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日記や記録の注意点


 どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。皆さんは日記など日々の徒然を記録に残す習慣はありますか?


 最近だとSNSなどのネットワーク上やスマホのアプリに記録をとることなどで代用されている方もいるかもしれませんね。


 ただ、この日記や記録、心が疲れている際には注意すべきポイントもあります。そこさえ把握しておけば大きなメリットもある行為です。ぜひご一読下さい。


では、いってみましょう。


 

まず、日記や記録をつけるメリットを再確認してみましょう。


 1.あとで見返すことで、当時のことを思い出しやすくなる


 当たり前のことではありますが、記録をつけることで当時の記憶がしっかりと残るようになります。人間、平均寿命通りに生きれば大体2万~3万日ほどは生きることができるわけですが、おそらく振り返って思い返せる記憶というのはそう多くないはずです。

 

 記録をつけることにより、忘却の彼方に沈んでいくだけだった記憶が蘇るきっかけを残せます。これは歳をとってくればくるほど貴重な体験となるでしょう。


 そして何より。不祥事を起こした教員にとっては自身の過ちを二度と繰り返さないための重要なアイテムにもなります


 犯罪において、加害者は自身の犯した罪について忘れはしないまでも、新たな日常の中で加害の記憶が埋没していくことが多い反面、被害者(あなたの家族、配偶者、こどもも含めてです)は被害の記憶を決して忘れないと言われています。


 そのことを忘れ、新たな仕事や生活にのめりこんでいると、知らず知らずの内に家族はストレスを抱えている…ということにもなりかねません。

 戦争でもなんでもそうですが、忘れることは次の過ちの始まりです。それを阻止できるのであれば、記録を書かない手はありません。



 2.自身の感情を言語化することで自己分析の助けとなる


 なぜこんなに辛いのだろう?なぜそんなことをしてしまったのだろう?

 …日々の中で感じるそうした感情を言語化して記録しておくことで、一端自分から離れたものとして客観視できるようになります。書いている瞬間は主観から離れられなかったとしても、しばらくたってから見直すと意外な発見があるものです。


 私の場合は週末に気分の落ち込みが発生することが多いことなどがわかってきたのは記録をとるようにしてからでした。

 他にも、不安定になるトリガーや、どのような対処をしたら楽に過ごせたかなどのセルフコントロールのカギが沢山見つかることも多いです。



一方で、気を付けなくてはならない点もあります。以下はぬっぺふの思う記録のデメリットです。



1.負の感情が固着してしまう可能性がある

 

 感情というのは一過性のもので、自身に余裕があるときならば気にならないことに激昂してしまったり落ち込んでしまったりということはよくあることです。そしてそうした感情はしばらく時間がたてばすぐ忘れてしまうものすらあります。


 ところが、文章に残すことでその感情はノートの上に固定されます。これによって「あ、そうだ。あのひとにあんな嫌なことを言われたんだった」と本来であれば流れていったはずの感情が固まってしまい「あのひとは嫌な人」と思考回路そのものが変化してしまうこともあります。


 こうした傾向はネット上の文章だとさらに強い印象があります。その場の思い付きに近い感情で何かへのヘイトを書き込んだ結果、それに対する承認のコメントなどが入ってきてしまい結果その人の中で譲れない信条となってしまう…こうしたことは避けたいところです。


2.ネガティブな人、状態のときは一種の自傷行為となってしまうことも…

 

 ネガティブな人(わたしですね)は日記に自分を責める内容を書きがちですが、それをくり返す中で「自分の悪口を書くとすっきりする」というゆがんだ状況になってしまうと健全とは言えません。


 というのも、脳の仕組みとしては他者を攻撃するのも自分を攻撃するのも使うシステムは同じなので、自分を攻撃することが癖になると反面でその攻撃対象が他者に向く可能性も高まってしまうことがあります。自分の反省をこめて書いているはずの記録のはずなのに…

 

上記のようなデメリットを防ぎ、メリットを高めるために、ぬっぺふは最近では以下のように日記を書くようにしています。


①その日にあった事実と、それに対する自分の感想を1:1の割合で書く


②定期的に見直しをし、思ったことがあったら別色で書き足しておく


 はい。ブログにアップされている過去の記録をみればわかるかと思うのですが、私自身は当初まったくこうした点に至っていませんでした。

 結果的に当時の感情は生々しく思い出すことができる記録となっており、自身を分析するとともに犯罪に目がいくことを防止する大事な記録ともなっているのですが、上記の点を意識して書いていればもっと精神面の安定がはかれたのではとも思っています



 ①については『うつヌケ』(田中圭一著)という鬱を抜けた方々の体験をまとめた漫画の中で『マンガで分かる心療内科』の原作者、ゆうきゆう氏が述べていたものをそのまま取り入れています。

(この本、鬱重傷者は読むと辛いというレビューもあり、私自身も鬱がひどい頃はピンとこなかったのですが、少し落ち着いた時期に読んでみると単純な鬱だけではなく愛着障害や依存症、様々なタイプを広範に扱っているので、「ああ、誠実に鬱に向き合って書かれた本だなあ」と思える本だと思います。なによりこうした本にしては価格が1000円と手ごろなのもよし)

 

 ②については、あとから見直したときに「今はこう思っているぞ」や「これは書きすぎだな」や「えらそうなこと書きやがって!」などの感想をつっこみのように入れるというやり方です。

 それによって日記の内容が単純に自分の考えとして固着してしまうのではなく、あくまで「このときはこう考えていたんだね」と気付きやすくすることができます。

 

 

 表では口にだせないやり場のない思いを日記や記録に込めること、それ自体は悪いことではありません。自分もそうでした。

 でも、主観に振り回され感情だけを書いてしまうと、どんどん自分の思い込みを強めてしまうかも…


 あくまで日記や記録はあとで見返して役にたてるためのもの。書くことを通じて自身の思考回路を捻じ曲げていくようなものになったり、自分や誰かを痛めつけるようなものになってしまうと本末転倒です。私と同じ失敗を繰り返さぬよう、お気をつけて…







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