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ぬっぺふ

自分を引き算する癖は周囲も滅ぼす


 どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。動画の作成やらもあり少し間があいてしまいましたが、ブログを再開します。

 当ブログを読んで頂けている方はもうお気づきかもしれませんが、このブログは同じような内容を色んな切り口から捉えている面があります。なので、人によっては「これ、同じことを別の言い方しているだけじゃないか?」と感じる人もいるかと思うのです。

 ただ、実はこれはある程度確信犯でやっております。

 というのも、本人の抱える生き辛さやうまく説明できない自身の癖を理解する手助けとなる情報提供が本ブログの目指すところなわけですが、説明の仕方によってストンと入るときと入らないケースがあったりする。

 たとえば同じ問題を捉えるにしても、家族の問題からみていくか、それともそもそも家族の抱えていた発達障害的な面からみていくか、はたまたその家族関係の結果として表に現れた非行という行動に着目して話をしていくか、最終的には同じような内容に行きつくにしても、どれが納得しやすいかは人それぞれな面があります。

 

 ということで、今回も結局「継続する無茶は誰のためにもならないんだよ」という話に行きつくのですが(身もふたもねえ)、とりあえずいってみましょう。

 今回のテーマは「自分を引き算してしまう癖がある人」です。


 

1.自分を引き算する人について


 さて、前置きではこけおとしていましたが、それでも今回の内容は(も?)不祥事防止や心身の安定のために、ある意味一番大切な部分かもしれません

 

 「自分を引き算する癖」を持たないこと。あるいは持っていたとするならそれを自覚しておくことです。

 では、「自分を引き算する癖」とはどのようなものなのでしょうか?


  ここで、私の大好きな『うつぬけ』という本から印象的な一場面を抜き出してみます。


『うつヌケ』著者:田中圭一 出版:角川書店 p35より


  …いかがでしょうか。状況は違えど、こうした感覚を持ってしまう方はいませんか?

 何かもめごとが起きた時に、「自分がガマンすれば丸くおさまる」「自分がひきうければそれでおわる」といった思考法です。


 例えば、職員会議で「合宿所の管理を誰か運動部の顧問に任せたい」となったとします。当然、立候補者はなかなか出ない。こうしたときに「自分が立候補しなくてはいけないのではないか?」と思うのも一つの引き算癖を持つ人のサガと言えるでしょう。


 気にすることはないのです。だって他の人も挙げてないのですから。みんなやりたくないならみんなでちゃんと話し合って決めればいい。

 でも引き算癖の人はそうは思えません。

 何か決まらないことがあると、「自分のせいなのではないか」ぐらいの捉え方をしてしまう。結果、様々なことを引き受けがちです。


 この引き算癖は人間関係でも起きます。人間関係でトラブルが発生したとき、自分がそのコミュニティから遠ざかることで解決を図ってしまう。本当は自分が正しい!と思っていたとしても、「そんなに言うなら辞めてやるよ!」と自分を引いてしまう。


 誰しも多少はもっているこうした癖ですが、教員をやる上では大きなネックとなっていきます。


 

2.引き算癖の行きつく先


引き算癖の方は幼少期の経験や成育歴からそうした対処を身に付けてしまったことが多いです。例えば例に出した折晴子さんの場合は、幼少期の親との愛着形成の関係で出来上がったもの(おそらくややASD的傾向も持っていたと思われる)でした。

 

 一見、人から遠ざかる動きをとることも多い引き算癖ですが、基本的には人に嫌われたいわけではなかったりします。むしろ、これ以上嫌われたりしたくないから本人なりに空気を読んで引き算行動をとるのです。


 こうした方が学校にくると、大体の場合「雑務」を抱え込んでしまいます。

「PTAの会合に付き合って」、「練習試合の引率をしてきて」、「文集作成して」、「転校生,クラスで見て」

 … 要領のよい方達にとってこうした引き算癖の方はよい鴨でしかありません。


 そしてそうして大量の仕事を抱えた結果、引き算癖の方は「働いてないと気が休まらない」ワーカーホリック状態に追い込まれます。

 本来なら人々のいざこざなどを見たくないがために始まった引き算癖なのに、むしろ引き受けたがために積極的に人のいざこざを調整しなくてはいけなくなっていく。


 世の中勝手なもので、引き受けたならばその人の責任とばかりに何のサポートもせず文句ばかり言ってくる方のなんと多いことか。

 引き算癖の人は進んで仕事を引き受けているわけではないのです。「これで丸くおさまるなら」と自分を削って、いわば損をして引き受けているのです。でも周囲はそうは捉えません。問題があれば「一度引き受けたなら責任はお前だろう」と糾弾される。

 そうなるたびに引き算癖の方の心には「自分が引き受けるといったんだから自己責任なんだ」という諦めと、「でも何か腑におちないぞ」という違和感が積もり続けることになる。


 こうして、本来であれば引き算癖だった人は表向きは足し算を続けるように仕事を抱え込み、最終的にはなんらかの形でパンクすることになります。

 たとえば抱え込んだ沢山の仕事をこなすために過労死レベルの勤務を続ける方もいるでしょう。たりない体力ややるきを何かに依存することで引き出そうとする方もいるでしょう。ですが、どんなにそうしたドーピングを続けたところでやはり限界はあるものです。

 表紙にしたイラストのように、もう削れる部分がないのに削りつづければ、心身に異常をきたしてきます。結果、鬱病などに陥り、抱えていた仕事全てをそのまま人にあけわたすことになる。

 本来であれば、「自分が損をすることでその場がうまく落ち着くなら」という思考法をもっている「引き算癖」の方からすればもっとも認めたくない状況となってしまうわけです。


 

3.引き算の結果残る不遇感


 以前、どこかでお話ししたかと思うのですが、ぬっぺふの自論として「長期的な無茶を続けた人の反応は主に3種にわけられる」のではと思うのです。

 

 まず1つは、体が先に悲鳴を挙げるタイプ。

 つづいて、2つめは心が悲鳴を挙げるタイプ。体の声を無視して働いてしまうような頭でっかちの方に多い印象です。

 そして最後の3つめは、たりないエネルギー、満たされない不満を何かに「依存」することでごまかすタイプです。


この3つめは「引き算癖」の方と相性がいいです。引き算は自分の時間、価値、それらを軽視することからはじまります。結果、自分をケアする時間まで消失してしまう。

たりない何かを埋めるために人は何かに「依存する」のです。

また、この引き算は「自分が損をする」ということを受け止めていく生き方になります。ですが、自分が損をすることに決して納得しているわけではないのです。


 … 世の中には利他の精神にあふれており自分を削り他者のために尽くすことに生きがいを求める方もいます(個人的にはこれも一種の依存のようなものかと思う面もあるのですが)。


 ですが、多くの人間は違います。本当は大事にしてほしいし、楽をしたい。頑張っていると認められたいし、褒めてほしい。

 こうした感覚が、引き算癖の人の中に秘められている本音です。

 周囲がうまくサポートしたり、承認してくれたりしてくれている間は蜜月です。引き算癖の人は自分を削りながらもそうした承認や自己肯定感からある程度安定して仕事をしていくことができます。

 ところが、そうした環境がなく、ひたすら仕事ばかり抱え込むような状況になってくるとどうなるか。心の底に今までため込んできた不遇感が、「自分ばっかり」という形で首をもたげてきます。こうなるととても危険な状況です。


  不遇感は「あいつらはズルい」という感情に繋がり、「あいつらはズルい」は負の行動(他害行為など)の大元になっていきます。

「これだけ俺はガマンしたんだから少しくらいいい思いをしたっていいじゃないか」「俺のことをみくびっているな。痛い目みせてやる」 といった負の感情の発露。これは問題行動に繋がりやすい危険なものです。


引き算癖を持つ方の多くは、成育歴なのか家庭環境なのかは人それぞれですが、「自分に価値を見出せない」という方が多いようです。そのため、時には引き受けた貧乏くじで大成功を納めてしまい、「自分はできるんだ」と目の前が開けたような気分になる人もいます。引き算してでも引き受けてよかった!と。思うこともあります。

 

 ですが、根本にある「引き算癖」と向き合わない限り、そのせっかくつかみかけた「自分はできるんだ」という感覚も仕事が増えていく中で雲散霧消していきかねません。掴んだ成功体験を底上げするためにもますます仕事を抱え打ち込んでいくものの成果が出ず…やがて、ふっと糸が切れるように抱えた仕事をこなせなくなってしまう。こうした経験があると、本人の自己肯定感に大きな影を落とすことになってしまいます。


 

4.最後に


 今まで見てきたように、自分を引き算する癖は、巡り巡って自分も周囲も傷つける可能性があるものです。


 だからこそ、そうした面が自分にあると気が付いたならば一度自分をゆっくり分析していく機会を持つことが必要です。カウンセリング事業所を利用したり、無料で開催されているアダルトチルドレンやHSP(感覚が過敏で疲れやすい方)の集いなどに顔を出してみるのもいいかもしれません。先述した2つは引き算癖になりやすい傾向をもっているので、自身の生きにくさを掴むきっかけとなるかもしれません。

 

 まだ、大丈夫。まだ大丈夫…そう思いながらレッドゾーンの精神状態で働いている方が多く存在しているのだと思います。

 どんな形であれ、「底付体験」をしてからでは遅いのです。違和感へは早めの対処を。一人で判断に迷うならば専門家に相談をしてみましょう。身近で信頼できて自分のことを客観的に評価してくれる方がいるならばその人に相談でも構いませんが、こうした時に絶対に相談してはいけないのは「成功している人」「バリバリ仕事をしている人」です。そこだけはご注意ください。


最後に。今回は教員の引き算癖について触れましたが、生徒の中にもこうした傾向を抱えているタイプがいるということも覚えておきましょう。色々任せられる便利な子と思っていたらいきなり学校に来なくなるなどの爆発がおきることがあります。ご留意くださいね。


では、またいずれ!


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