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発達障害サバイバーがなぜかモラハラ・パワハラ先生に?現象の分析と対策について考える



 どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアカウンセラーのぬっぺふです。

 先日、某SNSにて「パワハラを行う教員は発達障害の子どもの将来の姿である可能性がある」といった旨のコメントを拝見しました。

 これについては、色んな受け取り方をする方もいると思うのですが、発達障害当事者かつ不祥事教員経験者であるぬっぺふの知識と経験を総動員した結果、「8割方はその通りかも」と判断しました。

 そこで、今回はなぜ発達の凸凹を持ちながらも教員社会の荒波を生き抜いたサバイバーが「パワハラ教員化」してしまうのか?について分析しつつ、それを回避するための対処法を考えていければと思います。

では、いってみましょう!




 

1.まず発達に凸凹がある人の特徴を考えてみる

 まず発達の凸凹(あえて今回は発達障害と言いません。なぜならパワハラ先生になっている方は自身の凸凹に悩んでいない可能性があるからです)がある人の生き辛さは色々あるのですが、とりあえず有名どころをざっと書き出してみましょう。

 なお、以下にはADHD(注意欠陥多動性障害)とASD(自閉症スペクトラム)、両者の特徴が入り混じっていますが、正直どちらがどちらとすっぱりわけられるものでもないので、全部まとめて書いてしまいます。その上で、そうした特徴を持つ方がパワハラ先生化した場合に起き得る行動を⇒の先にまとめてみます。さあ、どうでしょう。皆さんの周りのパワハラ先生はいくつ該当しますか?


 

□頭の中が常にフルスロットルで動いていて、思考がまとまりにくい

 ⇒反面、いいか悪いかは別として新しいアイディアを出すのは得意。

  「明日は大雪か。よし、お前ら、今日は泊まってあしたは朝から雪かきだ!」


□人の気持ちを推し量るのが苦手

 ⇒結果、思ったことをずけずけ言うか、逆に全てを内に秘めて陰口になるタイプも。

 「私、思ったことは言わないと気が済まないからさ」

   or「あいつあんなこと言ってたんだぜ。信じられねえよなあ?」


□自尊心に問題を抱えている場合がある

 ⇒極端に自分中心、もしくは自信がないため「論破せずにいられない」ことも


□白か黒かの思考法。

 ⇒職員室内を敵味方でわけがち。使える使えないでもわけがち。

「本当にあいつ使えねえ」


□ワーキングメモリが弱いため、人から聞いた話や自分が言った話を忘れがち

 ⇒言うことがころころ変わる。都合の悪いことは忘れてしまうし、都合よく人の言葉を捉えてしまう

「いや、そう言ったかもしれないけど、そういうつもりじゃなくってさ」

「君、やってくれるって言ってたじゃない!」


□でもこだわりは強く、細部が気になって仕方ない

 ⇒配布物の様式や、文言、部活上のルールなど細部でクレームを出してくる


□マルチタスクは苦手な人がおおい

⇒なので得意なことだけをやっているか、苦手は人に振りまくる

 「パソコンはよくわかんないからこれやってくんない?」

⇒もしくは長時間労働で対処する。

「睡眠時間なんか毎日2時間だよ」


□衝動性が高い

 ⇒思いつきをすぐ試したくなる&思ったことをすぐに口に出してしまう。飲み会の席などで重要なことを決めてしまう

□気持ちの切り替えが苦手。

 ⇒気分屋。根に持ちやすい。過去のトラウマがフラッシュバックしがち。

 ※仕事を依頼したりハンコを貰ったりするのにも顔色を伺わなくてはならない面あり


□自身を客観視するのが苦手。

 ⇒だからこそ理不尽なことも言ってしまえるし、根拠のない自信を持つことも

「俺ほど頑張ってる奴はこの学校にいないと思うぜ」


□自身の体調も客観視するのが苦手。

 ⇒お腹がすいていると怒りっぽくなったりするが、本人は怒りの原因を外に求めがち


□自分の経験からしか学べないことが多い。

 ⇒逆に自分の経験を絶対視してしまう面あり。

 「おれの若い頃は…」「新人ってのはこうあるべきだ!」


□計画的に物事をすすめるのが苦手。

 ⇒ブレーン役に丸投げか、手続きを軽視しグレーゾーンで色々やってるケースあり。

「(クラスイベント時)教員が自腹きればいいんだよ」

「(行事準備で生徒が遅くなり)じゃ俺こいつ家まで送るからお前はそいつ送って」


□土壇場で何かをするのは得意

 ⇒いざというときに頼れる部分はあるため、問題行動が見逃されやすい


 □ストレス発散のため何かに依存しやすい

 ⇒アルコール大好き。部活で部員をしごくのが大好き。仕事が大好き。全部依存。 「飲まないと本当のそいつはわからない」

「俺達はプロなんだよ。そんくらいやんないでどうする」


…とりあえずパッと思いついた分だけでもこれだけ出てきました。

こうしてみると、たしかに発達の凸凹とパワハラ先生の行動は共通点が多そうです。

では次の章ではなぜ生き辛さを抱えやすいはずの発達の凸凹を抱えた先生がこうした進化を遂げてしまうのか、考えていきたいと思います。


 

2.2種類のパワハラ先生(発達凸凹由来)


 私が思うに、発達凸凹先生がパワハラ先生になる場合、絶対に必要なのが「成功体験」と「自己肯定感」だと考えています。そして、その2つをどのように獲得したかによって、パワハラ先生(発達凸凹由来)にも2つのタイプがいると感じます。


1つは発達の凸凹が強めだったものの、教員という閉じた世界の中で周囲を気にせず過ごせる環境がたまたま整っており、凸凹そのままに歳をくっていってしまったタイプです。仮に「ありのままタイプ」とでも名付けてみましょう。

 このタイプは自分の得意分野を縄張りに学校の中で存在感をアピールしていることが多く、仕事の大きさに関係なく「俺がいなければこの学校は回らない」という成功体験と「俺はこれでいいのだ」という自己肯定感をもっていたりします。

 傍から見ても問題を抱えているなというのが見えることもあり、はれもの扱いされていることもあるのもこのタイプ。ゆえに、パワハラ・モラハラをすることがあっても「あの人に関してはしょうがないよね」と見逃されていたりもします。


 さて、もう1つは発達の凸凹はあるものの、努力で克服し「成功体験」と「自己肯定感」を積み上げていったタイプです。仮に「適応者タイプ」といたしましょう。

 彼らはそれなりのコミュニケーション能力を持っており、「ありのままタイプ」と違って自身が周囲にどう思われているかもある程度わかっています。発達の凸凹具合でいえばより軽度。それにも関わらず周囲におよぼす悪影響は時に「ありのままタイプ」を上回ります。 

 私が知っているこのタイプの先生では生徒を自殺未遂に追い込む、派閥に属さない教員を排斥する、といった問題が起きたこともありました。なぜこのような行動が起こってしまうのか。


 ここから先は多分に推論となる面はあるのですが、ぬっぺふが思うに「成功体験」と「自己肯定感」を手に入れるために「何かを犠牲にしてきたこと」が彼らのパワハラ的な側面に繋がるポイントなのではと思うのです。

 

 発達の凸凹がある方が教員として成功体験を得るには大きな困難があります。マルチタスクと個々へのこだわりというジレンマをどう処理するのか。アイディアは浮かんでも計画がたてられない問題はどうするか。他者の気持ちがわかりにくいにも関わらず生徒の信頼を獲得していくにはどうするのか。どれもこれも難問です。

 

 彼らはそうした困難を「何か」を犠牲にすることで乗り越えていきます。例えば時間。例えば健康。例えば家族との関係。そうしたものを切り捨て、自身の時間、資源、力を学校に投入することによって成功体験をつかみ取り、現在の地位を獲得していく。

 先にあげた発達に凸凹のある人の特徴の中に「依存しやすい」という側面がありました。私は、「適応者タイプ」は困難を乗り越える中で多かれ少なかれ「仕事に依存し、自身の存在意義をそこに見出してしまう」ワーカーホリックな側面を持ってしまうのだと考えています。

 

 ワーカーホリックになると、仕事をしていない方が不安になります。次から次に新しい試みを試したり、朝から晩まで生徒に接して指導したり。それらは彼らの精神安定のもとなのです。家族を切り捨ててでも周囲から何と思われようとも、彼らは自分の取り組み方を変えることはできません。なぜなら、彼らの大元にある成功体験と自己肯定感を支えているのは「仕事への依存」であり、今更それを否定すれば今まで「仕事のために犠牲にしてきたもの」を直視しなくてはならなくなってしまうからです。また、良くも悪くも他者と関わり思い通りに動かす経験(部活にせよクラスにせよ)は快感であるとともにストレス解消でもあります。結果、彼らは常に生徒や若手にちょっかいを出し、指導をし続けることになりがちです。


 …そうしてうける指導が有意義なものであればパワハラ教員とはならないのですが、先述したとおり発達凸凹のある方は自分の体験からしか学べない。自分が通ってきた道を若手に求めてしまうし、それにそぐわない者達については前向きに受け止めることができません。白か黒かの思考の中、指導に従わない者は敵・または別派閥と見てしまう。


 そんな彼らも時には自分を振り返り、自分の凹が悪く作用してしまっているかもと考える時はあると思うのです。ですが、そうした時に便利な言葉が存在します。「自分、不器用なんで」。昭和生まれの「適応者タイプ」はこの高倉健の言葉に大分救われたのではないでしょうか。


 「適応者タイプ」の問題点は、努力を重ねある特定分野でのスペシャリストとして一目おかれる存在になっていることが多く、職員会議などでも自分の意見を管理職などにちゃんとぶつけることが出来るため、パワハラ・モラハラ的発言が大目に見られやすいという面があります。また、カリスマ性のある職人タイプも多いため、学校によっては若手を中心に一大派閥を形成していることも・・・こうなると余計パワハラ・モラハラ発言は見過ごされていく土壌ができていってしまいます。むしろ「この発言はパワハラです」と訴えた方が「そんなだから弱いんだよ」と一蹴されてしまうような状況にもなりかねません。


 …本来であれば苦労をしてきたはずの人間が、生きにくさを抱えていたはずの人間が、今度は他者の苦労と生きにくさの元となってしまう。発達凸凹教員のパワハラ先生化はそうした意味で悲しい様相を呈しています。では、一体どうすれば発達凸凹教員は別の進化を遂げることが出来たのでしょうか。


 

3.どうすればパワハラ先生化を避けられるのか


 成功体験と自己肯定感は健全な教員生活のために必要な経験です。ですが、それは仕事をどれだけうまくこなすかによって満たされるものばかりではありません。

 子どもの成長を考えてみましょう。幼少期に周囲の大人の視線を気にしながら、なつききらずに成長した子どもは「自己肯定感」が低くなり、結果ちょっとした「成功体験」を積んでも「でも今回は運が良かったんだ…」と自己肯定感が積みあがらなくなってしまったりします。逆に、周囲が見守ってくれているという安心感の中育った子どもは小さな「成功体験」の積み重ねの中で健全な「自己肯定感」を養っていくことができるのです。

 その理屈を適用するならば、各教員が自分の仕事に追われ切らず周囲に目を配る余裕をもち、互いの良い点や努力を認めあうことができる職場であれば「成功体験」と「自己肯定感」は特別な実績がなくとも育っていくものです。


 また、自身の特性について早期に自覚しているということも対策になるでしょう。

 「ありのままタイプ」が視野狭窄のまま暴言を吐いてしまうのも、「適応者タイプ」が大きな犠牲を払ってでも仕事に向き合ってしまうのも、どちらも自身の特性についての理解が曖昧なため起きやすくなる現象です。

 自身について知り、自身を大切に扱うことが長期的な精神安定のために必要であることを理解しておく。そしてそのために必要な知識こそ初任者研修等を通じて流しておく。

初任者研修ではまさに「適応者タイプ」のようなはつらつ先生が前面に出てきますが、そうした時代はもう終わってきたのではないかと思うのです。

 自身のプライベートも充実させながら、ゆとりの中で自身の凸を活かして生徒に向き合っていく。一部のカリスマティーチャーに頼るのではなく、学校全体で負担を軽減していく方法を考えていく。そうした姿勢が最終的にはパワハラ先生も不祥事教員も減らしていくことになるのではないでしょうか。


 なにも数百人の生徒を全部自分が良くしようと意気込む必要はないわけです。それは不可能だし、迷惑な思い込みです。単位制高校であれば700人程度の生徒に対し60人程は教員が配置されているはず。ならば一人の教員が10~15人になんらかの種をまくことができれば、それで教育は回るのです。

 であれば、自分の方針と違うからと他の先生に文句をいっているのはお門違いと言えます。自分に救えない15人を、その先生は救ってくれているのかもしれないからです。

 成功体験も自己肯定感も大いに積んでいい。ですが、それは傲慢になることとは違います。どんなに自信をつけても自分には救えない生徒達がいて、彼らを救うのはあの窓際のダメ教師かもしれない…そうした「謙虚さ」と周囲への「感謝」を忘れてしまうと、教育現場はやはりぎくしゃくとしはじめ、そのぎくしゃくの中を生き抜くために発達凸凹教員はパワハラ教員化せざるを得なくなっていくように思えます。



 

4.まとめ


 以上、今回の記事は自身の教員生活の中で見てきた多数のパワハラ教員と、それに追従する若手勢を眺めている中で考えていたものが軸となっているため多分に妄想気味になっているのは否めないとは思いますが一応まとめてみます。


 

①発達凸凹のあるあるはパワハラ教員の行動と一致する特徴をもっている

 

②パワハラ教員化する発達凸凹教員には2種ある


③1つは凸凹そのままに成功体験と自己肯定感を積み上げられた「ありのままタイプ」


④もう1つは努力によって成功体験と自己肯定感を積み上げた「適応者タイプ」


⑤危険なのはむしろ「適応者タイプ」。ワーカーホリックとなっていることも多く周囲を巻き込むような思いつきを実行したり、自身と考えの異なる教員を敵視してしまったりする


⑥こうしたパワハラ教員化をさけるためには、環境面の変化が必要。


⑦本人の努力を称賛したり、日頃の声掛けでも成功体験と自己肯定感の積み上げは可能。


⑧発達凸凹教員が自己の特性を把握し、過剰に犠牲を払ったり独善的になったりしないための種まきをこそ研修などで行っていくことは1つの対策となる。

(逆に今までのように過剰適応しながら成果を残しているような先生ばかりを研修で取り上げるのは逆効果となりうる)


⑨チームで負担を軽減していくような働き方を考えていく。教員一人が10~15人に種をまければいいと考え、クラスや部活全体を自分一人で抱えない。


⑩自分が救えない生徒を救うのは誰かわからない。成功体験を積んでも他教員への「謙虚」と「感謝」を忘れない。


 

 といったところでしょうか。

 … 個人的にはまだ詰めが甘いもやもや感はあるのです。ただ、パワハラ先生がなぜ生き方を変えられないのか、周囲をまきこんでしまうのか、そしてそうした形に発達凸凹教員が進んでしまわないために必要な視点についてはいくつか提案できたかとは思っています。

ちなみにパワハラ先生は言うまでもなく不祥事教員予備軍です。たとえカリスマであってもです。

発達凸凹教員の皆さんは早く何者かになりたい、自己実現したいと思うかもしれませんが、焦って無茶を繰り返し不祥事教員予備軍になってしまった…というのはあまりに悲劇。


 どうか焦らずゆっくり成功体験と自己肯定感を養っていってください。自分が抱えている生徒全部を掌握する必要なんてないですし、困ったら助けてもらっていいのです。自分もまわりも、大事にできる先生を目指して生きましょう。

 では、またいずれ!

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