう者といった生徒であれば、学校の情報を把握するだけでも一苦労です。私は今まで高校案内に点字がふられているのを見たことはありません。

また、現状の学校ではもし障害者が入学しても人員的な余裕がなく、合理的配慮もなにもとることはできないでしょう。(無論、障害に関する知識自体が日本の先生方は弱い点も含め)


これに対し、日本の先生としては

「無理だよう」となってしまうのですが、そもそも国連が求めているのは障害者の自立と自己決定です。自己決定した先で、挫折することもあるでしょう。進路を変更することもあるでしょう。無論、特性が合致して首席で卒業するかもしれません。

 

…インクルーシブ教育はたしかに教員に合理的配慮を求めます。ですが、「本人の選択の責任をとること」までは求めません。本人の選択の責任は本人のもの。成功も失敗も本人の財産です。

 

 1教員としては、出来る範囲で工夫して、向き合って、あとは本人次第です。なにも障害者だからといって必ず卒業させなきゃ、させてあげなきゃ、というものではない。それは国連の考える合理的配慮とは違うのです。それはパターナリズム。

 どうでしょうか。そう考えると、少し気が楽になったりしませんか。


7.終わりに

 

 日本がインクルーシブ教育に舵をきるのかどうかは正直わかりません。やるとなれば金は必須。はたして、それを今の日本が認めるかどうか。(ICT導入のいいわけとしては利用されそうですが…)

 

 国連は色々あげた勧告の中でも重点施策としてこの「インクルーシブ教育」を掲げました。それはやはり、学校現場が変わることによって障害者にとっても、日本社会にとっても大きな思考の変化が生まれ、それが次の変化に波及すると考えているからなのではないかと思うのです。


 なので、一番避けたいのは一番最初に述べたような状況です。つまり、「形だけの実施となり、生徒は綺麗ごとと冷笑し、当事者は自信を失い、先生は多忙を極める」というような。


 実際は、5,6で挙げたようにハード面さえ整えば【人員配置含む】決して実現不可能な課題ではありません。やれる範囲で真摯に向き合っていけばよいのです。過剰に「これを教え込まなくちゃ」と型にはめる必要はないのですから。

 というわけで、今後の動向はわかりませんが、国には教育にちゃんと金を出してくれと願うばかりです。ある意味、これはチャンスです。インクルーシブ教育実現のためにしっかりと予算が組まれ、人員増や仕事の見直しが進めば学校現場の抱える多忙を解消するきっかけになる可能性もゼロではありません。

 ただ、このまま放っておけばおそらくICT機材を整える予算だけ組まれ(しかもその予算は利権が絡む企業に向かう)、「あとは現場で!」となってしまうと思うので、それだけは絶対避けなくてはならないわけですが…


 以上、過去最長の文量となってしまいましたが、インクルーシブ教育についての思考整理を終えたいと思います。お疲れさまでした。

 では、またいずれ!


 

 

 



 

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