自分が安定できる場所を見極めよう
- ぬっぺふ
- 2022年6月7日
- 読了時間: 10分

どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。
最近ツイッターで現役教員の方の叫びを目にすることが多々あり、はがゆい気持ちでいっぱいです。とくに4月に入職した方が心身の不調から6月に辞めていくのを目にするのはとても辛いです。
今ならばそうならないために何が大切か、どう接するべきか、わかることは沢山あるのに、部外者であるため何も伝えられない。
県教委や文科省の対策は場当たり的で今後より状況は悪化していくにも関わらず、一不祥事教員でしかない自分には何もできない。
そして何より、教員という仕事はとてもやりがいのある楽しい仕事でもあるにも関わらず、その仕事を継続できずリタイアせざるを得ない方が増えているという現状。
そこで、せめて出来ることとしてブログを更新します。
今回のテーマは心身の安定を保つためにとても重要な「自身が安定できる場所(=安全基地)」についてです。今回の内容はとくに「発達障害」や「愛着障害(幼少期の親とのなつきに問題があり土台がぐらつきやすい方)」の傾向を持つ方、またその傾向をもつ生徒と接する方には参考になる情報かもしれません。ご一読いただければと思います。
なお、今回の記事については発達障害や愛着障害に造詣の深い精神科医の岡田尊司氏監修、松本耳子氏作画の『マンガでわかる愛着障害』の記述を軸に解説をしていますので、より深く知りたい方は是非岡田氏の著作を手に取ってみて下さい。
では、いってみましょう!
1.安全な場所の重要性について
自分自身の土台がぐらついている時。また、自分では気付いていないけれど幼少期の経験から土台が安定していないまま成長してしまった場合。穏やかに生活していくためには自分の安心できる場所を確保しておくことが大切です。それは家族や旧友であったり、恋人であったり、ときには同僚の先生である場合もあるでしょう。
ただし、中には自分をよりぐらつかせてしまう人間関係も存在します。
これについて、発達障害や愛着障害の専門家である岡田氏は、安心できる場所(=岡田氏の言葉で言う安全基地)にふさわしい場所・人かどうかを判断する5つの指標を出してくれています。これが非常にわかりやすい。
そこでまずはこの5つの指標を軸にあなたを安定させてくれる場所について考えていきたいと思います。
2.安全な場所(安全基地)の5つの指標
①安全と安心
A 一緒にいても傷つけられることがない人
B 困った時や不安な時、いざというときに『大丈夫だよ』といってくれる人
※あなたが不安なとき、困っているときに「そりゃお前のせいだよ」と切りつけてくる人は安全基地ではないということです。
②応答性
A 相手が求めているときに応じてくれること
※いざというときに相談できる、守ってもらえるという安心感につながる
B 相手が求めていないのに余計なことはしないこと
C 相手がするべきことまで肩代わりしないこと
(このあたりは対生徒において勘違いしてしまう熱心な先生も多いですね。心理学的には境界線をちゃんと意識している人が安全基地として適切ということになります)
③共感性
A 相手が何を感じ何を求めているのかを察し、共感してあげられる力
※相手の意志を尊重し、自分目線での批判やアドバイスを優先しない(決めつけや押し付けは拒否感に繋がるため)。
…例えば相談をしたときに気が付くと相手の自分語りとなってしまうタイプの人は「相手より自分が主役」の方です。本質的には共感性が低い人と言えます。
共感性の高い人は、相手がいうべきかどうか迷っていることをひきだすためにかわりに言語化して伝えてみたりとサポートをすることはあっても、話を十分にきかずに安易なアドバイスを行うことはありません。
共感性の低い方の言葉を真に受けすぎると、自分をより傷つけることになってしまいかねません。
④安定性
A その日の気分や状況で対応が変わらず対応が一貫している
※なかには自分の気分を表に見せることで相手を無意識の内に操作しようとしている人も…
(俗に境界性パーソナリティ障害と呼ばれるタイプの方にはそうした側面を持っている方もいます)
⑤誠実であること
A 本心から相手のことを考え接してくれること
※時には耳が痛くても大事なことをちゃんと言ってくれること含む。
B 言葉ではなく、行動で相手を大切にしていることが見えること
※明らかに危険なことや悪いことをしたときにどう反応するかや、貴方を大切に扱っているかがポイントとなります。
魅力的な人で話をなんでも聞いてくれるけれども、実は相手のことを大切に思っておらず自分の欲求を満たすために他者を操作するタイプのパーソナリティ障害もあります。
いわゆるカルトの手口ですが、自分だけに依存させようと他のライフラインを切っていく、断じていくような人は相談相手にはふさわしくないでしょう。
・・・いかがですか。今あなたの周囲にこうした安全基地となりうる存在はいますか?
自分が一番輝いていたときは、実はこうした役割をしてくれていた人が存在していることが多いです。多忙な中、こうしたあなたにとって本当に大切な人と会う時間が作れず、むしろ一緒にいることで貴方が傷つく相手とばかりいっしょにいませんか。
2.以上から何を学ぶか
以上から見いだせる教訓は2方向あると思うのです。
まず1つは自身にとっての安全基地を確保できているかどうか。
特に教員という仕事はよくも悪くも狭い空間の王様となってしまう面があり、他者の言葉や気持ちを汲み取る指導者ではなく、自身の考える正しさを投げつける絶対君主となってしまう方もいます。
そして後者の方は自分が正しいと思っているために、共感力が低いにもかかわらず、自分に自信をもっているからこそ発言力や行動力はありカリスマ教員であることも多いのです。
こうした方の言葉や顔色を伺うようになってしまうと、もはや学校は安全な場所として機能しません。
また、教職は多忙なため、プライベートを削りがちです。そしてプライベートで削られるのは何もストレス解消の時間のみではないのです。こうした安全基地であったはずの場所、関係性…それらを削らざるをえない状況に追い込まれる面も大きな問題です。
ですから、もし自分自身にかつて安全基地と呼べる場所があったのならば、それを取り戻せるよう時間を確保していくことは精神の安定上重要です。
2つめに考えるべきは、「生徒の安全基地としての学校」という目線です。
昨今話題にあがる「発達障害」、そして幼少期の親子のなつきがうまくいかなかったことによる「愛着障害」は併存しやすい面があり、「安全基地」を必要とする生徒は現状増えてきていると言えるでしょう。
ぬっぺふが教員だった時でさえそうした傾向は強く表れており、いわゆる底辺校とよばれる学校には特に顕著だった印象があります。
よく言われる言葉ですが、困った生徒は困っている生徒です。何かしらの悩みを抱えていることが多い。そうした生徒にとって教員や学校は授業を教える、部活を教える、人権を教える、その前にまず「安全基地」として機能する必要があるように思えるのです。
無論、すべての生徒の安全基地に自分がなろうとしてしまえばバーンアウトに繋がります。大切なのはその生徒にとっての「安全基地」となる環境をどこかに作っていくことがなのでしょう。
3.ぬっぺふの担当した一事例
一例として、過去に私が以前担任していたある男子生徒を挙げてみます。
彼は発達障害の傾向(ASD傾向とADHD傾向の併存タイプ)から授業に集中していることが難しいタイプでした。
また、父との愛着形成がうまくできておらず、「愛着障害」の状況も示していました。結果、教員に対して自分自身を理解してほしいという思いと同時に「教員に自分のことが理解されるはずがない」というジレンマに陥っており、結果学校への反抗がおきやすい傾向がありました。
当時の私は専門的な知識も浅く、そうした彼に対し十分な安全基地ではなく、どうしても表面上の問題行動への対処に追われていたように感じます。
ですが、彼は3年間で成長し情緒も安定、自身ののぞむ高倍率の企業に受かっていくことができました。それに寄与したのは、学年の雰囲気とクラスの友人関係だったと思われます。
まず彼にとって幸いだったのは3年間同じクラスだった友人が学校側が投げかけた言葉や指導のクッション役となってくれたことです。
次に勉強は嫌い、拘束されるのは苦手な彼ですが基本友人に対して牙をむくことはなく、お祭りごとにも前向きに参加することができるタイプだったため、各行事への取組の中で本人の居場所がクラス内で保たれていました。
最後に当該学年の方針として行事を通じて団結感を感じたり助け合う機会を多く用意するというものがあったこともあり、学年全体がそうした一部の問題児に対しても門戸を開き居場所を作ることができていたことも大きかったように感じます。
教員は生徒に対しつい言葉を投げ続けがちです。抑圧しがちです。そしてそれも必要なことなので全てなくすことはできないです。ですが、そもそも土台が安定していないところにこちらの狙い通りにブロックをつみあげることはできません。ブロックを取捨選択し積み上げるのは生徒であり、教員がすべきことはその土台のぐらつきが起き辛い環境を作っていくこと、ぐらついているときに支えてあげること、そしてその上で使えそうなブロックや情報の種をそれとなくばらまいておくことしかないのだと思います。
実際、底辺校で問題児として入学してきた生徒程、自分を受け入れてくれる場所ができたあとは能力を発揮していきました。
私は盆栽をやったことはありませんが、最初から何度もはさみをいれて思い通りの形にしていくのではなく、ある程度枝葉を自由に伸ばせる土壌をととのえた上で、育った木の良さをもとに切りそろえていく方が力強いものができるのではないかと思うのです。
生徒にとって安全基地と呼べる場所がどこにあるか、どう安全基地を構築していくか、そうした目線が学校には求められるのでしょう。
4.最後に
というわけで、今回の内容をまとめましょう。
ざっくりと要約するのであれば、土台がぐらついている時、もしくは成育歴の中で土台がぐらつきやすくなっている教員・生徒にとって大切なのは上からのアドバイスや叱責ではなく、自分をさらけ出し受け止めてもらえる安全基地があるかないか、ということです。
よい学校を作るためには教員にとっても生徒にとっても「安全基地」をどう確保するかという目線が重要なのだと思います。
最後に。手近に安全基地とよべる場所がないのであれば、それをインターネットの中に見出そうという動きも起きるでしょう。SNSやネットゲームに依存する子ども達が増え問題視される傾向がありますが、これも一種の安全基地として機能しているのかもしれません。
ネット上であっても上記の5つの項目を満たしうるのであれば十分安全基地となります。顔と顔をあわせた対人関係と違い、危険もある点は見逃せませんが、それでも彼らにとっては必要な場所であるがためその危険性を意識していたとしてもそこから離れることは難しいでしょう。

大人だって同じです。現実に安全基地がなければそれをネットや外部に求めていくことになるでしょう。こどもと違い行動の制約が少ない分、出会い系等で恋人という安全基地を求めるケースもあるかもしれません。人によってはホストクラブが安全基地となるのかもしれません。
しかし、その結果手にした安全基地だと思っていた場所が実は単にこちらを利用しているだけの場所だったとしたら。精神的に大きなダメージを受けることは想像にかたくありません。
そのため、皆さんにぬっぺふからお伝えしておくこととしては「安全基地」を外部に求めるのであれば焦らないことです。5つの指標をちゃんと頭にいれてそこが本当に「安全基地」足りえるかを判断することです。
そしてその判断も分析もできないくらい疲れてしまっている、早急に安全基地が必要だ、という場合はいわゆるプロを安全基地としていくことが安全でしょう。つまりは精神科医や心療内科、カウンセラー等です。
さて、最後にといいながら長くなりすぎた感はありますのでここらで一度筆をおきます。
安全基地、しっかり確保していきましょう。
ではまたいずれ!

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