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自分をあらわす「性的嗜好」の話


どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。しばらく家族が順番にコロナでしてブログ更新が滞っておりましたが、再開していきます。


 今回はズバリ「性的嗜好」がテーマです。この性的嗜好ですが、正直多かれ少なかれ誰しも一つくらいは抱えているもんではないかとは思います。

 ですが、中には「なぜそれに惹かれるのだろう?」をしっかり意識していかないと自身を崩壊させてしまうことにもなりかねないのが怖いところ

 というわけで、「性的嗜好」とはなんなのか?そしてそこから何を考えるべきなのか?そうした点について一緒に考えていければと思います。

 

 では、行ってみましょう!

 

1.そもそも「性的嗜好」とはなんぞや


 まず、多くの方が誤解をしていることではあるのですが、「性的嗜好」と「性癖」は別の言葉です。


 性癖は、人間の「性格」の「癖」。本人の人格(パーソナリティ)に根差した心理的な、あるいは行動上の癖であったり、好みであったりを指す言葉であるのに対し、「性的嗜好」は「どんなものに性的興奮を感じるか」を表す言葉です。

 今風にいうなら~フェチと訳すのがわかりやすいのかもしれません。そういう意味では「性的嗜好」はあくまで「好みの問題」であり、「性癖」とは全くの別物なのです。


 ですが、たとえ「好みの問題」であってもそれが具体的な行動を伴い、性格の癖まで発展してしまうこともあります。たとえば「盗癖(クレプトマニア)」という性癖があります。この性癖を持った方の話では「盗める」と思うと他のことが考えられなくなってしまうということですが、同じことは「盗撮」や「レイプ」といった性犯罪加害者からも聴くことができる言葉です。そのあたりを整理すると、


・あくまで好みの中でおさまっており社会的に問題とはなっていないもの

 →性的嗜好


・性的嗜好から日常生活において問題となる行動の癖が発生しているもの

 →性的嗜好の性癖化した状態


 と2段階にわけると理解しやすいかもしれません。


 

2.「性癖」同様「性的嗜好」の根っこは実は深い

 

 癖というものは自身の根っこから発生してきているものです。

 

 例えばぬっぺふには「指や唇の皮を噛みちぎる癖」があります。爪噛み癖の悪化したケースです。この癖が始まったのは中学3年生の頃、受験勉強を始めたあたりからでした。それ以来精神科で抗うつ薬と覚醒作用のある薬を処方されるまで基本的に毎日皮膚をちぎり続けていました。

 

 そんなこんなで私の車やベッド周辺は大量のちぎられた皮膚がたまっており、おそらく生涯に剥いた皮膚をあつめたらゴミ袋一杯分くらいにはなっているのではないでしょうか。

 この行動は「集中しようとしている時」「不安を感じている時」に強まるようで、ひどいときは出血しても続きます。


 …男性は全体的に何かを噛むことで精神的に安定するという傾向はある(ガムを噛む、たばこを吸うといった行動フロイト的に捉えればおしゃぶりをして安心する赤子と同じもの)ので、私の癖もその亜種と捉えられそうですが、こうした口周りの癖の根本には不安への対応やストレスの解消、そしてなにより覚醒度の維持が自身の場合はあるようだと今では感じています。

 体にしみついてしまっているために、私にとってこの癖は、「良くないのはわかっちゃいるけどやめられない」ものの1つです。


 さてさて、ただの癖でさえそうなのです。「性癖」となればそれはもう根っこは深い。


 おしゃぶりで心が安定するのは多くの赤ちゃんに見られる行動で、本能に根差したもの。そういう意味では先述したような口周りの癖については万人に共通する要素を持っています。

 それに対し、「性癖」は本能由来というよりは「性格」「思考の癖」「脳の報酬系」などに由来して出てくるもの。つまり、ある意味では「より人間的な部分に根差した癖」となります。

 誤解を恐れずわかりやすく言うならば「その人の生き方」の中から発生してくるものが「性癖」です。


 例えば「盗癖」は癖となっている人にとっては快であり依存であり癖となるのも仕方ないものです。ですが、一方で「物を盗む」という行為がたまらなく不安で不快でとても実行できないという方の場合は、一度ものを盗んだくらいでは「盗癖」へと発展することはないでしょう。本来ルールを破ること、罪悪感のわくものについて、人は避けるようにできているからです。では、「盗癖」となってしまう人はなぜその行動が癖になってしまうのか?


 …社会生活上問題となる「性癖」に向き合う際大切な目線としては、

「なぜ、自分はこれが好きなのだろう?」「これから離れられないのはなぜだろう?」

という分析の目線です。

 根が深いからこそ表面上に問題として出てくる時にはもう心の深いところでこんがらがってしまい自分一人では解きほぐすことができないなんてこともあります。


 そして、ここまで述べてきた「性癖」についての考え方は実は「性的嗜好」にもあてはめていくことができるのです。少女の裸を見たからといって全ての人が「小児性愛(いわゆるロリコン)」に目覚めるわけではありません。高校時代に友人とお風呂を覗いたからといって全員が「窃視症(いわゆる覗き魔)」となるわけでもありません。そうした特定のジャンルから離れられなくなるにはそれ相応の理由が存在するはずなのです。


 「性的嗜好なんてたかがフェチ!」となめてかかっていると、いつか自分自身で飼いならせない化け物に進化してしまうかもしれません。

 少しでもそうした可能性を感じるのであれば。自身の「性的嗜好(あるいは既に進化させてしまった方の場合は性癖)」の背景を探っていくことが自己防衛に繋がります。

 

3.性癖や性的嗜好とその背景




 さて、多くの性癖を考えるときに重要なのが自身の抱える「おもいこみ」、そしてそれを支える「人生経験」と「コンプレックス」です。

 

 たとえば、「潔癖」と呼ばれる性癖の土台にあるのは非常に強い「汚いことはよくない」という「おもいこみ」です。そしてそうした思い込みに至った原因として、「幼少期から綺麗でいないといけないという教育をうけてきた」という人生経験、「自分は綺麗でいないといけない=汚いと嫌われる」といった「コンプレックス」が隠れていることがあります。

 

 …では狭義の性癖である性的嗜好にもそうした内容はあるのでしょうか?

 まずは性的嗜好を進化させ続けた「性犯罪加害者」についての研究からヒントを探ってみましょう。


 痴漢や盗撮といった性犯罪ではしばしば犯人から「相手はいやがっていなかった」「気付かれない限り誰も傷つかない」といった「おもいこみ」が聞かれることがあります。

 こうした「おもいこみ」は心理学用語としては「スキーマ(枠組み)」であったり「ビリーフ(信念)」と呼ばれるものであり、例えば性的嗜好に振り回された人々である「性犯罪加害者」等に関してはこれらの「おもいこみ」を丁寧に修正していく作業が求められ、アメリカ等では再発防止のためのカウンセリング参加等に重点が置かれています。


 なお、先述した「おもいこみ」の例には以下のようなものがあるとされています。

1

「子どもだって大人と同じようにセックスに同意ができ、それを楽しむことができるものなのだ」

 

 この思い込みをもっている人は、興味のある子どもに自分が「思いやりのある仕方」で性的なことについて「教えてあげている」という思考から子どもとの性的関係について「一般的には良くないとされることだが、実際は必要なこと・よく起きていること」と正当化しやすくなります。

2

「自分がしたいことは何でもできる」

 

 この思い込みをもっている人は「自分は誰とでも性的関係を持って構わない」「相手がセックスする気がなかったとしても問題ない」という思考も持っていることがあります。

3

「この世界は自分をのけ者にする危険な世界だ」

 

 この「おもいこみ」は「ゆえに、俺は満足を得るためにはあらゆる手段を用いて構わないし、そうしないといけない」と繋がります。過去の経験に基づくことが多いようです。

4

「人のタチは変わらないし、本能は制御できないよ。これが俺なのさ」

 

 この「おもいこみ」を持っている人は自分の性格や習慣を変えようとしません。そしてこの原則が性的関心にあてはまったとしても「これが自分だ」となってしまい、自身の統制できない行動として性的虐待を行うことがあります。

5

「暴力を伴わない性行動は害を与えないはずだ」


 この「おもいこみ」を持っている人は身体的な暴力をふるっていないものは「性暴力」と捉えなくなります。結果、自身の行動からひきおこされる心的外傷といった精神面の傷が理解できませんし、「盗撮」や「痴漢」が「暴力」であるという認識に至ることができません。

 ※参考『グッドライフ・モデル』パメラ・M・イエイツ&デビッド・S・プレスコット著  藤岡淳子 監訳


 

 こうした「おもいこみ」は実は明らかに間違っている自分を正当化するための言い訳です。ですが長い間こうした「おもいこみ」を持ち続けた結果、それが本人にとっては「現実」となってしまっているのです。


 そしてこうした「おもいこみ」をなぜそこまで強化していってしまったのかと言えば、そこにはやはり本人の過去の「人生経験」や「コンプレックス」が横たわっています。


 たとえば先の例でいえば以下のようなものが挙げられるでしょう。

 ※なお、以下の図は自身の経験、性犯罪加害のGWで接してきた方との対話等の経験から例としてまとめたものであり、やや私的な考察に依っていることは予め伝えておきます。

おもいこみ

(ビリーフ・スキーマ)

影響を与える人生経験の例

影響を与える

コンプレックスの例

子どもだって大人と同じようにセックスに同意ができ、それを楽しむことができるものなのだ

①インターネット上やポルノコンテンツ上に溢れる誤った情報への過剰接触


②子どもとの親密な人間関係

※特に大人と子どもの境界線の薄れた関係

​①大人社会でうまくやれない、大人は自分を理解してくれないという劣等感

「子どもと一緒にいる方が満たされる…」


②現実世界での女性との適切な距離での関係が薄い(それ自体が劣等感に繋がることも)

自分がしたいことは何でもできる

​①過去の成功体験


②誤った成功者のイメージへの過剰接触

※英雄色を好む等。

​①高すぎるプライド


②男はこうあらねばならないという強迫観念

​この世界は自分をのけ者にする危険な世界だ

①過去の成育環境

※虐待やいじめの経験


②過去の拒絶体験

※自己否定される体験(発達障害や知的軽度の方は幼少期から積み重ねている傾向あり)

​①自身をないがしろにする世界や他者への恨み


②楽しそうに生活している他人への羨望

​人のタチは変わらないし、本能は制御できないよ。これが俺なのさ

①過去の失敗経験

「どんなに工夫しても努力してもうまくいかない…」


②誤った理論の学習

「だから今後も自分は変えられないのだ」

「所詮本能には逆らえないのだ」

①自身が変わることへの恐怖

※積み上げたブロックを積み上げなおすことができないと感じる


②高いプライドと低い自己肯定感

※積み上げてきた量がある分、認めてもらいたい。反面現状がベストではないことも本当はわかっているため本質的には自己肯定感が低い。

暴力を伴わない性行動は害を与えないはずだ

①誤った理論の学習

「盗撮はばれなければ誰も傷つかない」

「痴漢を求めている女性もいる」


②抑圧的な生育環境

「いい人でいないと生きていけない」「頑張らない自分に価値はない」

①劣等感(の裏返しとしての支配欲)


②周囲に気を遣っている(ことの裏返しとしての支配欲)

 さて、話を本筋に戻します。


 性犯罪加害者の例から伝えたかったのは、

 

①人間の行動様式(無論癖も含む)の背景には長年の「人生経験」の中で作り上げてきた「おもいこみ」が背景にあり、その「おもいこみ」を促進するものとして本人の抱えている「コンプレックス」があるということ


です。そしてここから考えていきたいのは


②性的嗜好にもやはり同じ理論が根底に流れているのではないか


ということです。



 

4.性的嗜好とそれを支える劣等感と支配欲


 教員の不祥事においてはいわゆる「小児性愛(=ロリコン)」「窃視癖(=のぞき)」等が騒がれることが多いですが、これらの性的嗜好の背景には先述した性犯罪加害者の心理と同じものがあると言えるでしょう。

 様々な要因をあえて端的にまとめて言うとすれば『他者に対する「劣等感」とその裏返しとして存在する「支配欲」』がその根本です。


 例えば痴漢や盗撮といった性犯罪加害者の多くは一見真面目で、仕事も一生懸命、非常にいい人であるという傾向があります。これらはいいこと…ではないのです。

 なぜなら彼らの多くは「真面目に、一生懸命に、いい人でいないと自分には価値がない」と思ってしまっていることが多いためです。


 過剰にいい人を演じ続けるのは、根本的な自分に対する自信の無さ(≒劣等感)からです。ですが、一方で彼らは「なぜ自分は評価してもらえない?」という不遇感も抱えていたりします。

 …皆さんも知っているように真面目でいれば仕事がうまくいくかというとそんなことはありません。一般的に要領がよく多少不真面目なくらいが仕事もプライベートもうまくいくものです。

 

 水面下でふくれあがったいい人でいることの歪。そこに盗撮や痴漢といったファンタジーは心地よい夢を見せてくれるのです。「気付かれず」「真面目ないい人でいながら」「他者を支配する」。

 上記のように特定のジャンルに強く惹かれるのにはちゃんと筋道だった理由があるのです。

 

 同様のファンタジーとして「小児性愛」も語ることができるでしょう。本来大人は子どもを守るべき存在であり、対等な関係ではありません。そして対等な関係でないからこそ、自己肯定感の低い大人であっても安心して自分の支配欲を表に出すことができるわけです。

 中には本来大人である自分が子ども側に近付いていくことで安心できる、というタイプもいます。このタイプに関しては逆に「対等の存在だからこそ恋愛や性的感情を抱くのも自然なことだ」と主張することもありますが、実際は大人と子どものパワーバランスの中で心地よさを満喫しているにすぎません。


 両者に共通するのは、本来あるはずの大人と子どもの境界線をあいまいにし、無意識の内に有利な立場に立てる場所、相手を選んでいるという点です。


 こうした話を聞くと「気持ち悪い」と思う方も多いでしょう。ですが、あなたの身近に引退したあとやたらと部室に現れる先輩や、進学したあとなぜか絡んでくる中学生がいませんでしたか。というより、あなた自身もそうしたことをしていませんでしたか。

 …案外「小児性愛」の根本の動きはそれに似ているのかもしれません。

 

5.癖や嗜好が「犯罪」へかわる契機



 さて、現代日本においてはどのような癖や嗜好を持っていてもそれ単体で裁かれることはありません。なぜならば人間には「自分らしく生きる権利(=人権)」が生まれながらに存在し、そのために「精神の自由(端的にいえば頭の中で何を考えてもかまわんし何を信じてもいいですよというもの)」は大切な一要素だからです。

 

 一度レンタルビデオ店で18禁の暖簾をくぐればわかることですが、社会的に悪であるはずの「不倫」「盗撮」「レイプ」「小児性愛」、これらの行為を描いたコンテンツがつねに生み出され、消費されています。需要がないところに供給は生まれません(需要を企業が作り出しかきたてるという側面はありますが)。つまり、それだけ多くの人がそうした嗜好を潜在的には持っているということになります。

 

 無論、こうしたファンタジーを現実のものにしようと思えば、それなりの力がいります。飛び越えなくてはならないもの(犯罪者となることへの恐怖、法を犯すことへの罪悪感、技術的な難しさなど)が多数あるためです。


 しかし、これらの障害を飛び越えてしまえる環境が訪れることがあります。そのとき、それ単体では無害であったはずの癖や嗜好は「犯罪」となり、刑罰の対象へと変わるのです。

 

 …では、どのような要因が重なるとその障害を飛び越えてしまいやすくなるのでしょう?以下には自身の経験とGWでのメンバーとの語らいの中から見出された実例をまとめてみます。

1

物理的に可能な状況の多さ


痴漢であれば満員電車へ乗ること等です。盗撮であれば、盗撮しやすい環境、しやすい対象に沢山触れる機会があるということもあります。

もともとそうした「性的嗜好」を持っていた場合、何かの拍子だったとしても柵を飛び越えてしまえば、あとは「癖」まで突っ走ってしまうことも。いわば柵の弱い部分が常に見えてしまっている状態です。

2

精神的な不安定さ


簡単に言えば、脳が弱っていると衝動的な行動にいたりやすくなります。また、精神的に弱まってくると「どうせ自分なんて」という自暴自棄や「他者はずるい」といった恨みつらみが現れやすくなります。こうしたときは越えてはならない柵がぼろぼろになっている状況なので、飛び越えるまでもなくあちら側へ行ってしまうことがあります。

3

その他のストレス解消方法の喪失(行為やファンタジーへの依存)


 人間のストレスはよくダムの水にたとえられます。その水をうまく排水できる人はダムが決壊することなく、正常に日々を過ごせますが、一方でうまれつきダムが崩れやすかったり排水スキルが弱い方は大雨が重なることで容易に決壊(=精神病の発症)してしまうというモデルです。

 ではそれを踏まえてこんな状況を想像してみて下さい。

 

 大雨(大量のストレス)が降り続く日々、本来あった排水機能(ストレス解消法)もすべて機能しなくなった。そんな中、幸か不幸か外壁の一番弱い部分に穴があき、そこから水が抜け出るルートができてしまった。

 

 …このダムは幸い瓦解(=精神病の発症)することは免れました。穴が見えないところから見れば立派なダムに見えるでしょう。でも実際のところは最早その穴なしではストレスの雨を逃すことはできない状況なのです。

 お察しの通り、この唯一のストレスを逃がしてくれる穴が「痴漢や盗撮、子どもとの性行為、あるいはそれを行うというファンタジーにふけること」という話ですね。

 修理をしたければ、一度水を抜ききって元々持っていたはずの排水機能を取り戻していかなくてはなりません。水が降り続く中修理は出来ません。

 勘のいい方なら気付いたと思いますが、教員はこの3つの例に陥り易い労働環境にいるのです。


 過重労働で私的な時間ゼロは珍しくないですし、頑張れば頑張るだけ楽をしている人が目につきます。生徒との関係は楽しいですが、行事準備にせよ部活動にせよ関係は勤務時間外まで及ばざるをえず境界線を引きすぎても関係性を築けない。一方で境界線を失えば先述したような危険も現れます。

 部活動で王様となることでストレス解消を図れる先生もいますが、少数です。下手に強豪校の顧問の後釜にでもなってしまえば土日返上あたりまえ、生徒を車で郵送あたりまえ、頑張っても非難されるし頑張らなければ前任達から叩かれる、となかなかに精神的にも追い詰められてきます。(そして王様になったらなったで「おれはなんでもできる」型の不祥事が起こりがち・・・)


 そうした状況の中、健康な状態であれば不祥事を起こさなかったかもしれない人も、ドツボにはまればめでたく不祥事教員の仲間入りとなります。


 もしこのブログの読者に教員志望の若者がいたとしたら、その危険を十分に把握した上で教職についてください。若者にはここぞとばかりに仕事をおしつけてくるのが教育現場の悲しい現実です。無論、若いうちに仕事を頑張るのは重要ですが、それ以上に健全な生活を維持することが最優先です。自分を削り続けた分はどこかでドーピングが必要になるものです。そしてそのドーピングが不祥事に繋がる何かである可能性は決してゼロではないはずです。


 

 というわけで、そろそろまとめといきましょう。


 

6.まとめ


 今回の長-い記事をあらすじだけでまとめるなら以下のようになります。


「性的嗜好(何に性的関心をかきたてられるか)」と「性癖」は別物ではあるが、相互に関係する面もある


それらが生まれてくる背景には「おもいこみ」があり、その「おもいこみ」は人生経験とコンプレックスに支えられている


とくに「支配欲」と「劣等感」は様々な性的嗜好の元となるもので、教員に多い盗撮や生徒へのわいせつ行為もこの視点からある程度説明できる


そして、嗜好や癖が犯罪に変化しやすい環境が学校にはそろっている


 

 最後です。上記の4点から導き出される結論、あるいはアドバイスとは何か。


それは、


「発表される不祥事(盗撮、痴漢、未成年者との淫行、制服や体操着といった物への固執)と似たような性的嗜好がある人は、たかが好みと一蹴せず、なぜそれに惹かれるのかを健康なうちに分析しておくべし」


「学校は一部の性的嗜好を育て、暴走させ、犯罪にまで育ててしまいやすい環境でもあることを理解し対策をもって臨むべし」


「とくに①生徒と教員の境界線を曖昧にしないこと(部活等も含む)②精神的に健康でいること③自分が好きだったものを捨ててまで学校に居続けないこと、以上3点に注意すること」


です。


 なお、今回は教員をモデルに説明してしまいましたが、同じような労働環境であればどこの職種でも起きえる話です。そうした意味では教員にかぎらず、上記したアドバイスには留意して頂けるとよいのかなと思います。


 つかれた。以上で、一度筆をおきます。

 ともかく、性という膨大なエネルギーを制御するにはただ「禁欲禁欲~っ」と唱えても無意味です。(同様にただ「やるなよやるなよ」と伝えるだけの研修も無意味です)

 自分を分析し、健康な判断力を維持し、人生を楽しめる余裕をもつこと。でもそれが簡単なようで難しい。


 もし自分がまずい状況になってきているのでは、と思ったときには躊躇せずカウンセリング等を活用してください。少しでも危ない要素をもっているのに見てみぬふりをしていると・・・とっても後悔すると思うので。

 健康に過ごして、適度に性をたしなんでいきましょう。

 

 では、またいずれ!











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